読書で過ごす日曜日

雑記ブログ

昨日はティーバーで「坂上どうぶつ王国」の北海道で放送されなかった部分を見た。

高知県で保護した野犬のカズラ君のやんちゃ振りというかどこにでも突進していく様は、犬が好きな自分とは言え怯えてしまいそうだ。

車への恐怖があって散歩が苦手なカズラ君が克服して散歩を出来るまでの道のりが紹介されたが、根気よく付き合って少しずつ不安を拭い去っていくスタッフさんたちのご苦労は並大抵じゃない。

見ている側からすると動物から癒される思いだけを受け取っているけれど、その裏側には野犬が人間社会で生活するための厳しい道のりがある。

人間と共生せずに自由な生き方をするのがいいのか・・・野良猫の保護活動をしている坂上忍さんにとってもこれでいいのかというジレンマみたいなものを感じているようだ。

坂上忍さんの話だと保護犬、保護猫に対して里親さんが求めるのは外見が可愛い仔を希望する人が殆どだそうだ。

外見に惹かれるのは当然だと思うけれど、坂上忍さんが引き取って保護施設に迎え入れるのは引き取り手が現れずらい子たちというところが保護活動の根っこになっている。

坂上忍さんのお宅でも亡くなってしまったが前足がないサンタ君がいたし、後ろ足が不自由な猫のわらびちゃんがいて高知の保護施設から引き取ったリョウーマ君も後ろ足がない。

こういう仔に真っ先に手を差し伸べるところが坂上忍さんは凄いと思う。

他の見どころはお笑い芸人のchoyさんが坂上忍さんの依頼で、さかがみ家の保護猫の中でも人馴れが難しいネコちゃんを預かる”人馴れ合宿”の模様だ。

choyさんが前回人馴れしずらいネコちゃんを時間をかけて手なずけたが、そこへもう1匹更に難しくて手を焼いているネコちゃんを預かることになりchoyさんは2匹と暮らすことになった。

こちらも面白くて保護猫ちゃんたちを見ているだけで目が離せなくなって、何も手がつかないくらい見入ってしまう。

徐々にお互いが仲良くなる過程が見ているこちらも嬉しくなるが、反面choyさんのベッドが汚されたりテレビが破壊されたり大変で何でも一筋縄では行かないものだ。

昨夜はティーバーで「坂上どうぶつ王国」を見たり、YouTubeで土曜日恒例のひらがなの方の「さかがみ家のチャンネル」も見て自分としては夜更かしをした。

昨日の新聞で編集余禄を書いていた人がご自身の起床時刻と就床時刻を載せていたのだが普段の自分とほぼ変わらないなぁなどと思って読んでいた。

農業を営みながら歌人でもあるらしいその方は1日の過ごし方を記していた。

大方の仕事は息子さんが引き継いでいるらしいが現役の頃はまさに晴耕雨読の日々だったと窺える。

編集余禄にはその日の予定が書いてあり、朝は5時過ぎに起床し新聞を読みその後散歩をして、午後から依頼された文を書くのだそう。

午後8時には就床といった1日の様子が書いてあった。

真面目に農業と向き合い傍らで歌を詠んで本も出しているはずで、自分はその方の本を読んだことはないのだがきっとこういう方を有識者というのかもしれないなどと思う。

エール

全く顔も見たことがない方だが心から応援したいと思っている。

フォローしている読書と筋トレ好きなブロガーさんが久しぶりにブログをアップした。

横浜に引っ越しする様子をアップしているのだがこのブログがまた好感度抜群で、新しい生活に入るにあたって気合い充分のブロガーさんを応援したい気持ちだ。

引っ越し業者の方たちが遅れてやって来たようなのだが、人手不足の事情に理解を示すブロガーさんの懐の深さを感じる。

ブロガーさんの引っ越しがその日の最後の仕事と知るや否や、コンビニで昼食を買い込んで昼食を摂ってエネルギーを付けてから仕事をして欲しいと頼む。

こんなところも自慢して書いているとは思えず、ご自身のお子さんと同世代の業者さんに対して親身になるところがいい人だなぁと思う所以だ。

かと言ってこの方のブログに自分がコメントする訳でもないのだが。

ブロガーさんは引っ越し直後から筋トレを始めるみたいでエニタイムフィットネスに行くとある。

ジムの他に図書館と本屋さん探しも始めるそうで、春でもないのに自分まで新しい気持ちが乗り移ったかのようだ。

筋トレ効果なのかこのブロガーさんは根っから落ち込んだりすることはないみたいで、そこのところが自分には好ましい。

前向きな離婚といい、お仕事は現役らしいがお子さんたちは自立しているらしくプラス思考で生きている。

きっと別々に暮らすけれど、元家族が何かあれば1つにまとまるようないいチームワークが奥底にあるみたいに感じる。

ブロガーさんの言う通り筋トレにはたくさんのメリットがあり、筋トレをしない人は損をしているというのは本当かもしれない。

また色々な本を紹介して欲しいものだ。

黄色い家

今、読んでいる川上未映子さんの「黄色い家」は読み終わるのがさみしくなる本だ。

あまりにも自分の中に入り込んで来て、それでいて自分のいる世界とは違った世界ででもそんな世界はきっとあるんだろうなと思うのだ。

生きていると不条理なことがある、どんなに頑張ってもその頑張りが成果を見せない場合があってとてもやるせない気持ちになる・・・そんなことが読み取れる本が「黄色い家」だと思う。

お金持ちは代々お金持ちで何の苦労もないけれど、そのお金持ちとは真逆の生き方をしている人たちもいる。

どうしようもない生活から這い上がりたくても何一つ持たない人たちが存在することも何となく分かっている。

戸籍や住所がなくそうなれば保険証もなく免許なんて有り得ない。

携帯すら持てないから非合法な形で手に入れる。

色んなことに利用される名もなき人たち、利用価値は生きていればあるもので何の保証もないまま餌食になるような人たちがいて読んでいて考えさせられる。

でも時代背景は今じゃなくて20年以上前の設定なんだけれど、それでも格差社会はいつでもあっていろんなしのぎをしながら生きるしかない人が出て来る話だ。

こういう出口のないような息苦しさのある話は心を持っていかれるけれど嫌いじゃない。

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