好きだったカン・ジファン

雑記ブログ
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曇り空ではあるけどストーブ点けるほど寒くはない。

このくらいの気温が過ごしやすい。

韓国俳優 カン・ジファン

カン・ジファンは韓国ドラマに夢中だった頃に大好きな俳優さんだったのに、事件を起していたんだ。

「カンの自宅は3階建ての豪邸です。屋上にはプールや温泉まであります。当日は昼間から複数の関係者と酒を飲んでいましたが、女性スタッフ2人が泥酔。部屋で寝ていたそうです。カンは彼女たちが寝ていた部屋に入り、カギをかけます。そして1人と強制性交、もう1人にはわいせつ行為を働いた……。

女性の下着に付着したDNAが、カンのものと一致したため犯行が発覚します。カンは準強姦および準強制わいせつの罪で、逮捕、起訴されました。裁判では懲役2年6ヵ月、執行猶予3年の判決を受けます。同時にカンは、120時間の社会奉仕と40時間の性的暴行治療の講義を受けることになりました」(同前)

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この一件で逮捕され、懲役と執行猶予の判決が下されると共に、出演予定のドラマに関連した損害賠償訴訟を起こされて争っていたようだが賠償金の支払いが決定した。

カン・ジファンのドラマはたくさん見ていて、秀作なのは「がんばれ!クムスン」だろう。

このドラマは自分が見た中でも長編で1話1話は短めだけれど展開が色んなパーツに枝分かれしているのにどのパーツも見応えがあった。

名優さんが脇を支えている中、カン・ジファンはまだ新人っぽくて、真摯に演じている姿に好感が持ててすぐファンになった。

このドラマでブレイクして日本にもファンミーティングで何度も来ていたと思う。

韓国ドラマを紹介するナビゲーターの人たちの番組でもカン・ジファンの人柄の良さを耳にしていたから、好感度はお墨付きだったはず。

事件を起こすまでにどんな心境の変化があったのかと思ってしまう。

人気や収入はうなぎ登りになっていってドラマも多数引く手あまたになって行くうちに、変わって行ってしまったのかな?

トラブルが多少あったのはニュースで知っていたつもりだけど、今回カン・ジファンはもう芸能界に戻っては来られないかもしれない。

両腕を警察官?刑事?に固められたカン・ジファンの姿にガッカリした。

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」

少し前に買った石井光太さんの本「ルポ 誰が国語力を殺すのか」を半分程度読んだところだ。

石井光太さんはいつもながらの鋭い指摘で今の日本の抱える問題に切り込んでいる。

国語力は「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」。

この国語力の低下が2000年以降問題化しているらしい。

ゆとり教育などがもてはやされた時期もあって授業内容が薄くなったことも原因として挙げられるが、1番の問題は家庭環境の変化が大きいようだ。

国語力が問題化し出した2000年頃からたくさんの社会変化が起こり、家庭にテレビゲームが普及し始めた頃の世代が親になっている時期なのだそうだ。

共働きが多くなり、時間も限られて子供に本の読み聞かせ、コミュニケーションをとったり出来る家と出来ない家とが出来てそういった差が子供の国語力にも出て来たと多くの教員が考えている。

他にも虐待やヤングケアラー、国籍の違うルーツの家庭等様々な問題があると言う。

読めば読むほど複雑な事案が絡み合っている感じだ。

ただ日本語を喋ることが出来ても上っ面しか使えず、言葉の裏とか言葉の奥、活字ならば行間とかが全く理解する以前の状態だということ。

『自らの言葉で考えて想像する力の欠如』・・・石井光太さんが問題を抱えた子どもたちに取材した際、今まで不登校・引きこもりになった理由が大抵「わからない」という答えだと言う。

抱えた問題を言葉で訴えることが出来ないから周りも手の施しようがないという悪循環で、問題が解決しないまま時だけが経ってしまう。

それが引いては大人になっても引きこもり化して、国が抱える問題の1つになっている。

子供はいつまでも子供じゃないから早く手を打つべきだけれど、日本の場合家庭にやたら手出し?をすることがためらわれる風潮にあってどうしても個々人の問題のままなんだ。

家庭環境というのは経済格差というよりも、親が子供にどう接しているか、親がどんな振る舞いを見せているかが国語力の鍵を握るとある。

親が自分の欲望のみで動いて子どもを放ったらかしにしている、親が過干渉で子どもがパンクしている家庭などもある。

家庭に踏み込むのは何か事件があってからというのが多いし、児童相談所も人手不足とどこまで干渉するかで難しいことが多い。

けれど「国語力」が弱いまま成長してしまうと世の中を渡っていけなかったり、言葉足らずがトラブルを招くことは必死のはずだ。

多分、世の中の犯罪はすでにこういった問題から起きているのかもしれない。

学校

学校のいじめを隠蔽しようとする体質や教員の不祥事は後を絶たないけれど、それでも子供たちと真剣に向き合う教員だって多いとは思う。

けれど国の方針が変わったり業務が多いなか子供たちの指導は止めることは出来ない。

本によると国の方針を決める文科省の役人・官僚はトップクラスのエリートであるから、躓く子供や劣悪な環境下の子供がいることなど理解出来ないし実態を把握していない。

幼い頃からの「言葉を使う」基礎的な能力が育たないまま、全てを学校に入ってから吸収出来るものではないということは現場の教員が分かること。

苦い思い出

小学校の国語の授業で思いだすのは5年生か6年生の時だったと思う。

自殺する人について理由を考えてみようという問いがあり、当てられた私は「生活が苦しくて自殺するのだと思います」と答えた。

すると担任の先生は一笑に付し「生活が苦しくて死ぬの?」と否定的だった。

言った私は今でも間違いとは思っていないがその場で嘲笑を買ってしまって内心傷ついた苦い思い出だ。

その時に思ったのはこの先生は恵まれた環境で育って、そうじゃない人もいることが分からないんだということ。

えこひいきもしっかりあった先生だから、自分はその対象外だったしこういった仕打ちはよくあったものだ。

でもそんな先生から学ぶこともあった。

先生でも経験していなくて知らないことはある。

先生も好きな子・気にいった子がいる、気に入らない子もいる、平等ではない。

先生という大人は上手に人を傷つける術を持っているから、関わらずを信条にして2年間でその時間は終わった。

罪を憎んで人を憎まずだ。

時計仕掛けのオレンジ・カッコーの巣の上で

子供はやがて大人になるから言葉でのコミュニケーションが取れずに違った方法それも過激になれば犯罪や事件や事故になってしまう。

実際に石井光太さんの本によれば、川崎中一男子殺害事件も言葉の足りなさから「ちょっと脅す」はずがエスカレートしてしまった面があって凄惨な結末になってしまった。

こんな事件が多発するようになったら大変だし、言葉を心で理解出来なかったらどうやって更生することが出来るものだろう。

後手後手で対処していくしかない状況になったら国の方針で最後は「時計仕掛けのオレンジ」や「カッコーの巣の上で」のように強制的に大人しくさせる処置なんかをしないかと心配になる。

そう思ったら近未来を描いた映画やSF映画は時代を先取りしているような、そうならないために警鐘を鳴らしてくれているような気がする。

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