コロナの自宅療養から晴れて解放されて迎える日曜日

雑記ブログ

久々に晴れてこれから気温も上がるようなので、洗濯物を外干しした。

今週は晴れの天気が多いようなので、布団も干したい。

息子の仕事復帰は26日火曜日からなので、お詫びの品をいつでも持って行けるように準備した。

統一教会などの宗教

阿部元総理の銃撃事件の犯人の背景に統一教会に対する恨みがあったことから、クローズアップされた統一教会。

今はその名称を変えて「世界平和統一家庭連合」というらしいけれど、名前を変えたところで教義が変わるわけでもない。

オウム真理教が「アレフ」に名称を変えても公安の監視下にあるように。

宗教のお誘いとは知らずに・・・

まだ20代前半の頃、高校時代の友人にお茶に誘われて、それ程親しくなかったにも関わらずのこのこ出向いた先でもう1人知らない人がいて紹介されてなぜか3人で話すことになった。

しばらく話していてそれが創価学会への勧誘だということがわかった。

その日は数時間かけていろいろ説得された気がするが、私自身何も信用していなかったから(今もだけど)その人や友人も以外にしぶとい奴(私のこと)だと思ったか、諦めてくれた。

かなり昔の話なのでどんなことを聞いたのかさだかじゃないけれど、簡単に人の気持ちは動くことはない、少なくとも私の場合。

たとえ親しくしている人でも気持ちはそれぞれ違うし、同じ思想になるかは別物だ。

どうして容易く人の話を信用してしまうのか、私には疑問だ。

心が素直なのかもしれないし、人の話を受け入れやすいということなのかな? それか心が弱っている時に巧みに入り込むものとか?

不幸の連鎖でどこかで救いを求めて宗教にのめり込むのかもしれないが、それも憶測でその人の身にならないと分からない。

いづれにしても「信じる者は救われる」という言葉があるくらいだから、信じて本人が救われるならそれもいい、ただ家族に不幸が及ぶまで信仰に身を捧げるというのはどうなんだろう・・・。

サークルやお茶会といった宗教とは無縁の形でのお誘いもあるようだから、すんなり参加してしまうことがあるようだけど、たとえ形が違ってもどこかで気づいて距離を置くことも出来る気がする。

宗教にのめり込む気持ちは私には分からない。

漬け物を作る

実家が農家を営む友人からきゅうりを1㎏ほど貰った。

早速クックパッドで教わったきゅうりの漬物「キューちゃん」を作る。

これが友人には好評で何度かおすそ分けしているが、すぐに無くなるほど人気らしい・・・我が家ではそれ程でもないのは飽きてしまったからかな?

砂糖を大量に使うから一度作ったらタレを捨てるには勿体ないので2回作るようにしている。

コロナ感染の波は衰えず・・・

コロナ感染の折に差し入れしてくれた友人にも「キューちゃん」をお礼に持って行こうと思う。

早く感染の波が収まるといいのだけれど、一向に感染者数は減る気配がない。

むしろ北海道は過去最多というから記録を更新しているようだ。

経済を回すために「行動制限」はしていないけれどもう学校は夏休みみたいだし感染の不安は夏休み明けもあるんじゃないかな?

我が家は軽症で済んだようだけれど、軽症でも後遺症が後々まであったりすることもあるらしいから、その辺は気を付けて過ごしたいと思っている。抗体だっていつまでもつのやら。

また寝込むことになるにしても4回目のワクチン接種はしなきゃならないだろう。

歯医者さんの定期検や眼科の定期検診も今月を予定していたから今週は病院通いになる。

合間にウォーキングが出来るといいんだけど。

不安なまま週明けを迎えることになる。

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