今朝も早朝からの仕事を息子を送るので、早めに洗濯物を外干しする。
部屋の中ではストーブは点けていないけれど、外はまだ寒かった。
なので今日はズボン下を履くことにした。
腹巻はしてるけれど、ホッカイロは貼っていない…貼るかもしれない。
晴れているから気持ちのいい朝だが、寒暖差は油断出来ないと思う。
本州の方は30度を超える暑さらしいから、暑さも嫌だしそれよりも服で調節出来るのだから朝の寒さくらいどうってことないのかも。
ウォーキング
今日は前回行った森を更に奥深くまで歩くつもりで向かった。
長く住んでいるけどこの森は探検したことがなかった。
森をつくるという構想から始まって50年が経っているという。
森も成長したようだが、自分もかなりの年月を経るまでここの存在に気づかなかった。
車では通り過ぎていたけれど、やっぱり足を使って歩くのって大事だなと思う。
だから刑事さんは現場100回とか言って現場に足を運んで事件を解決する。
小説の中だけじゃなく本当にそうなんだろうと思うけど、実際の刑事さんは知らない。
森の中ては虫が激しく飛び回っているが、それさえ耐えられたら癒しの空間だった。
鳥の鳴き声がいつも聞く以上に響き渡りヒーリング効果もいいところだ。
木々の緑も生き生きとして、今が盛りを思わせる。
人間でいったら中高生という感じだろうか。
完全な森の中で少し暗いと怖い気もするが、時折人とすれ違って安心する。
どんどん進むと片側に有刺鉄線が張り巡らされていることに気づく。
森と自衛隊施設を区切る有刺鉄線だった。
有刺鉄線を見ると「大脱走」「プリズン・ブレイク」などを思い出すし、今はなくなったが少年院の周りもあの有刺鉄線で囲まれていた。
歩いていたらこの森を構想した市長さんの銅像があったり、掩体壕(えいたいごう)とか言うものも目にした。
掩体壕という名のコンクリート塀は、戦闘機を敵から隠すためのもの。
写真をスマホで撮ったけれどどうもおかしな写真になったから消してしまった。
ああいうものは撮らない方がいいのかなと思ったけれど、深く考えないようにする。
自分には霊感とかもないし考えるだけ無駄だけど、ピンボケじゃなくてある部分だけぼやけていて今までなかったことだった。

(安房文化遺産フォーラムより画像をお借りしたもの)
掩体壕というのは第2次世界大戦中に建築されて、当時この近辺に46基あったという。
近場の飛行場の滑走路から飛び立って行ったとある。
そう言えば歩いていると自衛隊施設の滑走路らしきものが見えたから、戦時中使われたということらしい。
いつも飛んでいるヘリコプターもここから発着しているのだろう。
全国各地にはちゃんと形が残っている掩体壕があるようだが、今日見たものは殆ど形を成さないでコンクリートの建物の名残りみたいに見えた。
学校では大して学ぶ気持ちはなかったが、こうやって歩いていると幾つになっても学べるものだと思う。
まぁ、そうはいっても話の触りをかじった程度だがとても面白かった。
河川敷だと遮るものがないから怖くない。
けれど森だと木々が覆い尽くしているのが、涼しくもあり多少怖くもある。
適度に歩いて車に戻ったら、なんだか別の世界から戻ったような感覚があった。
ほんの1時間ばかりなのにかなり贅沢な時間だったと思う。

歩き終えたあと、今日は週に1度息子の皮膚科受診があるので受け付けだけ済ませて来る。
だいぶ晴れて気温もあがっているのだろうけど、ズボン下を履いていても暑くはない。
午後の皮膚科まで少し時間が空いたので、夕飯用に切り干し大根を作り庭にミニトマトとキュウリの苗を植えた。
ちゃんと手入れしないと去年みたいに巨大キュウリが出来たり、ミニトマトの方にキュウリがつたを絡めるかもしれない。
今回は支柱の立て方を事前に調べてちゃんとキュウリが見えるように育てたい。
皮膚科
息子とはいつも仕事帰りに皮膚科に向かうところが、時間が空いたため昼食後睡魔に襲われたらしい。
眠っていたらしい息子に声をかけて出掛けたのは診察の40分前で皮膚科についてみると、1人しか待合室にはいなかった。
今日はいつになく空いていて、ここの皮膚科に通うようになってから初めてじゃないかというくらい席が少しずつ空いていた。
診察と治療を終えて中待合から出て来てもまだ座って会計を待っていられた。
毎週通うことに慣れては来たが、いつの日か治療が終わるといいけれどそんな日はまだ遠そうだ。
先生がどうか健康で閉院しませんようにと祈りたい。
今日はまだ「あんぱん」を見ていないのにパソコンを開くと関連するネット記事がいくつか出てくるから記事の前に「あんぱん」を見たいと思う。
それにしてもNHKの朝ドラというのはテレビ離れが進む中でも、一筋の光というか大勢の人が見るものなんだろうなと思う。
一話ごとにネット記事が沢山出るみたいで、自分も見ていながらどこか別のところから眺めているような気がする。
自分自身だって戦後生まれで戦争体験なんてないのだが、それでもこういう戦死者はたくさんいただろうしこんなに丁重に戦死報告を受けたのはまだ良い方じゃなかったのかと思う。
こういう考えはやっぱりひねくれているのかもしれない。
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