暖かい朝だけれど曇っているから部屋が薄暗い。
暗いとそれだけで気分も重いけれど、まぁ適当にそれなりに朝のルーティンをやってしまおう。
タイピング練習
タイピング練習をしてもなかなか上達しないと嘆いていたけれど、それもそうかと思い直した。
原因は自分にあるんだ、文章を打つ時に予測変換を最大限利用していたからだ。
予測変換は凄く有り難い機能だけどその分、タイピングをしていないって事だからそれに今更気付くのも遅い、自分。
けれど今日からは極力予測変換を使わずに打ってみることにした。
タイピング練習もパソコンを閉じる前に懲りずに続けて行こう。
もの凄く早く打てるようになるんじゃなくてなるべく正確に打てるようになることが目標!
孤独とひとりの違い
昨日の「はやく起きた朝は」で森尾由美さんが初1人ランチの体験を語っていた。
とても満足の1人ランチだったようだ。
1人で何かするのは慣れてしまえばそれほど気負うこともないけれど、きっと初めはハードルが高いのかもしれない。
そして今朝この記事を見つけた。
最も孤独なのは「30代未婚者」1億総孤独の真相 「頼る相手がいない」人が誰もが陥る無縁地獄
「悲しさよりも不安のほうが大きい」
「死ぬのも生きるのも怖い」
「独りで逝くのが怖い」
「家族以外に頼れない日本」
東洋経済オンライン
記事によると最も孤独感があるのは30代の未婚者とある。
今や独身で一生を通す人は珍しくなく、仕事に専念してプライベートも充実している人が多いと思う。
自分の時代を考えてみると結婚が決まったら退職が当たり前だった。寿退職というものだ。
自分自身仕事にバリバリ精を出すなんていうOL(当時の言い方)じゃなくて、人間関係も日々うまく
こなせなかったから結婚が逃げ場だった。
ただ結婚したら孤独じゃないかと言ったらそこは相性が合うか合わないかで違ってくる。
結婚して子育てをしている間は忙しく過ごすことで見えないものもあって何とかなって来た。
価値観や考え方が違うとはっきりした今は協力が必要な時だけ互いに我慢をして、それ以外はなるべく距離をとって過ごしている。
相手をわかって寄り添っていくのが結婚だとしたら自分は出来ていない。
時間と共に分かり合えないなという諦めの方が大きくなった。
だから孤独と言えば孤独かもしれないが、それよりも今は1人で過ごす楽しさがあるのが救いだ。
孤独と言うと「寂しい」とか「悲しい」という気持ちを引きずっている感覚だけど、1人で何かをするのは充分に呼吸をしている自由な感覚だし楽しんで過ごせる。
1日のうちで1人になれる時間があることで毎日が救われているんだと思う。
1人で生きられるのかはまだ1人で生きていないから分からないけれど、1人になっても暮らしていけるお金と健康を持っていたいと思う。
そして必要以上に家族に頼らない自活が目標だ。
多分、皆そう考えているけれど現実はそう甘くないだろう。
「自分は結婚して家を買って、子どもを育ててというメインストリームから完全に外れてしまったという不安があるんです」(健二さん)子どもを望む理由は、「死ぬときに子どもがいないと看取ってもらえず、独りで逝くのが怖い」という恐怖もある。
東洋経済オンライン
自分は看取ってもらいたいとは考えていないし、独りで逝くのが怖いというよりも苦しまないなら逝くのは怖くないと思う。
それもまだ経験してないから言えることなのかな。
子どもがいても看取りはタイミングでなかなかドラマのように最後を見届けることは出来ない。
死ぬ間際にその場に誰かがいると限らないし、死にゆく当人はそれどころじゃないだろう。
誰かに看取られるよりも「1人」が自分には合っている気がする。
1人で生活することになるかどうかは分からないにしても自分の描く理想は、人に頼るような状況になったら持っているお金で介護老人保健施設に入ること。
集団生活は難しいけれど、背に腹は代えられない。
何とかこなしながら自分の部屋で過ごす時間を楽しみに余生を送りたい。
誰もが願うピンピンコロリは果たして自分に舞い降りてくれるか分からないが、出来ればそうなれるように今を生きるしかない。
家族に頼ることは出来る?
「家族以外に頼れない日本」と言っても実際に頼れるか、頼ってもいいのか・・・。親が高齢化している時には子どもは別の世帯で生活していたりする。
別の世帯はなくとも別の生活を営んでいたら、親が頼ったからと言ってその生活を犠牲にしてくれるとは思えない。
家族と言うのは夫婦仲良く子育てを上手くしていたら、家族関係も良くて頼れる部分もあるのかもしれないが自分はそんな自信はないから今更家族に頼るなんて考えもつかない。
それと自分の場合、発達障害のある息子が生きられるようにしておかないいけない。
せいぜい家族間の争いや揉め事、介護にまつわるに事件に発展しないようにしたいものだ。
これだけの高齢化社会だから事件は増える一方だが、自分がその一端にならないようにするためには頼らないこと。
亡くなった実家の母は要介護になったころから「女の子を産んで良かった」としきりに言っていた。
そして息子が2人の私には同情していたがその頃から、はなから息子を当てにする気はない自分だった。
息子を当てにせずにどこまで生きれるのかは分からないがやるしかない。
年を取るまで自分の老後を考えることなんてなかったが、親が逝ってその後は当然自分の番がやってくるんだ。
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