昨日で取り組み始めて91日目のスマホの脳トレアプリ。
書類仕事を切り上げて暑さで少しくたびれて気分転換でもと思い、脳トレアプリに取り組んでみた。
すると思いの外、いつもより出来て3種類のテストのうち 2種類で新記録が出た。
テスト結果は相当する年齢が最後に出るのだがアプリの女性が「初めての20代、若返ってますね」と励ましてくれた。
アプリ内の人とは言え、褒められると嬉しいものだ。
これで調子づいてまた次へと励むことになるだろう。
そして今朝もウォーキングの後に脳トレアプリに張り切って挑戦したところ、59才相当という年齢結果だった。
今回は新記録も出たが最低記録も更新してしまい、これが実力だと納得する。
昨日の20代相当という成績がまやかしか、幻のように消え去った。
今日のウォーキング
今日はかなり暑くなるようだが、幸い暑くなる前にしっかり歩くことが出来た。
道の両側の草がどこまでも刈られていてスッキリ、高校球児の頭のようにさわやかだ。
そんな中、時折腕を後ろに振ることを意識したりしながら、鳥の鳴き声とスマホの曲を聴きなからのんびり歩く。
朝のうちは風が心地よくて汗もかかずに歩いた。
昨日も暑かったけれど夜には涼しくなって窓を閉めて眠ったが、段々と夜も気温が下がらない日も来るのだろう。
水分も多めに摂るようになって夜中に起きてトイレに通うことが当たり前になった。
けれど水分補給が出来ているせいかこむら返りは起こらなくなった。
痛い思いをするよりは夜中に1回のトイレ通いくらい良しとしなきゃと思う。
そう言えばトイレを「ご不浄」とも言うことを向田邦子さんの本で知った。
厠という言葉は聞いたことがあったがトイレを表す言葉は沢山あるらしい。
「不浄」を丁寧に言うから「ご不浄」となるようだが主に女性が使うらしく、向田邦子さんの育ちがわかる気がする。
何でも検索
悲しいことに…朝のうちに買った野菜の名前が出てこない。
思い出せないけれどクックパッドで浅漬けを作るのにその野菜の名前を打たないとと思う。
仕方なく「大根に似た丸い野菜」と打って検索したら「かぶ」と出てきた。
本来なら何としても思い出すことがボケ防止になるとか聞いているのに、悠長に待っていられない。
浅漬けが浸かる時間が欲しい。
これで「かぶ」と「きゅうり」を使った浅漬けが作れるが、それにしても「かぶ」という単語すら出てこないなんて情けない。
午前中の買い物がいとも容易く忘れられるとは、老化の一途を辿っているんだと実感。
でも何でも忘れるから逆にストレスもたまらないのかもしれないといいように考えることにしたい。
「父の詫び状」を読み終える
向田邦子さんの「父の詫び状」という表題のエッセイを読み終えた。
しっかり読み取った自信はないが昭和の時代の生活と、きちんと育てられた向田邦子さんの家庭環境は読み取れたと思う。
向田邦子さんは飛行機事故でお亡くなりになったのだが、エッセイには飛行機に乗る場面も良く出て来てあちこち旅行されて好奇心旺盛な方だったようだ。
けれどまさか飛行機事故が本当に起こるとは思いもよらないはずで、それでも危険な旅もあったらしいことがエッセイでは語られていた。
澤地久枝さんとの南米アマゾンのジャングルへの旅では、飛行機が無事に着陸するかハラハラした模様。
この旅で澤地さんは飛行機の離着陸に際して、ご利益を得られるよう願掛けをしていたと向田邦子さんが記している。
自分が共感した部分もあった。
向田邦子さんは4人兄弟、自分も4人姉妹で頂いた食べ物は等分に分け与えられることが多かった。
どんなものでも4等分だから切り分ける母親の手元を目を皿のようにして見定めていたところが似ていた。
少し違うのは自分の場合は大きなものを選べば後で姉から叱られるから、そんな不遜なことが出来なかったこと。
いつも姉の視線を伺っていた。
向田邦子さんは長女だが兄弟ゲンカ程度で普通の仲で育ったのだろうと思う。
黒柳徹子さん
何で読んだか忘れたけれど黒柳徹子さんの逸話も思い出した。
黒柳徹子さんが森繫久彌さんだったか渥美清さんだったかとお食事をした時のことだと思う。
物のない戦時中を経験した黒柳徹子さんが出されたものをすぐに「1人〇個ずつね」と言ったことを不憫に思ったような話があった。
黒柳徹子さんが森繫さんだか渥美清さんだかに、好きなだけ食べるように促されたような話だったと記憶している。
今の家庭では有り得ないような逸話だが、分けて食べることが子供の頃は当たり前だった自分の世代は1人に1個というのはなかなかなかったと思うのだ。
人は育ち方も大きく影響するのは確かだと思う。
黒柳徹子さんと向田邦子さんは親しい間柄だったようで、エッセイの中には黒柳徹子さんが出て来る。
向田邦子さんの家の留守番電話に黒柳徹子さんが何度にも分けて話して来たその回数が尋常じゃなかったことは、黒柳徹子さんらしいと思った。
その他にも森光子さんだとか、知っている名前が出て来るのも懐かしいし、海苔巻きの端っこが好きという向田邦子さんに共感したりした。
向田邦子さんによると子どもの頃の思い出などは一つ思い出すと次々と記憶が蘇って来るらしいのだ。
自分は子どもの頃のことは敢えて思い出さないように封印してしまった気がする。
幼なじみの友人と話しても子どもの頃の思い出を「あの頃は良かったよね」と言われる時、頷きはするけれどどうにも同じ気持ちになっていない自分がいる。
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