懐かしい80年代の映画スター・過去と今の写真

雑記ブログ

朝からいい天気だから2回目の洗濯を始めたけれど何だか曇がかかってきたような感じ、薄い掛け布団とタオルケットを洗っているから何とか晴れて来て欲しい。

天気は持ち直し、爽やかな晴天で洗濯物もこれなら乾くだろう。

遠くに見える山並みも真っ青でキレイだ。

80年代に輝いていた芸能人たち

昨夜は翌日息子が休みなのをいいことに、パソコン「で80年代に輝いていた芸能人」という外国人俳優の写真を見まくった。

ちょうど私の年代の人が多くてマイケル・J・フォックスとかメル・ギブソンだとか懐かしい顔を見ていたら時間が経って結局全て見てしまった。写真は一覧になっていないから「次へ」となっているのをいちいちクリックすることになるんだけれどこうする意味もきっとあるんだろうなぁと漠然と思いながらも術中にはまるというか、次の俳優さんが気になって見続けてしまった。

サブタイトルが「過去そして今」というように若い頃と今の姿の写真が並んでいるからその変化がしっかり見てとれる。やっぱり男優さんは年を重ねて渋みが出ていい感じの人が多い。違う人もいたが。

逆に素敵だった若い頃と今のギャップが激しすぎる女優さんを見て、写真は残酷だなと思う。修正も出来るだろうけどそんなことをしたって現実はかわらないもの。だから私は写真は嫌いだな。

メグ・ライアンなんか別人みたいで顔をいじったのか知らないが有名人は大変だと思った。懐かしかったのが「大草原の小さな家」のメリッサ・ギルバート。年を重ねた今も笑顔の口元に面影を感じた。

懐かしさから昔好きだったジュリアーノ・ジェンマについて調べて見たら2013年に交通事故で亡くなっていた。あんなに好きだったのに死亡の記事も出たと思うけれど気づかなかったようだ。

80年代もいいけれどもっと前の芸能人というか外国の映画スターなんかも見たら虜になって夜更かししたかもしれない。

化粧で隠す

化粧品もアンチエイジングをうたったものや、オールインワンで化粧水・乳液・美容液が1つになった優れものがあったりで私の年齢層をターゲットにしたものが多いと思う。

高齢者の女性があふれているのだからターゲットにしなくちゃとばかりに世の中、化粧品と健康食品がおおはやりの時代。

テレビで実践しているのも化粧で見事にシミが隠せるとかだったりするけれど、「隠せる」だけで「消えない」なら意味はない。予防してシミが出来ないようにするしかないし、出来てしまったものはそれ以上大きくならないようにするしかない。

隠すメイクはずっと素顔を隠していなきゃいけないようで落ち着かない。私は家に戻ったらすぐにメイク落としをしてしまう方だ。

多分化粧の楽しさや魅力を分からないままここまで来てしまったのだと思う。

そしていつも実母や義母の亡くなる少し前の顔を思い出す。もう傍から見ても男女の区別がつきづらくなっていたし病院では何かの間違いか男の人の部屋にいたこともあった。そんな部屋でも違和感はなくて最後は皆ただの老人というのかな。本人も「もうどうでもいい」と言っていたし、私だって最後はそうなるのかもしれない。

今の自分は最低限の身だしなみとして化粧はするけれど自分でも力が入っていないから化粧してるのかしていないのか微妙な出来栄えだ。

トイレを間違える

化粧と関係しているとは思わないけれど、年齢が行くとやらかした時に自分の間違いに気づかないことがあると実感したのがトイレを間違うことだ。

コロナ前のことだったからまだ今より数年前、食事に入ったお店でトイレを使った時に男女の入り口を確認して入ったつもりだった。終えて手を洗い出る時に若い男の人とすれ違い一瞬あちらが不振そうにこちらを見た。

私も「何だろう」と思った位で席に戻ってから、「もしかして私、間違った?」とかなり遅いタイミングで男子トイレに入ったかもしれないと気付いた。確認しに行かなかったけれど間違いなく間違ったようだった。

その時は恥ずかしいという気持ちはなくて、とうとうこんな時にも動転しない図太さがこの私にも芽生えたのかと思ったりした。多分に鈍感だとは思う。不思議に恥じらいとか後悔とかそんな気持ちにはならなかったから、またこういうことをするかもしれない。それか知らず知らずに堂々と間違いをしても気づかないでいるかだ。

男性なら間違いなく不審者扱いされるところだから、私も気をつけなきゃならないんだけど。

でも悪気がないと後ろめたさがないから、こんな間違いをする人がいたとしたらその気持ちはわかる気がする。

帰るの「帰」

ずっと間違えて覚えていたのが「帰」という字だ。右側の上はカタカナの「ヨ」を書くところを40年位「日」と覚えて書いていた。多分テストとかでも指摘されないままこんなに長く見過ごされて来たみたいだ。

数年前に気がついてそれから意識して書くようになって直せたが、こうやって気がつかないことって死ぬまであるんだろうと思った。

気がつかないこともそうだけど、知らないことも多分知らないまま終わるのだと思うとネットで色んな事を調べてたくさん知りたいと思う。

ブログとかも名前も知らない人が書くものを読むのは、小説とはちがって生の気持ちが発信されているから面白い。ブログの数だけ色んな思いがあるから短編の本を読んでいる感覚に近いかもしれない。

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