昨夜の暑さはかなり堪えて、久しぶりに眠れない夜を過ごした。
何度か外に出て涼んでみたが、家の中に入るとこもった熱が一向に抜けないままだった。
アイスノンをもう一つ出してきてもあまり変わりはなく、こもった暑さが眠りを妨げた。
ハンカチでくるんだ保冷剤を脇の下に挟んでも、何の効果も感じないという最高に寝苦しい夜だった。
眠れないとは言ってもうつらうつらしているはずで、そんな日の翌日は暑かろうが眠ると思う。
それでも今日は少しでも気温が下がって眠れるといい。
ウォーキング
今日も早朝から仕事の息子を送ってから歩く。
公園付近を2回に分けて歩いてやっと5000歩はクリアしたが、今日はおまけみたいなものでちょっと歩いておいて夜しっかり眠れたらいいと思う。
やはり木陰は強い味方で1回目に歩いた時はかなり涼しく感じた。
ただ、その辺りにはミミズを良く目にしたから、踏まないように足元に用心して歩く。
ミミズも暑いと見えて、言い方が合ってるかどうかだが見るからに虫の息状態みたいだ。
小休止して2回目に歩いた先には馬の「ムホウマツゴロウ」がいて、今日も半分開いた出入口から顔を出していた。
「ムホウマツゴロウ」だなんて、何だか中途半端な名前だが、愛称はマツらしいから苗字はムホウなのか。
それかマツはミドルネームと言えるかもしれない。
名前を呼んでみても視線が合いづらいのは仕方ない。
人間で言ったら耳のあたりに目があるわけだから、視線を交わすでもない。
でもマツには四方が見えているのだろう。
歩きながら、考えたことは脇腹の贅肉も大事な自分の一部だということ。
食欲不振で夏バテしたら困るからとしっかり食べているから、今のところ夏バテの兆候はない。
むしろ水分は少しずつ頻繁に摂っているし、だからかズボンの両脇からはみ出た贅肉が気になる。
夏バテしないをモットーにしている故に、夏瘦せと裏腹に贅肉を増やしたかもしれない。
そんな危機感はあれど、体重計には乗っていない。
体重計の目盛りが小さいので、老眼の自分では読み取れそうにない。
だからといってタニタとかの体重計を買う気もなく、体重は特定健診とかで測ってもらうものと決めている。
体重も体温も滅多に測らなくて、余程じゃないと自分には必要ないものと思っている。
そんな気になる贅肉だけど、今もこれからも大事なのは健康。
老化と共に失われつつあるものが多い中、多少?の贅肉は自分にとって必要なんだと思って多めに見たい。
そんな理由付けをして、贅肉をこしらえた言い訳を歩きながら考えていた。
木陰の往復を繰り返して今日のウォーキングは終わりにした。
生活時間
自分の今朝の目覚めは3時少し前だった。
夜中に暑くて何度も目覚めては、少しでも体力を温存しようと横になって目をつむっていた。
だから全く眠れていないんじゃなくて、うつらうつらしていたと思う。
幼なじみの友人から来たラインには3時過ぎまで眠れなかったとあった。
時間的に友人は自分と入れ替わるかのような時間に眠ったみたいだ。
もともと自分みたいに8時に布団に入るはずもなく、普通の人なら恐らく10時とか11時頃が就寝となるだろう。
ドラマとか夜のニュースだとかも見るだろう。
でもそれでも3時まで寝つけなかったら、今の季節はしらじらと明るくなってくる。
普段から友人はあまり寝付けないらしく下手をすると1時間ごとに目が覚めるという。
けれど、睡眠薬は恐ろしいから使わないと言っていた。
一度処方されて睡眠薬を服用したら効きすぎてしまい、それが怖かったとかで以来薬には頼らないでいるらしい。
でも今朝まで眠れなかったら、やっぱり身体はキツイだろうと思う。
自分とはいつも起きる時間もかなり違うから朝の挨拶がてらのラインは、7時過ぎに送るようにしている。
友人からのラインは大抵10時を回る頃で、透析のある日は少し早くなる。
ラインの時間からも生活時間の違いを感じる。
今の自分の生活時間に不満というのではなく、息子は早朝からの仕事があったりするし性格上何でも早め早めになる傾向があるのも仕方ないと思っている。
休みであっても規則正しい生活を送れるのは、息子のおかげかもしれない。
でも許されるなら時間を気にせず、ダラダラと遅くまで起きて好きな映画を見たりしたいなんて思うことがある。
そんな生活を送れてる人なんて知る限り1人しかいないのだけれど…。
今は入院しているらしい友人のお母さんの1人暮らしの生活ぶりを聞いた時に、羨ましく思ったものだった。
「元気なうちに1人になりたかった」と言うのは実母が言っていた言葉だ。
母自身が身動き出来る時に1人になりたかったというつもりで出た言葉。
もともと行動的な人だったのに、父親の束縛でやりたいことも阻止されてきた母だった。
父親が亡くなった時には既に心臓が弱っていたから、束縛はなくなったけれど自由は得られず入退院の繰り返しだった。
実母の言葉が頭から離れないが、自分はまだ自由に時間が使えているはずなのだ。
それでいて人間はわがままなもので、自分はもっと自由になってみたいと思ってしまう。
けれどそれは贅沢な願いだということも分かっている。
ランチ会
今日はランチ会があり、先月が中止になったので2ヵ月ぶりだった。
11時半から始まったランチ会はお店が閉まる15時まで続いた。
友人たちの積もる話を聞いていると自由な時間などほぼないに等しい生活で、自分の思いがいかに甘えているかと思えた。
介護と仕事で埋まったような過ごし方を聞いていると、自分の生活など恥ずかしくて言えない気分になる。
それでいて皆パワフルで話が尽きないのだから、生き方がまるで違うようにすら思う。
次から次へと話題は出て来て途絶えることがないのは、この場がストレス発散の格好の時間だからだ。
そんな場で全くの異人種にすら思える自分だが、何とか話にはついていくようにしたつもりだ。
多分時間が許せばまだまだ話はあるのだろうけれど、お店の方から終わりを告げられてお開きとなった。
店内の冷房の強さに半袖の腕が冷たくなっていたが、外に出て見ると体中にまとわりつくような暑さは依然として変わらなかった。
夜になってどのくらい気温が下がってくれるか、今夜は眠れるくらいの気温だといい。
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