昨日は日中暖かくて晴れ渡っていたので、布団を干した。
布団を取り込んでから布団カバーを取り替えていた時、やたら暑く感じた。
それこそ更年期症状のホットフラッシュのように額からの汗が目に入りそうになってビックリ。
普段そこまで汗をかくことはないのにと思いながらも、布団カバーを取り外してカバーを付け替えるもなかなか紐が結べない。
元々リボン結びも苦手だし、次第にイライラして来る・・・暑いのも変わらない。
ふと、気づいたのは朝寒かったからお腹に貼ったカイロだ。
どうもカイロのせいで汗が吹き出していたようだ、イライラもそのせい?
カイロがないと困る身体だけど、昨日は20度位日中はあったから外さないと余計な体力を使ったみたいで疲れた。
ハナちゃんの容態
昨日の松居直美さんのブログでハナちゃんは数値的にも良くなくて、見るからに辛い状態のようだ。
直美さんの言い方ではハナちゃんは「とてもだるそう」らしい。
よくここまで持ちこたえて頑張っているものだ。
お別れが近づくのは悲しいことだけれど、こんなに心が寄り添っている2人に羨ましさも感じる。
誰かが亡くなって心が折れそうになるのも、それだけその人と深い絆があったからこそだ。
そんな関係が築けたら素晴らしいし、そんな人生が生きた証になるのだと思う。
自分なら心を乱されることが怖くて動物を飼う勇気は持てないだろう。
誰かと心を通わせられる人に、大切な思い出が与えられるのだろう。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について思うこと
何回か見返してみた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。
これはヌードルスの人生を少年、青年、老年時代に渡って描いている映画。
敢えて時系列をバラバラに映像化しているのでとてもわかりずらいけれど自分なりに考えてみた。
ヌードルスは少年時代から同じような境遇の仲間4人とつるんで悪さをする街中の不良といった風だった。
そこへもう1人、同じような悪さをするヌードルスより2才上のマックスと知り合い意気投合して更に仲間で悪だくみをしては少しずつ稼ぎ方を覚え力をつけていった。
稼げるようになったために恨みを買い、元兄貴分?から銃撃を受けた時、ヌードルスの仲間の1人が命を奪われてしまう。
仲間と逃げ惑う中で反撃に出たヌードルスは相手をナイフで刺し殺した上に、止めに入った警官も刺してしまう。
そこでヌードルスは捕らえられて、刑務所に向かう車を仲間が見送るところで少年時代は終わる。(この場面が冒頭ではない)
少年だったとはいえ、ヌードルスは刑務所での刑期は12年位あったのだと思う。
10年ひと昔と言うがヌードルスが刑期を終えた頃には、街も人も様変わりしていたはず。
ヌードルスは言わば昔話の「浦島太郎」状態だったと思うのだ。
刑期を終えて迎えに来たマックスに連れて行かれたのは、禁酒法中でも町一番のにぎやかさを誇っている酒場だった。
その酒場を仕切っているのが表看板は葬儀屋を営んでいるマックスたちであり、店主もマックスやヌードルスたちの幼なじみである。
いくら少年時代に一緒に悪さをした仲ではあっても10年のブランクがあるヌードルス。
マフィアの親分肌に押し付けられた仕事をヌードルスは断ろうとするが、マックスたちには長年この世界で凌いできた経緯があり「断わることは出来ない」と言う。
気持ちとは裏腹に押し付けられた仕事を仲間と共にするヌードルス。
さらには初恋の女性が女優を目指してヌードルスの元を去ったことへの失望。
そんな気持ちのささくれがいつの間にか「アヘン窟」通いでの心の解放に繋がったのだと思う。
やがて禁酒法の時代が終わりを迎え、いよいよ解禁されることが決まった。
この時、マックスが稼ぎ方を変えて生き残るために考えたのは連邦準備銀行の襲撃というとてつもなく無謀な計画だった。
マックスの愛人から無理な計画を止めて欲しいと相談されるヌードルス。
撃ち殺されるよりは生きて数年刑務所で刑期を終えることを望むマックスの愛人キャロルは、真剣にマックスを愛していたのだろう。
考えた末にヌードルスは知己のある警官に密告の電話をするのだ。
この電話の音が映画の中で随分印象強く残る設定になっている。
ヌードルスは気づいていない。
密告するために部屋に向かう様子をマックスがじっと監視していたことを。
後々ヌードルスはマックスやその組織に泳がされていたと分かる。
