映画「道」の特典映像

雑記ブログ

昨夜は思ったよりも雨は降らず、暑さもさほど感じなくてそれよりも睡魔が強くてさっさと眠った。

今日も早朝から仕事の息子を送るため、洗濯物を外干ししていた。

空気の冷たさが新鮮でいつも汗ばむのが常だった最近。

今だけかもしれないがとても爽やかな空気を感じた。

ウォーキング

今日は昨日よりまだマシな暑さだったので、少し多めに歩いた。

一度河川敷内まで車を走らせては見たが、やはり土曜日だ。

朝野球をしている方々の車が並んでいて、更には次々と車がやって来た。

河川敷内のどんどん奥まで進んで行く列の感じからすると、サッカーとかの練習か試合が行われるのだろう。

やはり土日祝日は河川敷を避けるべきらしい。

無駄足を踏んだものの結局は公園内に戻って来て車を止めた。

今日は動物園脇の道路を通り、馬のムホウマツゴロウ(通称マツ)の姿を見ようとしたが、あいにくマツは姿を見せなかった。

その代わりというのか、別の道を通ろうとしたら少し離れた先に、何やら子犬みたいな大きさの多分子ギツネだと思うがこちらを見ている。

そして自分に向かって吠えるというかうなり?出したという感じで、こちらに対して反応しているのは間違いない。

近づけば攻撃されそうで引き返すことにして、時折振り向くと少しついて来ていたようだが車道までは来なかった。

しっかり見てはいないが正面からだったので肝心の尻尾は分からなかったが、この辺りでは野良犬なんてほぼいない。

森の奥から出てきたなら子ギツネだったんじゃないかと思う。

もう親離れしていて餌でも探していたのか、一瞬エキノコックスが頭をよぎった。

昨日よりかは歩きやすいし風も吹いていて日陰は心地よく感じたが、徐々に暑くなっているのは肌で感じた。

7000歩を超えたところで終わりにした。

再び「道」のDVD

映画「道」のDVDに入っていた特典映像を見てみたら、作曲家のニーノ・ロータの来日の際のインタビューがのっていた。

「道」の監督のフェリーニや「ゴッドファーザー」のコッポラとは気が合い、2人ともニーノ・ロータを尊重し信頼関係が出来ていたらしい。

映画音楽を作る際には撮影現場に行き、撮影と同時進行で書くという話には当時の映画製作の一端が見られる。

多分今の時代はそんな七面倒くさい作曲方法ではないだろうけれど、当時は映画作りと音楽作りは同時進行だったのかと知る。

ただ「道」は撮影が全部終わってからラッシュを見ながら作曲したとある。

ラッシュが何か分からないが映画の全体で仮のものかなと思う。

純音楽の世界から映画音楽の世界に入ったのが1941年というから、戦前から始まり100本以上の曲を手掛けたという。

インタビューの最初の方では”音楽に理解がない監督との仕事は面白くない”漠然とした話だったのが、「太陽がいっぱい」の話に触れて”面識のない監督がパリから2本作曲せよと横柄に命令してきた”と言っていた。

「太陽がいっぱい」の監督のルネ・クレマンは気に入らなかったってことなんだと今更知ったことになる。

でも「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンの出世作であり、今でもあの曲はすぐに浮かぶ名曲だと思っている。

ニーノ・ロータに言わせると「太陽がいっぱい」の音楽は日本だけでヒットしたという。

監督の横柄さから手軽に作曲し送り返したような仕事だったそうだが、日本でのヒットから印税をたくさん頂いてハッピーになったそうだ。

もっと色んなエピソードがあったんだろうなと想像するが、その一部でも垣間見れたのが得した気分だ。

こんな裏話があったとは意外だが、とにかくアランドロンと言えば日本では人気の人だったと思う。

なのに本国ではジャン・ポール・ベルモントの方が人気があると当時買っていた雑誌には書いてあったものだ。

ニーノ・ロータが自身で手掛けた作品で好きなのはフェリーニ以外では、「ロミオとジュリエット」「ゴッドファーザー」「戦争と平和」だという。

「ロミオとジュリエット」と「ゴッドファーザー」の曲は新曲ではなく、映画化する時に編曲し直した曲だそうだ。

「ロミオとジュリエット」の曲もすぐに頭に浮かぶ有名な曲だけれど、いつだったか監督のパワハラ?セクハラ?問題でロミオを演じたレナード・ホワイティングが訴えた記事を見た。

名作と言われる映画にある裏話がブラックめいたものであると映画自体も何となく汚れた気がしてしまう。

このインタビュー記事はニーノ・ロータが来日して日本フィルハーモニー管弦楽団を指揮する自作のコンサートを開いたとき、「スクリーン」「キネマ旬報」が行ったものだそうだ。

恐らくこの時の自分は映画や映画音楽に夢中だったけれど、ニーノ・ロータが来日していたなんて知らずにいた。

毎月買っていた映画の本は「ロードショー」だったが「スクリーン」と双璧だったはずなのに今残っているのは「スクリーン」だけのようだ。

本の世界も奥が深いけれど、映画や映画音楽の世界もとても手が届かないくらい深い。

生きている間に知ることなんてほんの一握りに過ぎないのだろう。

映画館で映画を見た後は別の世界に行って来た感覚があるけれど、当たり前に家でDVDを見ただけで似た感覚を味わうなんて自分は安上がりに出来ている。

この後は昨日の「坂上どうぶつ王国」をティーバーで視聴しようと思う。

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