いつもより30分早くアラームをセットして4時には起きていた。
玄関から外を眺めてみるが車の雪もタイヤが見えているから、心配された大雪までには至っていない。
雪は降り続けているが、今の勢いからするとそれ程積もらないんじゃないか。
この分だと出掛ける時に車の雪を払って少しだけ除雪をすれば大丈夫だろう。
出かける前に20分位、軽い雪だったが腰ベルトをつけて雪かきをして出て来た。
雪は降りやむ気配はないが小さめの雪だから積もらず、気温次第で溶けるかもしれない。
朝の道はまだ走りやすくいつも通りの時間で息子を送ることが出来た。
でも今日は雪が降るから外は歩かない。
息子を迎えに行く頃には溶け出した雪で、今度は水しぶきがはねて車に降り注ぐ事態だ。
隣を走る車や対向車が出す猛スピードで、中古車の愛車に降りかかる水しぶき。
何か恨みでもある?と問いたい位、一瞬目の前が見えなくなる。
汚れきっていつかは洗いたい愛車だが、こんな溶けた雪解け水まみれになるからまだ洗う時期ではない。
それにしても、何故あれだけ急ぐ車がいるのか早く目的地に着くのにどれだけの意味があるのか…。
まぁ自分に分からないだけで、誰しも先を急ぐ理由があるのだろう。
自分も待ち合わせの場所には早く着いて安心したい方だが、向かう時は急いでいるわけじゃなく早く出るだけだ。
車に乗っている人の顔は見えなくても、そのイラつきが車から感じられる時は距離を置くのがいい。
当然自分みたいにトロトロと走る車は追い越してくれるから、どんどん抜かして先に行ってもらう。
マリコ書房
登録しているYouTube「マリコ書房」がアップされていたので早速見てみると、今回紹介された本は林真理子さんの著書「ミカドの淑女」だった。
題名は知っているがこれも歴史小説で未読で、林真理子さんと聞き手の中村さんの話しを聞いていると読まなきゃと思った。
「ミカドの淑女」は「皇后は闘うことにした」にも出て来た下田歌子さんの話しらしい。
下田歌子さんは当時の天皇家の皇后のアドバイザー的な役割を果たしていたようだ。
自分のイメージとしてはラストエンペラーの溥儀に仕えた家庭教師のピーター・オトゥールみたいな感じだろうか。
下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐〈ひらお せき〉[1][2]、1854年9月29日〈嘉永7/安政元年8月8日[3]〉 – 1936年〈昭和11年〉10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者、歌人(号は香雪)。女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎も築いた。祖父は儒学者東条琴台。
Wikipediaより
その下田歌子さんについて書かれた本らしく林真理子さんにすると、歴史小説は「ミカドの淑女」が初だった。
本を書くにあたって林真理子さんは下田歌子さんをご存知なかったという。
編集者から勧められ資料を貰って読んで俄然書く気持ちが沸いたそうで、林真理子さんはご自身を”職人”と言われる。
書いてみたらと言われて本は書けるものではないだろう。
知らなかった人を本にするとは、資料をどこまで読み込んだら書けるのだろう。
有吉佐和子さんが資料を読むのが楽しく小説は付け足しという話を、つい最近週刊文春の林真理子さんのエッセイで知ったばかりだ。
本を書く以上に読むことが好きなのが作家さんなのだろうか。
資料を読み込んで過去の人物たちを、ストーリー仕立てにして物語の中ではその人物が蘇ってその世界で生きて存在する。
YouTubeの中で林真理子さんは下田歌子さんを知らなかった当時、ある人から創業者(創業の先生)はそこの方々にとっては神様なんだと言われたという。
更に林真理子さんにとっては下田歌子さんが単に歴史上の人物かもしれないが、実践女子大学にとっては大切な先生であることも知る。
林真理子さんが理事長を務める日大にも学祖といわれる山田(下の名前までは読み取れず巻き戻して)顕義先生と言う方がおられて、何かの時には墓参に行くのだそうだ。
はぁ、そんなものなんだと自分は感心して聞いていた。
林真理子さんは学祖と言う言葉を確認するかのように2回続けて話した。
山田顕義先生と言ってから「ちゃんと先生をつける」とこれも確認するかのようだった。
日大で山田先生を敬うのと同様に、下田歌子さんは実践女子大学で同じような存在だったのだろうと分かりやすく話していた。
つい思いを言葉にしたい気持ちが強く出て、”下田歌子”と呼び捨てにしてから気づいて”下田歌子先生”と言い直したりしていた。
このチャンネルは、本業の作家としての思いや伝えたいことが言える唯一の場所なのかもしれない。
このチャンネルの林真理子さんは凄くリラックスして話しているようで、言葉遣いも普段の話しぶりが出ていて自然体で臨んでいるように思う。
自分が「ミカドの淑女」の本そのものを読んでいないから想像するしかない。
どうも「ミカドの淑女」の下田歌子さんに関しては林真理子さんが書き残したというか、悪く書いた部分があったようだ。
下田歌子さんは当時伊藤博文との不倫が騒がれたそうだから。
ただ伊藤博文という首相にまでなった人物自体、遊び方が派手だったというから真実がどうであれそこまで書かれているのか分からないが。
そして「ミカドの淑女」での話から、下田歌子さんに関しては「皇后は闘うことにした」で挽回したので許してくださいと言っていた。
とても興味をそそる話を聞いたと思うから、またブックオフで「ミカドの淑女」を買って来なきゃいけない。
この間ブックオフに行った時に、林真理子さんの著書のコーナーに「ミカドの淑女」は確かにあったと思う。
まだまだ読みたい本はあってでも読んですぐに忘れる自分でもあり、そこは残念なのだがそんな自分だから仕方ない。
そして読み返すことはほぼなく所蔵するつもりもなく売ってしまうから、この頭が忘れたらそれまでなのだ。
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