朝の4時を過ぎて雨音が聞こえて来た。
天気予報も朝方は雨マークだったから今日は早朝からのウォーキングは出来ないようだ。
大事な自由時間は買ってあった誉田哲也さんの「首木の民」を読むことにしようと思う。
5時を過ぎてやっと明るくなって来たけれど結構な雨脚なので河川敷には行かず、雨が上がったら近場を歩けたら歩きたい。
読書と食事で30分ちょっといつもより長めに車の中で過ごしていたら、7時には雨があがった。
ウォーキングと電池切れのマウス
結局7時から8時過ぎまで今日も何とか歩くことが出来た。
風はかなり強いが、晴れてきてたからこれから気温が上がるのだろう。
雨上がりの公園や河川敷はちょっと歩く勇気がなくて、住宅地を散策したがキョロキョロと見ながら歩くのも楽しい。
今日は今のところ睡魔に襲われることもなく、スムーズに動いている。
明日から息子が3連休なので送迎がない分のんびり出来る。
パソコンのマウスが電池切れで使えない。
単三電池なら家にあると思っていたら、あったのは単四電池だった。
防災リュックもしばらく中身は確認していないから電池も勿論だが、9月は防災月間でもあるし備蓄してあるものも見直さないといけない。
多分備蓄している食料も期限切れかもしれないが、新たに買い替える面倒とお金がかかるから実は確認するのが怖い。
昨日は息子が使うスケッチブックの会社名で検索して見つけたスケッチブックを注文した。
探していたスケッチブックは楽天市場で見つかったが自分は楽天会員ではなかった。
もう色んな会員にならずカードも持たないで、逆にに使わないカードとかを処分していこうと思っていたから楽天会員にはならずにいた。
けれど地元を撤退してしまったイトーヨーカドーにしか売っていなかった息子のスケッチブック。
息子は絵描きさんのような才能などないけれど、拘りからスケッチブックは子供の頃から必需品なのだ。
あのスケッチブックを入手するために背に腹は代えられないと思って、楽天会員になった。
きっとこれからも購入するからポイントやクーポンが使えたらいいとも思う。
ただカードや通帳って増やしたくないもので、ああいった類は解約する時は面倒だったりする。
自分がいつまでも正常でいられるならいいけれどそんな保証はどこにもない。
なるべく自分で処分できるうちに処分したいと思う次第だ。
そうなるとこのパソコンもいつまで使うのかなぁなんて考える。
自分のパソコンは自分でデータ消去をして処分してしまうのがいいけれど、その時期はいつがいいのかと考える。
まぁ、やらなきゃいけないことは他にも沢山あるけれど順番としてはパソコンのデータ消去は頭が回るうちに済ませたい。
見てはいけないもの
亡くなった母親は日記を何年も付けていて、その残っていた日記をつい最近自分のすぐ上の姉が処分したと言っていた。
母親の遺した日記は母親の住んでいた家に移り住んだ妹がまずは読んだようで、その後すぐ上の姉も読みたいと言ったそうで日記はすぐ上の姉の所に移った。
でも人の日記なんて読むものではないのだと思う。
母親の書いた日記にはすぐ上の姉に対する不満が結構辛辣な言葉で書かれていたらしい。
外見は穏やかな母親だったが思うことは日記にぶちまけていたみたいだ。
すぐ上の姉にしたらショックだったらしく、すぐさま日記はどうやったのか分からないが「処分したから」と言って来た。
自分に対しても母親が思うところはあっただろうけど、日々母の足代わりに動いていたから文句が書けなかったと思う。
1番近くにいた自分は毎日のように母親の家に通っていたから、余計に本心を隠していたのだろう。
日記は小説などの本と違って癖のある文字を読むから暗号解読みたいで一苦労だと思う。
だから、自分にしたら何冊もあった母親の日記を読む気はしなかった。
人のスマホも見るものではないとつくづく思ったことがある。
1番上の姉が母親のお世話をしに札幌からやって来て、母親が入浴中にスマホを覗いて見たら自分の妹と母親のやり取りで姉の悪口みたいなものを見つけてしまった。
そこで母親とケンカになり(と言っても気性の激しい姉が一方的に言いまくったらしい)、急遽札幌に引き上げてしまった。
姉や妹が来てくれる時は自分は休めるので気楽にしていたら、姉から「母親とケンカしたから帰る」と自分にラインが来てガッカリしたことがあった。
父親が先に亡くなったのだが、父親は妻である母親からも自分たち姉妹からも嫌われていた人だった。
父親が亡くなった時に1番上の姉に亡くなったことを伝えたら「やっと逝ったか」という言葉だった。
実際の葬儀や出棺の際には感極まったのか「大好きだった」と泣きじゃくっていた姉だった。
人はその場の雰囲気で気持ちが揺れるものなんだなぁと思った自分は、涙の1つも出なかったのだが。
確かに色んな問題があった父親だが、亡くなった途端に万歳というものでもなかった。
いるべき場所にいた人がいなくなったら、また別の不満が出てくるのが人間なんだと思う。
だから母親を大好きな筈の姉妹が、母親と揉め事を起こすことになった。
母親の最期が見えてきた時にやっと和解というか、優しくなれたのがせめてもの救いかもしれない。
表面上は仲が悪い訳ではない姉妹かもしれないけれど、一緒に暮らした時間以上に別に生きた時間は長い。
友人でもない姉妹という関係は、自分にとって気の置けない存在ではなくほどほどに距離を置きたい関係だ。
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