朝から雨で割りと勢いよく降っている。
こんな日もあるのは仕方ないが街路樹のサクラはもう花びらが落ちているところもあった。
サクラの花の命は短い。
天気の良い日にサクラを見ながら気分よく歩きたいものだ。
どうでもいいことだけど、加藤清史郎クンがStray Kidsのファンでインスタグラムに写真をアップしている記事が出ていた。
自分もStray Kidsが好きなので何となく嬉しい。
それと「さかがみ家カフェ」がコラボ企画で来月半ばから6月半ばまで千葉県木更津市で行われるらしい。
きっとまた大盛況なんだろうと思う。
その宣伝のポスターというか告知のイラストの坂上忍さんのイラストがとても特徴を捉えていて笑える。
一体誰が描いているのか? ポスターだけでも入手したいくらいだ。
あの世の中を斜に構えて見ているようなイラスト、印象的だ。
煽り運転
車の運転で人が変わると言うが元々持っている性格が出るのだろう。
トンネルに入ると一変 あおり運転 恐怖の10分間
FNNプライムオンライン
普通に運転していても車間距離を取らずピッタリ前の車について走る車には不快感がある。
追い越し禁止のところだととにかく前の車にスピードを出せ!というように後ろに張り付く車を前方に見ると自然に車間距離を取りたくなる。
そんな車は追い越し禁止区間が終わった途端、待ってましたとばかり追い抜いて行く。
追い抜かれた車はホッとしているんじゃないかと他人事ながら思う。
自分もゆずり車線がある道路だとすかさず入って「どうぞ、追い越して下さい」と心から譲る気持ちでいっぱいだ。
車に乗ることイコール速く走るアイテムを手に入れた、自分自身が強くなった感覚なんだろうか。
自分にとっての車は安全に目的地に移動させてくれる手段であって、必要以上のスピードは怖くて出せない。
運転技術もなくいつまでたっても不安な気持ちと一緒に乗っている。
毎日興味半分でやっている「脳トレアプリ」にも、運転のゲームがあって前方の障害物を左右にかき分けてぶつからないように進むのだが必ずぶつかる。
車に乗るからには目的があって走ると思うが、そんなに急ぐ意味すら自分には分からない。
車間距離を取らない車の不快感は、レジ待ちで後ろに距離を置かず接近された時の不快感に似ている。
コロナが始まった時にしきりにソーシャルディスタンスが推奨されたのに、そんなことはお構いなしの人も一部にいたと思うし、今もいる。
小心者の自分だから「離れて下さい」なんて、ことは絶対言えないんだけれど、それでも「近い」と訴えたい気持ちとの狭間で気持ちが揺れる。
今よりもコロナが多かった頃、一度だけレジの方が「もう少し後方でお待ち下さい」と言ってくれてものすごく有り難かったことがあった。
でも車の運転だとお互いに動いてる最中、仲裁に入るものがあるわけでなし。
ただそういう訳のわからない行為をする人が一定数はいるということを認識するしかない。
高速道路の運転は絶対しないからそこで少し危険度は下がる。
スピードが出せないんだから高速道路を走れる訳がないんだけれど。
高規格道路はたまぁに乗るがそれでも緊張しながら運転する。
本当は運転せずに済む穏やかな日々を送りたいと思うが、きっとそれじゃ本来の怠けたい自分が出て来てすぐにボケるかもしれない。
そう考えると運転がボケ防止でもある。
タイヤ交換
明日の朝一番でタイヤ交換をしてもらう予約をした。
未だに寒くて毎年こんなに寒かったかな?なんて思いながら過ごしていたが、もういくらなんでも雪の心配はしなくてもいいだろう。
桜だって咲いている。
そう思って明日はタイヤ交換と冬用のワイパーも夏用に取り替えてもらう予定でいる。
でも今朝の友人からのラインでは今夜は雪が降るなんて言っているがまさか・・・降ってもすぐに溶ける程度だと思っている。
記憶ではすごい昔にGW中、雪が降ったことがあったはずだが。
友人のお母さんの認知症
毎朝ラインでやり取りしていて今夜は雪が降ると言っている友人。
透析のない日はお母さんのデイサービスを見学して、お母さんを連れての体験もしたりしている。
今朝のラインでは見学に行った先でお母さんが「帰りたい」の一点張りでしまいには泣き出して数時間で退散したそうだ。
透析のない今日はケアマネさんが2人来るとかで、相談するらしく毎日がお母さんのことで時間が過ぎる。
透析だけでも大変だと思うのによくやっている。
救いなのは双子のもう1人も今日駆けつけて話し合いに参加してくれることだろう。
双子のもう1人の友人も股関節手術終えたけれど、もう片側の手術も控えている。
それでも出来る限りお母さんの面倒をみる友人の家に頻繁に来て力になろうとしている。
お母さんの家の隣に住んでいながら一切タッチしない弟さん夫婦がもう少し協力してくれたらと思う。
他人事で自分が口出しすることではないから言えた立場ではないのだが。
でも妻に頭が上がらないような息子はあてには出来ないと言うことだ。
自分も息子に頼るつもりはないがそうは言ってもいつ何時何があるか分からないから、大きな事も言えない。
それでも自分が自分を守らなきゃという思いを強く持つ。
とは言え認知症はなりたくてなるものじゃなし、自分のこれからもどうなるか。
娘でも、息子でも頼りになる場合があればそうじゃない場合がある。
おすぎとピーコの認知症が有名人だったが故に話題になってあるが本当に他人事ではない。
過去は変えられないがこの先の未来は変えることが出来るにしてもどうしたらいいのか指南書があるでもない。
指南書があったところで人生どう転ぶかなんて誰にもわからない訳で、自分が良いと思ったことをするしかない。
それで運が味方についてくれるといいんだけれど……。
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