TNRとPNM

雑記ブログ

昨夜は洗濯を終えた後、久しぶりに洗濯槽クリーナーで洗濯槽を掃除することにした。

洗濯槽の掃除は定期的じゃなく気が向いた時にするが、いつもなら3時間コースにするところを11時間コースにしてみた。

夜中の間洗濯槽の掃除は続いたが朝になってもあと2時間かかると表示が出ていた。

洗濯槽の掃除が終わってからキレイになった洗濯槽に満足はした。

だが、糸くずフィルターもばらして洗濯槽に入れておいたので、ちいさなつまみみたいなところが破損して取れてしまった。

まぁ、これは自分があえてばらしておいたのが悪いが、ばらしておくと糸くずフィルターを取り付け箇所もキレイになるから外してしまう。

もし使えなくなったら部品があれば購入は出来るはずだ、型式が古くなったらそれも出来なくなるかもしれない。

今朝も寒いのは冬だから当たり前なのだが、どうも今年は寝ていて顔が冷たく感じることがない気がする。

本当に顔が冷たいと布団を頭から被るけれど今シーズンはそれがない。

暖かい冬?いやよくよく考えたら今年は電気敷布と掛け布団の間に毛布を一枚使っているからだ。

それまでは掛け布団の上にタオルケットをかけていたのだが、掛け布団の下に毛布をかけてみるとかなり温かい。

毛布を加えたことが去年までの寝具と違うところだ。

電気敷布自体はかなり年数を使っている年季もので替え時が何時なのか・・・突然使えなくなったらと考えると怖い。

今日は用事を足しに朝早く外出した時に見えた山々が恐ろしいくらいにキレイで、これこそ神々しいという言葉がピッタリだと思った。

空の色との微妙な違いが山の隅々までを照らし出していて、運転しながら何度も山の景色を見てしまう。

見とれるというのはこういうことなんだろう。

PNM

週間新潮で坂上忍さんがコラムを書いているのを、度々立ち読みしたりして読んでいる。

その他にも月に1度更新されるエッセイがあり、「sippo」というサイトで、つい忘れていて今回2本分のエッセイを読んで来た。

2回分のエッセイとも坂上忍さんご夫妻が手掛けているPNM活動についてだった。

俗に言う”TNR”を坂上忍さんは”PNM”と称している。

TNRとは、「野良猫を捕獲(Trap)し、不妊・去勢手術を実施し(Neuter)、その後自然に返す(Retrun)」ことを意味する単語、もしくはその活動自体を指します。

ねこほーむ

一方で坂上忍さんのいうPNMは以下の通りになる。

 「さかがみ家」は苦し紛れの抵抗として、T(罠)N(手術)R(リターン)ではなく、PNMと称し、P(プロテクト)N(手術)M(マネジメント)としています。

sippo 犬や猫ともっと幸せに

坂上忍さんご夫婦のPNM活動はYouTubeでも様子が紹介されているから多少は分かっている。

これが捕獲作業から始まりお世話して「さかがみ家」に引っ越しとなるまで、スムーズに行く訳もなくかなり難航する大変な作業だ。

しかも手術をするにしても全て坂上忍さんのお宅の自己負担で行っている。

避妊・去勢手術には20000円~30000円がかかるというから、手術プラス色んな検査をするとしたらかなりの負担になる。

つい最近行われたPNM活動で、坂上忍さんご夫妻が捕獲した猫は確か9匹で時間もお金もかかっている活動だ。

善意の気持ちから野良猫に餌をやる人が殆どであり、猫可愛さに餌を与える行為を坂上忍さんも否定してはいない。

けれど”せめて去勢・避妊手術をした上で地域猫として餌やりをやって頂きたい”と言うと殆どの方が渋い顔をされる”と言う。

片方では餌を与え続けるのみで結果として繫殖は盛んになり、もう片方で繫殖を抑える活動は労力・時間・お金がかかる。

ティックトックを見ているとどこで行われるのか、野良猫に大量の餌を与える動画が度々出て来る。

大量の餌を準備して空腹で餌に群がる猫たちを撮影するのは、ASMRとかいう咀嚼音や猫の食いつきに見る人が癒されるのかもしれない。

でも頻繫に登場する野良猫への餌やり動画を見ていると、「これでいいのか」と思ったりする。

コメント欄には「ありがとうございます」と餌やりに賛同する声が溢れる。

坂上忍さんが書いているsippoのエッセイには行政が見て見ぬふりをしている姿勢にも疑問を呈している。

知名度のある坂上忍さんだからこそ保護活動をPR出来る場もある。

反面PNM活動は捕獲器を準備して暗がりの寒い中で捕獲して、お世話をして懐いたころに手放すという地味な活動もしている。

この間の「坂上家のチャンネル」生配信で坂上忍さんは殆ど飲み会などには行かないらしいことを話していた。

「家が一番」なのだそうで仕事以外は家に一目散らしい様子はブログでも窺える。

唯一スタッフさんと飲んだりするのは慰労会を兼ねているらしいが、昨今の騒ぎのような飲み会に坂上忍さんは全く別な次元にいるのだと思う。

日々が生き物相手で修行は一生続くと言っている坂上忍さんの言葉だ。

命を預かっているからこそ動物たちを「先生」とし、我々が「生徒」であるということを忘れてはいけない。

おこがましいが自分も生きている限りは何かしら勉強の日々だと思っている。

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