タンタンの冒険と里見甫とアヘン

雑記ブログ

今日で8月も終わり。早い!年を取ると時間があっという間と言うけれど多分誰でもそうなんだと思う。

暇を持て余しているような人は周りにいない。

私の場合は時間の使い方が下手だなと思っている。無駄に時間が過ぎて行く・・・。

もっと効率的に時間を使えるといいんだけど。

タンタンの冒険

息子がYouTubeで「タンタンの冒険を久しぶりに見た」と懐かしがっていた。

子供の頃タンタンの絵本が好きでよく図書館から数冊借りてきて見ていた。私も好きになって一緒になって見たりしたものだ。少年記者のタンタンが愛犬スノーウィーと世界各地で冒険を繰り広げる話だけどかなり昔の時代なのでその当時が楽しみながら想像できる傑作だと思う。

多分ビデオかな、アニメ映画もあって吹替えだから分かりやすくタンタンもだけど犬のスノーウィーが可愛くてそれでいて品のある漫画だった。でも今思えば人種差別がはっきりしていたとも思う。当時の考え方とかが伺えるお話だった。

タンタンの冒険はシリーズもので結構たくさんあったと思うが中でも私の興味を引いたのは「青い蓮」。背景が満州事変当時の上海らしいがその話の中に日本人が出てくる。

とても嫌な人物でアヘン窟「青い蓮」の仕事で儲けていながら、表の顔は日本の軍人として威張っているという人物で当時の日本人はこんな風に見られていたのかもしれないと思った。

タンタンでは東洋人やアフリカの人たちがとても卑屈に描かれていたから、多分当時の見方が西洋人に比べて東洋人やアフリカ人は劣っていると考えられていたのだと思う。奴隷制度も描かれていた気がする。

日本人のその悪者もメガネの奥の小さい目がいかにもずる賢く描かれていて、ちょび髭面で軍服姿で偉そうで、外見からして嫌な奴それは日本人だったのが印象的だった。

でもその漫画に描かれた日本人とそっくりの人をその後私は本の中に見た。

阿片王 里見甫(さとみはじめ)

佐野眞一さんが書いた「阿片王」という本に出て来る里見甫が、タンタンの「青い蓮」の日本人にそっくりだった。

本の最初に里見甫の写真が幾つか載っていて、その中でも還暦を迎えた頃の写真を見た時にどこかで会っているような感覚を覚えた。しばらくは分からなかったけれど思い出して納得した気がする。髪が薄くて細長い顔にメガネが印象的で全体的にほっそりして一癖も二癖もありそうなその姿。タンタンに出て来るあの日本人そのものだった。

里見甫は満州でアヘンの利権で暗躍した人物とされていて怪しさたっぷりながら戦後の戦犯としても裁かれなかった人らしい。

フィクサーという言葉の意味はしっかりは知らないが、里見甫とか児玉誉士夫とか笹川良一といった人たちのように裏側で何らかの企み?で利益を被っている人たちのことだと思っている。あまり難しいことは理解できない私だけれど、里見甫のような人たちが莫大な利益を戦争なんかで得ているのかもしれないし、そう言った影の人物を調べたりした本が好きだ。

タンタンの作者のエルジェが里見甫に会ったことがあるかは分からないけれど、日本人のイメージが彼のような感じだったのだろうと思ったりした。そして当時のアヘン窟は当たり前というか日常に溶け込んでいるような、今でいうなら普通に飲食店に入る感じで描かれていた。違うのは長い煙管にアヘンを入れてからゆっくり横たわる。何とも静かに過ごす寛ぎのスペースという描かれ方だった。

聞いた話だと昔は中国の肉体労働者が疲れをとるためにアヘンが必要不可欠だったとか。

イギリスが元はと言えば中国にアヘンを輸出したせいでそんな経緯は三角貿易とか聞きかじった記憶はあるがアヘン戦争まで起きている。イギリスも罪深いことをして利益を得ていたものだ。

婉容(えんよう)

婉容 (えんよう、1906年 11月13日 – 1946年 6月20日)

満洲国の皇帝溥儀の皇后の婉容だが彼女はアヘン中毒で晩年は不幸な最後を遂げている。

溥儀の弟溥傑に嫁いだ日本の公爵家の嵯峨浩(さがひろ)さんが書いた「流転の王妃」に浩さんの波乱万丈の人生と共に婉容の不幸な生涯が少し書かれている。

溥儀の生涯は映画「ラストエンペラー」などで有名だけど、婉容が幼くして溥儀のところに嫁ぎその夫婦の様子は色んな噂が飛び交い真実はどうだったのか推測するばかりだけど決して幸せじゃなかったのだろうと思う。

溥儀の子ではない子供を出産しその直後に溥儀の命令で捨てられたという説、もっとひどいものは焼却炉に投げ捨てられたと言う説がある。溥儀の性格も異常な世界の中で成長したために歪なものだったといわれているが晩年の溥儀は穏やかな暮らしぶりだったようだ。だから尚更婉容 の最後が不憫な気がする。

婉容の写真はごくわずかしか見たことはないけれど、若い時の彼女の写真は初々しさと美しさを感じる。そんな婉容は時代に翻弄されてアヘンにすがるしかなかったのかと思うと気の毒だ。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

この映画をしっかり理解しているとは思っていない。でも最後に出て来るデニーロのアヘン窟での恍惚とした表情のシーン、あの全てを超越したような全てを忘れられるような時間がアヘンの魔力なのかなぁと漠然と思う。

婉容もアヘンに救われて、でもアヘンで命を落としたのかもしれない・・・。

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