今日は早朝から仕事の息子、日の出が早くなって今日の太陽は眩しい。
そして山は驚くほどキレイだ。
今日の山がキレイなのは空が丁度良い色合いで山を引き立ててくれるからなのだろう。
息子を送ったら今日は河川敷ではなく、山が良く見える場所に向かおう。
ウォーキング
朝早く行ったにも関わらず駐車場には車が数台止まっていて、既に歩いている人や犬の散歩をさせている人もいる。
去年の今頃は突然気温が上がったようで、スマホの日記によると26度を記録したとか書いてある。
でも今朝はまだ寒くて相変わらず自分は腹巻にホッカイロそしてヒートテックも履いている。
更にスノーズボンも履くという冬と何ら変わらない格好だ。
ダウンジャケットは歩き終えたら薄手の上着に替えるつもりだ。
衣替えどころか、いまだに冬物のクリーニングは出せずダウンコートがクリーニング用の袋に入ったままだ。
確実に暖かくはなって来ているのだけれど。
今日は山に見とれてるだけじゃなくてあちこち散策して歩いた。
知っているとばかり思っていた道も、もっと奥にも道があったり新たな発見があり楽しめた。
今はまだ草も大人しくて伸び切っていないから、景色が木々の間から見渡せる。
りすもあちこちで動き回っていて、目にも留まらぬ早さで木々を渡り歩いていたりする。
山は稜線というのだろうか、全てが露出していて美しい。
人間ならシワの1本1本が見て取れたら嬉しくはないが、山のそれは確認出来ることが嬉しい。
男性のシワは勲章のように言われるが(最近は男性も化粧するから言わないのか)、山の稜線も山の勲章みたいなものだと思う。

ウォーキングを存分に堪能して、今日はタイヤ交換を予約しているのでダイヤの預け先に向かった。
朝早いのと、もう既に皆さんタイヤ交換などは済ませているのかもしれなくて待つ人はいない。
正しくはタイヤ交換じゃなく、今回は夏タイヤを購入したので新品のタイヤに付け替えてもらった。
待つ時間はそれ程ないだろうと思ったが、ドトールコーヒーが出る機械を見たら途端にコーヒーが飲みたくなった。
血をサラサラにする薬を飲むようになってから、朝食後は薬を飲むからそれまで飲んでいたインスタントコーヒーを飲む機会がめっきり減った。
しかも午後にコーヒーを飲むと夜の寝つきが悪くなるから飲むなら午前中しかないのが厄介だ。
入店して5分〜10分ばかりでタイヤの付け替えは終わった。
丁度付け替え作業が見える場所だったので、それに合わせるように急いでコーヒーを飲み終えた。
新しいタイヤは黒々として、タイヤだけが目立つ感じだ。
走り心地とかは鈍感な自分には、あまり良く分からない。
けれど自分にとって1人になれる大切な空間なので、中古車でもタイヤは安全に走るためにもお店の方に勧められたら買い換えるようにしてる。
夏タイヤと同じように冬タイヤも運転が苦手な自分にとって大切な存在だ。
社会学者
昨夜布団に入ってから珍しい友人からラインが入った。
いつも時期が来ると野菜を届けてくれる農業を営む友人からのラインだった。
甥っ子君の名前が朝日新聞の天声人語に載っていると新聞の切り抜きを送ってくれた。
そこには確かに自分も知った名前が載っていて、名前の肩書には”社会学者”とついていた。
恐ろしく出世したものだと感慨深い思いがよぎった。
社会学者となった彼は上の息子と幼稚園が一緒で当時から、幼稚園児にしては大人びていて周りとは異質な感じがした。
高校もこの地域では一番の進学校に入学し、そのまま最高学府と言われる大学・大学院へと進んだ。
研究している分野も一風変わっているようだけれど、そうか彼は社会学者と呼ばれる人になったんだと知った。
お母さんは気取りがない人で頻繫に会う程の付き合いはないが、猫を沢山飼っていて気が向いた時に呼んでもらうことがある程度だ。
猫を飼うそのお母さんと農業を営む友人とは姉妹の関係にある。
人はあまりにも違い過ぎると妬んだりする気持ちは全く湧かないものだ。
波瀾万丈な人生を歩んでいると自分が勝手に思っている美人の友人は、人妻だと申告しても「付き合って欲しい」という男性が昔から絶えなかった。
職場でも言い寄る上司を拒否したために逆ギレされてパワハラに遭い、退職を余儀なくされたこともある。
再婚した今のご主人との馴れ初めも、それぞれが配偶者や子供がいていろいろと大変だったようだ。
そんな美人の友人に嫉妬する女性は敵対するのだろうけれど、初めから土俵外にいる自分にとっては聞いて驚くことばかりだった。
次元の違う世界の話はある意味新鮮で、友人にそんなことは言えないが自分が知らないことを知るのは本以外では珍しいのだった。
彼女の場合はその他にも出生・亡くなったお兄さんの内縁の女性と揉め事など異性関係以外でも自分ならとても体が持たないようなごたごたを乗り超えて来た(らしい)。
それと同じとは言わないが似ていると思う。
農業を営む友人にとっては甥っ子であり、猫を数匹買う友人にすると我が子であるその社会学者となった彼と我が息子を比べるはずもない。
上の息子にとっては同じ幼稚園・小中学校だった時期があっただけで、今や記憶の彼方にいるであろう彼のことを言っても意味はない。
それにそういった人の噂話は好きじゃないはずで、自分と息子の関係からしてそんな話をすることはないのだし。
そうはいっても友人の息子さんがこの地に帰って来た時に、地元の新聞にでもその活躍が載るんじゃないかと思って勝手に楽しみにしている。
自身のことを「○○な人」と言ったり、我が子を「○○君はね~」とか「〇〇ちゃんがね~」とか自慢というか多少の謙遜が見られない人だと内心カチンと来る。
けれどこの友人姉妹に関しては、自慢も極端な謙遜も感じなく素直に感嘆出来る。
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