強風とランチ会

雑記ブログ

昨日の雨があがり、強風の音で朝早くから目が覚めた。

今日は息子の仕事休みで送迎はないのだけれど、車のタイヤ交換に行って来る。

風は猛り狂うかのように勢いよく吹いていて、本当は家に閉じ籠っていたい気持ち。

でも今日は久しぶりのランチ会の日でもある。

人付き合いが希少になりつつある自分だ。

時には数人の集まりも億劫がらずに行こうと、我が身を奮い起たせる。

たかがランチ会なのに大げさかもしれないが、数人になるとどうしても自分から話すことが苦手だ。

もともと響かないというか通らない声が掻き消されて、結局聞いてる方が無難になる。

それはそれで色んな出来事を聞いているだけで楽チンでもある。

会えなかった期間に入院してた人もいるし、親の介護で大変だったりしていると思うから、そんな近況を聞いてくるつもりだ。

でも思うのは結局自分から特に話すような話題も無いのが本当だ。

自分の心の奥底を言えることはないにしても、上澄みは大した変化がない日常で話せるような出来事はない。

でもこれって自分だけに限らず誰でもがそうかなって思う。

だからこそここで心をさらけ出してる訳で。

人は色んなものを背負ってると思うけどわざわざ「実はね…」なんて話す必要がないのが人付き合いのいいところ。

少し風の音が静かになった気がするが止んだのか、それとも小休止なのか。

早くおさまらないかなぁ。

認知症疑いの患者からの寄付

認知症の疑いがある患者に高額寄付をさせたと遺族が訴えている。

もし認知症の疑いがあって正しい判断が出来ていないとしたらそれは問題だ。

3億円寄付は無効と提訴 「認知機能低下に便乗」金沢医大に90歳患者遺族

THE SANKEI NEWS

しかも3億円だなんて高額で遺族にしたら大変だ。

高額寄付をする位だから立派な会社社長さんだった方だ。

寄付という善意がご本人の誠意からじゃなかったとしたら・・・病気で判断が怪しい状態だとしたらそれはマズイでしょう。

寄付もボランティアも自己満足の1つだと思っているが、認知症を患っていたとしたら自己満足すらしていたか怪しいところだ。

お金は多過ぎても厄介ごとになるし、少なすぎたらそれも困るし生きる分に帳尻が合うといいんだけど。

特殊詐欺とは違うとしてもこの病院への大金の寄付はどこか似通ってる部分がある感じだ。

認知症になる人はこれからも増える一方だとしたら、お金の管理も安心出来る人に託す必要がある。

発達障害を持つ息子にしても自分が管理 出来なくなった時には成年後見制度だかを考えなきゃいけないだろう。

そう思いながらも今のところ頭にあるだけで動いてはいないが。

誰に託すとしても信用できるか、自分がいなくなってしまったらそれこそ分からないことだ。

自分に何かあった時とかは、なるべく考えたくなくて後回しにしてしまう。

大事なことだけど学校の宿題をギリギリまで手をつけない発想と同じだ。

ランチ会

2ヶ月ぶりになるランチ会、12時からラストオーダーを告げられた14時半までしっかり話し込んでいた。

自分は特に変化はないが、皆ストレスという精神的疲労がかなり溜まっているんだと思う。

介護には終わりが見えないからそれも仕方ないことだと思う。

親の話やご主人の話で興奮が高まって大声になるのも普段頑張っているから仕方ないのだろう。

誰一人悪いわけじゃないのだが、出来たら個室だと周りの目が気にならなくて安心なんだけどな。

ただ混雑した店内で、同じように数人で来ている方たちも時折嬌声が聞こえて来たから安心したものだ。

人は話すことで物事が解決しなくても肩の荷が降りるから、少しはリフレッシュになる。

でも毎度のことだが段々と数人で過ごすことの疲労感が自分に出てきて、お店の人が来てくれてホッとしたのが本音だ。

今の自分が同じように介護に明け暮れていない分、同調することは出来ないがそれでも大変なのは分かる。

介護度が重くない方が口八丁手八丁というか、口うるさい分大変だったりするからきっと嫌なことが多いのだろうと。

認知症じゃなくてもある程度年齢が行くとまだらボケもあるし、きっと自分の親に腹が立つこともあって自分の親だからこそケンカにもなってしまう。

友人たちの話を聞くだけしか出来ない。

それでもいつか終わりが来るのだからその時を待つしかない。

とにかく自身が元気でいるために自分を守って欲しいものだ。

アバター

例え人工的なものでも素敵な考えだなと思った。

死が「永遠の別れ」ではなくなる未来

この技術により、人が亡くなる前にアバターを生み出しておけば、その人は画面上永遠に生き続けられるという——。

TABI LABO

親や祖父母など大切な人を日々記録しておいて、死後にそのデータからその人の意識をコンピューターでアップロード。

肉体的な死後も画面上では生き続けられるという。

悪用とかではなくて思い出として時々、画像で(動いたり話したりもするのだろう)会えるのはロマンチックな気がする。

両親の写真などが特にあるわけではないが、亡くなる間際よりも元気な頃の姿を頭に思い浮かべること出来る。

不思議だがきっと自分の思い描きたい両親の姿が記憶となって残っているのだと思う。

それが画像になって音声まで再現されたら一体どんな気持ちになるだろう。

大切な人を失くして意気消沈しているなら、もしかすると励ましになるかもしれないし例えアバターでも心の支えになるならいい気がする。

この機能を利用して息子に遺言兼生活やお金の管理を指南出来たらいいと思う。

毎月のルーティンを教え込むとか…それって今やればいいことかも。

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