今朝は予報を外れて気温は高かったようだ、顔も冷たくはなかった。
確か-20℃位の予報だったが蓋を開けたら-11.6℃と有難い。
でもうちの地域は気温の測定場所とは結構離れているからもう少し気温は低いかもしれない。
「アイランド」
スカーレット・ヨハンソンとユアン・マクレガーの「アイランド」という映画を見ている。
2019年の近未来SFものだがもう今年は2023年だから古い映画かな?
スカーレット・ヨハンソンは好きな女優さんだ。
モーガン・フリーマンも出ていた映画で脳の働きが異常に活発化して暴走する女性の役を演じていた映画が良かった。
アクションシーンとかが多くて、最強のパワーを発揮するヒロインが見ていて爽快だった。
自分が出来ないことをやってのける強いヒロインに憧れていたんだろう。
昔見たアメリカのドラマシリーズの「バイオニックジェミー」や「チャーリーズエンジェル」なんかも自分の中では忘れられない。
今回見た「アイランド」は不作の評価だったらしいが、私は楽しめた。
脇役で途中で殺されてしまう役の人が前にニコラス・ケイジ主演の映画で、やっぱり脇役で悪役で出ていた。
こういう人を見つけると楽しい。
監督はマイケル・ベイ、聞いたことがある名前だけど他にどんな映画を撮っているのか。
調べてみると凄い監督さんだ。
私が大好きな「ザ・ロック」の監督さんだった。
「ザ・ロック」はアルカトラズの刑務所が舞台。
こういう場面設定が大好きな上に、しかもショーン・コネリーが重厚で年齢が行ってから益々素敵になってジェームズボンド時代よりもカッコ良かった。
ショーン・コネリーは潜水艦の話の「レッドオクトーバーを追え」も良かったなぁ。
話が違う方向に行きそうだが監督のマイケル・ベイのことだった。
マイケル・ベイ監督は他にも「バッドボーイズ」や「トランスフォーマー」(シリーズ)、「アルマゲドン」、「パールハーバー」と多数の作品があるようだ。
「バッドボーイズ」の1本目は見た気がするがほとんど覚えていないし、多分他の作品もみたとしても忘れている。
本当に何でも次から次へと忘れて行くものだ。
そうやって人間の脳は退化していくんだろう。
今日の「はやく起きた朝は」
「はやく起きた朝は」の録画を見る。
磯野貴理子さんが出してくれた心理テストは自分も当てはまるかと一緒にやってみた。
当たってはいないと思ったがこういったテストは視聴者もテレビの前で参加出来るから楽しい。
松居直美さんが電車で座席を譲られた話がおかしかった。
座席を譲られたことがおかしかった訳じゃない。
その話の後、森尾由美さんが直美さんに対して補足しようとするのを直美さんが止めるといった2人のやり取りが年相応で笑えたのだ。
森尾由美さんは直美さんに年齢で譲られた訳でなく、レディファーストの意味で譲られたと言いたかったようだ。
そこまで言わせることを遮った直美さんとの掛け合いが、お食事代をご馳走する(払う払わない)で言い合うおばさんたちの構図そのものだった。
よく会計のレジでの中年女性同士の「いいから」「いいから」と譲らないやり取りを連想したのだ。
恐らく森尾由美さんの考え通り、直美さんは外国の方からレディファーストの意味で座席を譲られたとは思う。
3人での会話がどこにでもあるやり取りのようでいて、ほっこりする話題に日曜日の午後は癒された。
彼女たち3人はまだ十分に若いし、芸能人としても長く人気を維持し続けているのは好感度が良いからだろう。
「母さん」と呼ばれて
松居直美さんの座席の話から、そう言えば自分もちょっと気になったことを思い出した。
去年の始めに降った大雪の朝に息子を車で送った際、雪で車がスタックというのかな、立ち往生してしまった。
息子と2人で積んでいたスコップで雪を搔きだして、色んな方に手伝ってもらって何とか出発することは出来たのだが。
車を動かそうと乗り込む前に協力してくれた方の1人の男性が「母さん、」と呼びかけたのだ。
勿論自分のことだとは思いながらも一瞬「ん、」私じゃない誰かがいるのか?と後ろを振り向きたくなった。
男性はこの先雪に車が埋まらないように運転上のアドバイスをしてくれてとても有難く親切だった。
確かに息子を乗せていたから息子の母ではあるが、どうみてもそんなに若くない男性が自分に対して「母さん」と話すことに対して一瞬キョトンとなったのだ。
この非常事態にもかかわらず、見知らぬ男性が自分を「母さん」と呼んだことぐらいに引っかかるとは幾つになっても女性でいたいという表れ?
確かその朝は雪かきに専念して化粧もせずに出てきたから素のままの自分だった。
紛れもなく「母さん」だし、普段から誰にどう思われてもいいと思っていたはずだけど、どうやら潜在意識は違うみたいだ。
でもあの男性のおかげでその後雪に埋まることなく無事に息子を送り届けて、自分も帰りつくことが出来た。
読んだ本、見た映画はあっけなく忘れるのに、忘れたと思っていた言葉が甦る不思議。
あの時。「母さん」じゃなく「おばさん」と呼ばれてたら当たり前に反応出来たのだろうか?
考えてみるとそんな風に呼びかけられたことは滅多にないことに気づく。
自分が知らない人に話しかける時、「あのう」とか「すみません」くらいしか言っていないかもしれない。
孫はいないがそのうち見知らぬ人に「おばあちゃん」と言われることもあるだろう。
いや、相当な年齢になると男女の判別も難しくなることは分かっている。
怒ることなく冷静に対応出来る自分でいたいものだ。
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