朝からジメジメして湿度が高い。こういう日は不快だ、水分補給をしっかりしないといけない。
息子を送ってそのままウォーキング。
暑いので水分補給をしてから歩くがそれでも6000歩程度にとどめる。
気になること
毎日、幼なじみとラインで挨拶を交わすのだけど、火曜日から返信がない・・・。
彼女の家まで車で15分~20分位の距離だけど、会いに行くのは恐い気がする。
コロナの自宅療養は解けたけれど彼女は病気の治療の関係で、ワクチン接種はまだ数か月は出来ないからラインでのやり取りが一番安心だった。
多分スマホの調子が悪いんだろう、スマホを持ったのも病気が発覚してからだから、1年位になるのかな? 老眼も進んでスマホを打つのも大変らしく、絵文字が多い。
どうか何事もありませんように。
パルスオキシメーターを返却する
基礎疾患がある夫に貸し出されていたパルスオキシメーターを返却した。
説明事項に自宅療養が過ぎて5日間を経てから返却するようにとあったから、ちょっと過ぎてしまったけれど今日ポストに投函した。
送られて来た時に切手が貼ってある返却用の封筒と、返却の際に入れるためのプチプチの袋が入っていたのでその袋に入れて封をしてポストに投函して来た。全てが至れり尽くせりで有り難い。
それと保険の請求書類も一緒に投函。コロナの請求が多いようで多分口座に振り込まれるのは1ヶ月近くかかるかもしれない。
それよりも沢山の請求で保険会社が倒産しませんように。
木下優樹菜さんはADHD?
いろいろと物議を醸し出す木下優樹菜さんはADHDなのだとか。
うちの息子も小学校入学前の診断でADHDと診断されたものだった。ADHDとは「注意欠陥多動性障害」という。
子供の頃の息子は特に落ち着きがなくてジッとしていられない、あちこち動き回る多動という状態だった。
その頃診断してもらった先生の話では大きくなるにつれて、多動はなくなるということだった。
今は多動どころか、動かなさ過ぎるけれど。
診断名は気にしない
小学校に上がってからの検査では「広汎性発達障害」と診断されて、今に至る。
息子が子供の頃には私も躍起になって、講演会や勉強会に参加していたけれど今になって思えばもっと余裕をもって生活するべきだった。
勉強会に出たら成果が上がるのかと思えば違うんだな。
そうやって自分が必死に息子のために動いていることに自己満足しているに過ぎなかったんだと思う。
今更やり直しは出来ないけれど、ひとつだけ後悔があるとすれば小学校から今でいう「特別支援学級」に入れるべきだったとは思う。
小学校の高学年に上がるにつれて、辛かったこと嫌なことが沢山あったと思う。
当時は私も授業によっては付き添うようにとのことで、従っていたけれどどうにもクラスの親子さんたちから疎外されている感覚を感じずにはいられなかった。
息子は「いじめ」という認識も感じずにいたから結局6年間普通学級に在籍してしまったけれど後悔は小学校当時に限ってある。
中学校・高校は特別支援学校で息子なりの成長をさせてもらって、私も満足している。
そして大人になるにつれて診断名というのは、後付けであって要はいかに親子で気楽にいられる場所を見つけられるかだと思うようになった。
確かにお金の計算が苦手だったり、今も小遣い帳をつけていて金額が合わなかったりもするが、ひと言アドバイスすれば出来る。
苦手な部分を補ってやるだけで、精神的には大人の考えが出来ることもあるから一概に発達障害だからどうとか言い訳めいた事は必要ないと思う。
余裕というのは大事、でもそれも今だから言える事。誰だって自分の子は可愛い(大抵の人は)から躍起になるものだけれど、そうなると周りが見えなくなってしまうものね。
大抵のお母さんたちは仲間を作って悩みを打ち明けあったりするけれど、それも共通の悩みがあればの話で子供が大きくなるにつれて、枝分かれしていくと親の付き合いも重たく感じてきてしまう。
あっ、それは私だけかもしれないが、でもそんな気の重い付き合いをそーっとフェードアウトしていくと物凄く気楽でゆったりとした自分の世界が開けてくる。
そうなったらもうお母さん同士のお付き合いを卒業したようなもの。
人間関係は最低限でいいし、狭くていいと思っている。
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