早朝のウォーキング

ウォーキング

今日は息子が早朝からの仕事なので目覚めたのは午前2時55分だった。

スマホのアラームやストーブのタイマーよりも早く起きた。

朝はちょっと普段は考えられないくらい深い霧で、ゆっくり運転しながら息子を送った。

あまりに霧が濃いとそれだけで少し恐怖を感じる。

この時期は夜明けも遅いから尚更不気味に思ってしまうようだ。

そんな朝だけれど、たっぷり歩こうと思って、今日は寒さに負けない支度をして来たつもりだ。

今シーズン始めての”まるでこたつ(レッグ)ウォーマー”を付けてみた。

ズボンを履いてしまってから、横着してズボンをめくり上げてつけようとしたが無理だった。

ふくらはぎが大きくなつたのかなと思いながら、スボンを脱いで、”まるでこたつウォーマー”を身につける。

それからジーンズ(今はデニムと言うのか?)を履いたらすんなり履けた。

足首辺りにピッタリと当たり、他のレッグウォーマーよりも密着感がある。

腹巻の上にホッカイロを貼り、ズボン下も履いて”まるでこたつウォーマー”をつけている。

さらにスノーズボンを履いている。

ここまでして暑くなったら、”まるでこたつウォーマー”を外すのが大変だと思う。

取りあえず早朝の装備としては万全じゃないだろうか。

ウォーキング

霧の中、河川敷に向かうが通る場所によっては、霧がなくて消えたのかなぁなんて思いながら車を走らせた。

河川敷に着いた時は、割と視界は開けていると思った。

食事をして血をサラサラにする薬も飲んで歩き始めた。

するとたちまち数メートル先も見えないくらい辺りは真っ白に変わった。

「ミスト」という映画を思い出す。

確か霧深い町で起こる殺人事件でお腹の大きい刑事さんが活躍するんだった。

その後も霧が少しはれたかと思ったり、再び濃い霧に覆われたりしながら歩き続けた。

向こうから人影が確認出来るのはすぐそこまで来てからで、こんな日も珍しい。

日の出が近づき明るくなって来たから、徐々に霧も気にならなくなって来た。

夜が明けるというだけで、勇気が得られる気がする。

今朝は風もなく雪もないのだから、歩きやすいのだが、時折薄氷が溶けかかって滑りやすい箇所があった。

なので小心者の自分は雪道を歩くかのように足全体を地面にしっかと踏みしめて歩く。

おかげで足への負荷はいつも以上にかかったようだ。

見たくはなかったが今日はミミズの死骸が多い箇所があり、踏まないように気をつけた。

特に多かったのが小さい小さいミミズの赤ちゃんなのだろう。

ミミズって今どきが出産?ブームなのか?

とにかくある一定の場所にだけ集中していて、一歩足を踏み出す毎に小さなミミズの死骸をよけて歩いた。

そんな風に足元に気を付けて歩きながら「ビルマの竪琴」を思い出す。

勿論、自分は優しくないからミミズの亡骸を弔うわけじゃないが、なぜこんなにあるのかが不思議だった。

かと言って、ミミズの生態に興味はわかない。

朝晩は冷え込むから地上に出てこないで、地中で過ごせばいいのになんて思った。

霧は晴れたり一面を真っ白にしたりを繰り返し、さっきは見えたはずの山々が次の瞬間何も見えなくなったりと忙しい。

でも見上げた空は少しずつ青く晴れ渡って来て、今日はこれから天気が良くなりそうだと思わせた。

白鳥が数羽鳴きながら頭上を飛び去って行った。

読んでみたい森永卓郎さんの本

「ただ一人、妻だけが私を“キモイ”と言わなかった」余命宣告された森永卓郎氏が身辺整理で見せた妻への愛

がんで余命宣告を受けた森永卓郎氏が、やがて残される家族がどんな困難に直面するかをまとめた書籍『身辺整理』。本記事では蔵書や資産の整理ではなく、人間関係について森永氏が言及した章から一部抜粋・

集英社オンライン

森永卓郎さんの本「身辺整理 死ぬまでやること」の抜粋記事だが、この本も読んでみたいと思う。

抜粋記事だけでも充分かもしれないが、森永卓郎さんの奥さんの大変さが少しうかがわれて立派な奥さんなのだろうと思う。

やり残したことはないと言い切る森永卓郎さんだから、おそらく家族には多大な迷惑をかけてきたようだ。

特に奥さんはワンオペ育児で立派にお子さんを育て上げただけじゃなく、森永卓郎さんのお父さんの介護をおひとりで担っていたそうだ。

記事によると森永卓郎さんのお父さんは半身不随でありでも口が達者だったために、奥さんの苦労は相当なものだったらしい。

よく離婚されずに今までやってこれたと思うのだが、森永卓郎さんも今にして感謝をしているようだ。

施設に入ってからのお父さんを奥さんは毎日通って見捨てることはなかったようだから、森永卓郎さんは素晴らしい奥さんに恵まれたと思う。

記事を読むとこの本は奥さんに対して改心してこれ以上迷惑をかけずに身辺整理することにした話のように思える。

立ち読みだけで大丈夫な本かもしれないなどと、またケチなことを考えている。

この記事の中で一番目に付いたのは「親友なんてものは絶対に作ってはいけない。」という見出しだった。

自分は日増しに人付き合いが億劫になっているからこの言葉は心に響いた。

老後と言えば大抵閉じこもらずに人と話すこととか、サークルみたいなものに積極的に参加することが推奨される。

でもどこに参加しても人間関係で嫌なことがありそうで、自分はきっとデイサービスすら行きたくないと思う。

こんな事を言っていたら認知症まっしぐらの危険性があるのかもしれない。

幼なじみの友人がいても単に付き合いが昔からというだけで、親友とは思えない。

話を合わせることはできても果たして同じ気持ちでいるとは思えないし、自分の本当の気持ちは伝えられない。

自分にとって親友と言えるのは自分自身のような気がする。

別に多重人格な訳ではないが、親友というのは悪いところも良いところも認めて受け入れるものだとしたら自分の悪いところなら許せると思う。

でも他の人を見て嫌だなぁと思ったら受け入れられないと思う。

だから自分には親友がいるとしたら自分自身だと思う。

その意味で私は、人はどんどん一人になる訓練をしていかなければいけないと思う。
もとより人は、一人で生まれて一人で死んでいくのだから。

集英社オンライン~森永卓郎さんの身辺整理からの抜粋?~

森永卓郎さんのこの言葉にその通りだと救われる思いだ。

そう思うと、孤独死は怖くないのであり、苦しんで死ぬことが怖いだけだ。

生まれる時も苦しいのかも知れないが苦しんだ記憶はない。

でも亡くなる時、亡くなる前に痛み苦しみが続くのは嫌だと思う。

となると映画「プラン75」のように最後は眠ったまま迎えられて、後始末も全て国がしてくれるシステムを自分は受け入れられる。

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