この密告の後に銀行襲撃を事前に知った警官隊との銃撃で3人が遺体となっている場面になり、ヌードルスはマックスを含め仲間3人が死んだと思うのだ。
私の解釈では3人の死を野次馬に紛れて見届けたヌードルスが、いたたまれない思いでアヘン窟に向かったのだと思う。
アヘン窟に入ったヌードルスの場面が映画のラストシーンになるのだがここで現実から逃避して、今見てきた悲劇を忘れ去るためにアヘンが必要だったと思うのだ。
そしてヌードルスの思い通りに世の中を全て忘れて、桃源郷のような世界へ向かった時にあの笑顔になったんだと思う。
ヌードルスの笑顔で終わるラストシーンから映画の始まりのシーンへと話は続く不思議な映画だ。
始まり
ヌードルスの恋人(デボラが去った後に出会ったと思われる)が2人の住まいに帰ったところで、待ち構えていた組織の人間と思われる人物にあっけなく殺される。
ヌードルスの居場所を聞かれ、恋人の女性は「分からない」と答える。
この女優さんがとても美しい。もっと出番があっても良かったくらい素敵な女性だった。
ヌードルスの思い以上に彼女はヌードルスを愛していて、密告までは知らずとも何か大変なことをする様子のヌードルスをいつまでも待つつもりでいた。
場面が変わりマックスたちの仕切っていた酒場の店主が組織の人間によって吊し上げられて、拷問にかけられている。
拷問シーンは好きじゃないが、どこかマカロニウエスタンを思い出した。
酒場の店主がヌードルスの居場所を血みどろの状態で「中国人の店」と答えたところで拷問は終わり、アヘン窟に組織の人間が乗り込みヌードルスを探す。
ヌードルスがアヘンで朦朧としていたのを中国人たちが、正気を取り戻させて何とか間一髪で追っ手から逃す。
組織に追われたヌードルスは拷問で血まみれ状態の酒場の店主(兼友人)に恋人がすでに組織に殺されたことを聞く。
更には店主に預けていた鍵で貸金庫を開けてみるとそこには大金はなく新聞紙が詰め込まれているのだった。
マックスや仲間で貯めたはずの大金は貸金庫に確かに入れてあったのに誰が手にしたのか・・・呆然としながらもヌードルスは駅で次の列車の切符を買いその場を去る。
初めて見た時はこの時間や空間が謎だらけで繋がらなかった。
少年時代のヌードルスたちが生き生きとしていて、不良で悪い奴らのはずだけれどどこか知性を感じるヌードルスをリーダーに仲間でつるんでいた時期。
初恋の人デボラがバレエの練習をする姿をのぞき穴から、見つめるシーンとか、他にも珠玉の名シーンとかが出てくる。
マックスとの出会いとそこから更に悪知恵を働かせて悪徳警官すらも脅してしまう。
悪さと賢さと純粋さが混ざり合っているところがいい。
老年期
35年ぶりに街に舞い戻ったヌードルス。何者かに呼び戻されたといっていいだろう。
結局マックスは警官隊との銃撃で死んだと見せかけて生きていたのだ。
しかもヌードルスの初恋の相手デボラとの間にヌードルスの本名を冠した息子の存在も知るところになる。
ヌードルスを呼び戻した目的とは。
別人に成り代わって政治の世界でも悪名をとどろかせたために命を狙われている今のマックス。
組織に命を狙われるか警察に逮捕されるしか道がないマックスにとっては親友ヌードルスに自分を殺して欲しかったのだ。
けれどヌードルスにとって今や目の前にいるのは自分の知っているマックスではなかったのだ、マックスは撃たれて死んだその時がヌードルスにとっての別れだった。
静かにマックスから去って行くヌードルス。
この場面がマックスとヌードルスの最大の見せ場であり、マックスが目指した頂点の頼りなさや虚しさが勝っていて残ったのは悲しみだけだった。
ヌードルスもマックスと築いた友情が最早過去のもだったと再認識したと思う。
マックスがなぜヌードルスから恋人や大金を奪い、かつての仲間の命を組織に差し出して自分は替え玉を使って生き延びたのか。
マックスが欲したものは何だったのか。
とても寂しいマックスの生涯が老年期には描かれている。
けれどヌードルスに関しては青年期26才を最後に35年間何をしていたのかは描かれていない。
「早寝をしていた」と酒場の店主に言っている。
ここでもヌードルスは「浦島太郎」のようだと思った。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はインターミッションがある映画だった。
何回も見ないとまだ把握出来ないでいるし、何回も見たい映画だ。
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