朝はちょっとだけストーブを点けた。
切り干し大根用に干した大根もいい具合に乾燥して来たので、今朝は更に大根を追加。
2日前から干している大根は乾燥して小さくなってきたので下の段にまとめて、上の段に新しくカットした大根を干している。
干してしまうと途端に小さくなるから1本を使っても量的には数十グラムなんだろう。
嬉しかったこと
ずっと探していた本がヤフオクで出ていて朝から嬉しさで舞い上がってしまい、早速入札に参加した。
と言っても自分のではなくて息子が欲しがっている本なのだけれど、実はヤフオクを利用するのは初めてのこと。
だから無事に落札できるまで何だか安心は出来ないでいる。
明日には結果が出るだろう。
朝からヤフオクの入札に浮かれていたので、せっかくブックオフに行ったのに自分が探そうと思っていた「満州アヘンスクワッド」の中古本があるか見てくるのを忘れた。
複数のことが考えられない頭が残念だけど、次に行った時には探してみようと思う。
ハナちゃんの容態
もう一つの嬉しかったことは松居直美さんのハナちゃんのこと。
今朝放送の番組「早く起きた朝は」ではハナちゃんが吐血や痙攣発作を起こした後の回復の様子を話していた直美さん。
録画だから奇跡的な回復をした時の様子が語られていたけれど、今の状態は数値が悪い方向になっている。
昨日は松居直美さんのブログの更新が夕方までなかった。
大抵は朝とか午前中にアップされていたけれど、ハナちゃんの容態からしたら仕方ないと諦めていた。
でも昨日の夜にブログがアップされていて、ハナちゃんの写真付きだった。
病院にも行ったらしいのと、少しばかり食べた様子のハナちゃんに「良かった」と胸をなでおろす。
直美さんの友人ご夫婦が病院への送迎を買って出てくれたそうだ。
ブログが更新されなくてもその日は松居直美さん宛ての「いいね」やコメントも尋常じゃなくたくさん来ていた。
そんな声に優しい直美さんが応えてくれたのかもしれない。
直美さんの負担になるのは悪いと思いながらも、更新されたブログで様子が分かるのは正直嬉しい。
「いいね」やコメントなどアクションはしなくても、自分のように松居直美さんのブログを見ている人は大勢いると思う。
だから今や松居直美さんのハナちゃんについてはたくさんの人たちが見守っている。
フォローはしていないがもう1人同じ名字の松居一代さんのブログを時々見るけれど、自分の興味とは別次元だからブログ自体が薄っぺらく感じる。
それは生き方や価値観の違いなんだろうと思う。
松居一代さんという人の年齢を重ねて培ってきた経験や生きる姿勢、その性格に共感出来ないものがあるのだな。
でも不思議なのはタレント部門で1位にいるらしいことだ。
松居一代さんを応援・心酔している人もいるみたいだが、「いいね」やコメントも松居直美さんと比べると遥かに数字が少ないがどういうことなのだろう。
「ルポ誰が国語力を殺すのか」
石井光太さんの本「ルポ誰が国語力を殺すのか」を読み終えた。
本の後半は国語力をつける実践をしている学校への取材が主だっている。
そこでは国語力を高めるために本物の体験(田植えなど)をさせたり、地理や社会といった他の科目との連携で視野を広めるなど、国語を全ての教科の中心に据えている。
国語力なくしては他者と関わったり、社会で働く上で何事も上手く行かないという考えが元になっている。
子供たちは与え方次第で色々吸収してそれはまさにスポンジが水を吸うように高い能力を身につけるようだ。
国語力に力を注ぐ学校が普通の学校と違うのは、生徒に「他人の意見をじっくり聞く力」「考える力」「考えを言葉にする力」を養うことに時間を割いていることだ。
「哲学対話」といって他人の異なる意見にじっと耳を澄ませて、自分なりの考え方を形成していくという取り組みは興味深い。
自分と意見が合わない、気が合わない人の話などは聞きたくないことが多いけれど生きて行く上ではそんな人の方が多いものだ。
けれど合う合わないはあっても、そこを認めたり折り合いをつけないとやってはいけない。
哲学という答えのない問いをいつまでも考え続けることも、なんだか自分には合っている気がする。
言葉にして話すことはいつまでも苦手意識があるがそんな学校に通っていたらもしかしたら、自分も違っていたかもしれない。
石井光太さんが取材した学校は私立の比較的裕福な家庭の進学先だった。
だから国語力に特化した授業が出来るとも言えるかもしれないが、学校だけで子供の国語力が育つものではない。
家庭内でどんな環境に置かれているのかも大切なことだ。
自分の子育て時代にはここまで普及していなかった携帯電話、それでも子供との言葉のキャッチボールが出来たかといえば怪しい。
休日のスーパーで買い物をする親子連れ、ぐずり出した子供さんよりもスマホ操作に夢中の若いお父さんを見てもそんな姿は今や当たり前になってしまった。
スマホだけが悪いんじゃないとは思うけれど、便利なものが出来て言葉のやり取りが希薄になりつつある。
家庭内でもスマホでの会話しかなくなって行くかもしれないが、国語力に取り組む学校で学び社会に出ていく子供たちもいることは救いだ。
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