大晦日の午後に思うこと

雑記ブログ

12月31日大晦日だ、今日も気温は低いけれど穏やかな天気だ。

明日の日の出もキレイに見えるだろう。

20代の頃初日の出を車で見に行ったが特に感慨もなく見ていた気がする。

今は普通に日の出を見る機会は多いけれど昔と比べたらかなり感動する心境の変化、年を重ねたからかな。

冬は山並みも鮮やかでどうかするとあまりにキレイな山に泣きそうになる。

地方に住んでいたらどこにいても山くらいは見えると思うけれど、山の美しさで幸せを感じるのだからおめでたいかもしれない。

大晦日

さてと今年も残すところあと数時間になった。

今日から明日へ変わるだけなのに、たった1日を超えるだけなのに大層な準備に明け暮れる。

私も結構な年齢だが私よりももっと前の人はお餅つきだってやっていたのだから、大したものだ。

今はオードブルやお寿司を買ってそばを食べて年を超すのが当たり前でスーパーはお惣菜が満を持して並んでいる。

お正月も切り餅を焼いてお雑煮にして食べるのだから、楽なことこの上ない。

去年から自分のやり方でお正月を過ごせるようになった。

夫にしたら大事な親が亡くなって失意の底から今も抜け出せないでいるかもしれない。

日頃から私の料理に不満を持つ夫は、母親(私にしたら義理のお母さん)に食材を買って持って行き調理してもらったものを食べて満足していた。

私自身も最初から料理にケチをつけられ続けて、自信喪失のまま何十年も来ているから料理に対して頑張る気にもなれなかった。

何か作ってもどうせ「まずい」と捨てられることも多くて、自己否定されているのだから作って出すだけで気後れする。

でも、作った料理が多い時とかに幼なじみの友人に持参したりするようになって気づいたのはそれほど不味いものばかりじゃないってことだ。

幼なじみの友人は透析が週3回あるので当然忙しくて、食事の支度も大変だと思って作り過ぎた時に持って行くと友人もそのご主人も「美味しかった」と言ってくれたりするのだ。

果ては「美味しかったから実家にも持って行った」と言ってくれる。友人のお母さんも昔から良く知っていて「美味しい」と食べてくれると嬉しいものだ。

おすそ分けで少しずつ自分の気持ちが救われて行った。

幼なじみの友人だけではお世辞とも取れるかと思ったが、別の友人や妹や姉に持参しても美味しい時には美味しいと言ってくれたし、そうでないときもあったり。

そうすると夫の味覚にこだわる必要はないんじゃないかなと思い出した。

作ったものを下の息子に味見をしてもらい、OKが出たちょっとした安心感を得て息子が美味しいならいいやと思うようになった。

単に夫は「おふくろの味」が一番な訳でそれは当然なのだし、義理のお母さんに作ってもらえるだけ作ってもらえば私も楽が出来る。

そう思うと凄く気分的に楽で、夫が不機嫌で食べ物を捨てたりしても心から平気でいられるようになった。

食べ物を粗末に扱うのは嫌だとは思ったが、きっとそんな夫はそれ相応の仕打ちに合うと思って見過ごすことが出来た。

私に劣等感を持たせることが夫にとっては我が身が格上と思えるようだったが、最近はどうも私の方が出来ることが増えている気がする。

劣等感

劣等感と言えば姉妹間でも夫の話と似た記憶が甦る。

小さな頃は4才上の一番上の姉に随分虐げられたものだ。

私には何一つないろくでもない人間というレッテルを貼り付けてくれた人だった。

家族として家にいられるだけ有り難いと思え!と言われて来た。

そういう事は決まって両親のいない時に言われたり力を振るわれたりするものだ。

けれど大人になってみて、お互い家庭を持つ身になってみて姉がそれほどでないことが分かって来て子供の頃の仕打ちは何だったのかと思った。

姉だって仕事に就いていた時期もあるはずが私が知っていて姉が知らないこと、私が出来て姉が出来ないことがある。

一般的な常識も知らないでいる・・・。

あれだけ威張りちらしていた人なのにこの程度だったのかと内心思ったりしたものだ。

姉も私に劣等感を沢山持たせてくれたけれど、それが大人になってみて感じなくてもいい感情だったと気づいた。

だから出来ること、分かることは自分の向上になるからとにかく幾つになってもやってみることは大事だと思う。

けれど自信がつくことで自分が思い上がらないように気を付けて、少しずつ力を付けて行きたいと思っている。

人は心の支えが普通はあるものだ。

自分の親が亡くなった時私には悲痛な気持ちはなかった。亡くなった現実はすんなり自分の中で受け入れられた。

人は誰でも死んでいくものでその順番が来ただけという思いだった。

母親は父親の亡き後の4年間で相当数の入退院を繰り返した。

1年間の間に4,5回は入院していたし、お医者様からも数値が悪いためにかなり早くから延命治療についての打診もあったくらいだ。

けれど危険な数値と言われてからも驚異的な生命力を保ち、自分の足で用を足すことに強いこだわりがあって最期を迎える数日前もトイレまで行く人だった。

命の危険を早くに告知された割に長生きした母親だったので、私を含む姉妹たちは母の死に対して心の準備期間が充分だったようだ。

なので死を案外とあっさり認められたのかもしれない。

同じ時期にお母さんを亡くした知人が、亡くなったあとの心境を「地獄だった」と表現したけれど内心不思議だった。

でも夫にしたら母親は夫の全てで亡くなってからは、落ち込みから来る病気だったり怪我を夫自身が呼び込んだようだ。

アメーバブログを見ていると親を亡くして、うつ病を発症する人もいると言う。

心の落ち込みを克服するのは自分自身だと思うから時間が必要なのかもしれない。

あの松居直美さんも愛猫ハナちゃんを見送って気丈に過ごしていたけれどショックはかなりあったと思う。

立ち直るには時間がかかるものだがその経験がより人を強くする。

そう思うと夫も自分で何とか立ち直るしかない。

私にとっては機嫌が悪くなった時厄介な存在だが、まがりなりにも夫婦でいるから出来るだけ不機嫌にさせないよう、一緒にいないように過ごす次第だ。

夫婦と言ったって所詮は他人。

自分を大事に子供に迷惑をかけずに、時に自由を満喫していく。

大きな幸せは自分には似合わないから、小さな幸せを感じたら充分だ。

春にまた河川敷をウォーキングするのが今の望みかな、満開じゃなくちょこっとだけ遠慮気味に咲く桜を見ただけで幸せな気分になれるだろう。

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