高校野球の感動と水谷千恵子さんの「タテトテ」

雑記ブログ

またまたショックだ!コロナ感染者数は昨日最多更新だと思う、833人に増えていた。

1000人になってもおかしくないかもしれない・・・

毎日確認せずにはいられない。

気を取り直して手洗い、うがい、除菌する毎日を過ごすしかない。

仙台育英が優勝

昨日の高校野球は久しぶりに始めから終わりまで視聴した。見出すと席を外していい所を見逃したら後悔するからちょっとでも用事を足すことが出来ない。トイレにも行かずに見入っていた。

高校野球ってひたすらに白球を追う真剣な姿に心が打たれる。ケガするかもと危険な場面を見てハラハラしては安堵しそして感動して、大差がついてからは下関国際を応援していた。

ショートの守備からピッチャーに交代した仲井君が打たれて5失点となったが最後までその表情からは冷静さがうかがわれて「頑張れ!頑張れ!」と応援していた。

どちらが勝っても初優勝でどちらでも凄いことだけど、結果は仙台育英に「おめでとう!」と言いたい。監督さんのコロナ禍での閉塞感の中、全ての高校生へのメッセージが素敵だった。

やっぱり高校野球はひとつひとつのプレーがキラキラしていて、球児の泣き顔を見たらもらい泣きしてしまう。何だか心が浄化された気分で見て良かった。

ちょうど閉会式が始まるころに早々帰宅した夫にはこの涙を見せてなるものかと、タイミング良く涙も鼻水も止まったので予定通りのタイムスケジュールで夕飯の準備にかかる。

おならは平気で家族に披露出来るけれど(聞いてもらいたいわけじゃないが)、涙とか心の内は見せたくないので感動するものは1人で見たい。

こんなんだから「堀ちえみ」さんのような温かい家庭にならない。

昨日の水谷千恵子さんのコンサートの続き

本当に芸達者な水谷千恵子さんだったけど、1つ素晴らしかったことを書き忘れていた。

彼女の芸の1つらしい「タテトテ」の歌詞?だけで歌う曲があまりに素晴らしくて笑うのを忘れてしまうくらいだった。一昨日のコンサートでは平原綾香さんの「ジュピター」を歌っていたけれどYouTubeではミーシャさんの歌を歌っていた。

発想といい歌唱力といい聴きごたえ十分で、思い出してみても魅了された時間だったな。

「タテトテ」だけでも何だか訴えるものがあるような、というか元々私は歌詞をしっかり反芻する方じゃないから歌詞に酔うようなことがないんだと思う。

カラオケにまだ行けた頃、友達はしっかり演歌の世界を歌ったりしていたけれど、私にはその世界観が馴染めず歌う気にもなれないでいたものだ。

歌手じゃないんだからいいんだけど、歌の世界に寄り添うとか感情を込めたり意味をかみしめて歌うとかは苦手でノリがいい曲ばかり選んで歌っていた。

ウォーキングの時に聴く曲

歩くときにはスマホに入れた曲をランダムに聴けるようにシャッフル再生にしている。どれも歌詞入りだけど、水谷千恵子さんの「タテトテ」の歌を聴いて、曲だけのものを聴きながら歩くのもいいかもしれないと思った。

どうせ歌詞を聴いていないのだから、映画音楽とか昔聴いていた曲を聴きたい気がしてきた。

フェリーニの「道」とかは曲を聴いただけでジェルソミーナのあどけない表情や仕草、虐げられながらも天使のように純粋な姿が思い浮かぶ。ザンパノって嫌な奴とか。フィギュアスケートで高橋大輔さんがこの曲で競技をしていたっけ。

映画音楽はかなり昔のものしか知らないけれど、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の曲とかも切なくてはるか昔に戻れるような気持ちになる。あの「トテトテ~」と頭から離れない部分はすぐに出て来る。

ニーノ・ロータとかエンニオ・モリコーネとか名曲を聴きながら歩いたら、きっと気分が良すぎて歩きすぎてしまうかもしれない。

子供の頃テレビでやっていた映画の始まりに流れていた「スカボロフェア」や、通っていた中学校で朝の登校時に流れた「雨にぬれても」だとか思い出す曲がたくさんあるものだ。「雨にぬれても」なんて雨の日に聴くとピッタリで外国の曲なのにそのフィーリングというか当時、その曲を流してくれていた生徒さんは映画が好きだったんだろうなと思う。

私には歌詞のない曲のほうが入り込めたりするのかもしれないと今更だけど思う。

母娘を刺した中3女子

驚きがまず最初にあるけれど、どうして簡単に無差別に襲えるのか不思議だ。被害に遭われた方に何の落ち度もないのに気の毒過ぎる。

15才は難しい年齢と言う世論があるかもしれないが、どの年齢であっても難しい年頃とコメントがあったりするもの。難しい年代だから許されるというものではない。年齢に限らずどれだけ人間が出来上がっているのか、常識が判断出来ないという年齢でもないはずなのに。

中3の女の子のことを詳しく知りたいけれど、情報はきっと分からないまま忘れ去られてしまうかもしれない。まだ若いから更生できそうならうやむやに消えるだろう。

世の中、20才を過ぎていても大人と言えないような、幼い考えや話し方がいいように捉えられたりする。選挙権は18才からになったけれどそこだけ大人扱いしても追いつかないでしょうに。

私位の年齢になっても若く見られることがいいと言うのが一般的なようで、それってどうなんだろうと思う。シミやしわは少ない方が嬉しいけれど、内面も追求したいと思うのが一生の課題じゃないのかな。

若ければそれでいいのか、何か大切なものを置き去りにしていないか考えてみたい。

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