いよいよこちらも本州のように熱中症警戒アラートが出た。
地球温暖化のせいで暑いのも仕方ないのかもしれないが、「地球温暖化」という言葉はちっとも今の状況をうまく言い表せていない言葉だと思う。
一体誰がこんな言葉を名付けたのか。
温暖というのは「温暖な気候」と言い表すように、温暖と聞いたらいい事だと思ってしまうはずだ。
温暖な気候の地域なら住みたいと誰もが思うのだから、「地球温暖化」という文字にしたら地球全体がいい気候になると勘違いしがちになると思うのだが。
自分にのようにのんびりと生きていると切羽詰まった気持ちに拍車はかからない。
もっと地球の危機的状況を表して、字を見るだけで「そりゃ、大変だ!」と思うくらいにしてくれないと。
以前から耳にはする「カーボンニュートラル」という言葉もいつまでたっても、頭に入らない。
自分にとってのカーボンは複写に使うあのカーボンで指に黒くつくあのカーボンなのだ。
そんなカーボン紙を知らない時代の人がほとんどかもしれないが。
温室効果ガスがどうとか検索すると出てくるが、”脱炭素”を目標に排出量と吸収量の平衡・循環を目指すとか難しい。
ニュートラルという言葉は車のマニュアル車のあのニュートラルの感じに捉えてもいいのか。
カーボンニュートラルをカーボンオフセットという言い方もあるがどちらもカーボンがつくからどうしても複写の黒いのを思い出してしまう。(赤も青もある)
分かる人には分かるのだろうけど、もっと大人も子どもも一目見て分かる日本語で周知していたらこんなに気温や災害が酷くなる前に手を打てたかもしれないのに。
少し前に読んだ新聞の編集余禄で、もうすでに手遅れかもしれないという文章にその思いは強くなった。
日本語の理解は難しいと実感するが、誰にでもわかりやすい言葉で説明するのもとても難しい。
ビッグモーター
ニュースで大きく取り上げられている割にはビッグモーターを聞いたことがないと思って調べると、大手中古車販売(買取)店だそうで、といっても我が町にはない企業だった。
札幌には数店舗あるようだが、何とも酷い経営だったらしい。
修理に出す車を更に故意に傷つけるというから、その手口は汚いし悪意に満ちている。
営業のノルマを達成するために行われていた不正らしいが、ゴルフボールを靴下に入れて振り回すなどの他にも多数の傷つけ方が記事に出ていた。
こんなことを普通にいつもやらされていたりやっていたら、神経がマヒして悪いことだと思わなくなってしまうのかもしれない。
異常な行為も日常的にしていたら当たり前になるとしたら、精神的にも人格が変わってしまいそうだ。
保険金を不正に請求していたことも判明し、その保険金請求先である損保ジャパンからのビッグモーターへの出向者が数十人になるという。
持ちつ持たれつの関係ということだろうか。
自分が入っている自動車保険は損保ジャパンで、亡き親の知り合いがまだ今の社名になる前からの付き合いで加入している。
亡き親の知り合いの方も既にこの世にはいないから、こんな不正を働いていた保険会社とは縁を切ってもいいと考えてしまう。
多分、保険会社とビッグモーターとで結託していたと思うしこれからいろいろと炙りだされて来そうだから様子を見たい。
それにしても世の中、汚いことが多い。
札幌すすきのホテル事件にしても被害者は単なる被害者ではなかった様子が出てきている。
昼と夜の顔が別なのはいいが、相当厄介な人物だったとしたら前にも思ったが“身から出た錆”じゃないかと思う。
町内会だかの役員もしていたとからしいけれど、裏の顔が恐ろしく違っているなら“ジキルとハイド”だ。
こうやって次々と新たな事件が起こるから、あの木原官房副長官の妻に関するニュースは静かに隠れていられるのだと思う。
小学校の夏休みの思い出
昨日のランチ会で小学校の夏休みには学校に泊まる行事があったという話になったが自分にはそんな記憶がなくて、今朝のラインで幼なじみの友人に確認してみた。
やっぱりキャンプもどきはあったらしい。
キャンプでご飯を炊いたこと、キャンプファイヤーをしたと返信があった。
小学校の頃の夏休みはとても辛かった記憶ばかりで、親は仕事で早く出かけて行き姉からどんな暴力を受けるかと思うと早く宿題をして家から出ることだけを考えていた気がする。
確か外出していい時間も決まっていたからそこの所は杓子定規に守っていた。
行き先なんてどこでも良かったからとにかく学校のグランドや近くの友達とも言えない友達の家に行ってみたりしていたものだ。
小学校の高学年頃に幼なじみの友人に出会い、その頃から友人の家にも遊びに行くようになった。
自分の家と違ってお母さんは家にいて(その頃はどこの家にも大抵お母さんはいた)おやつを出してくれてお母さんはどこかのおばさんといつもお喋りしていた。
当時は自分の家以外は割と専業主婦の人ばかりで、その雰囲気が親に守られているようで羨ましかった。
学校自体も楽しくなかったからキャンプの記憶もないのだと思う。
夏は子供の頃を思い出すといい事はなかったけれど、今から好きになればいいと思っている・・・こんなに暑い夏だけれど。
でも最近思うのは昔の辛い記憶がある意味で自分を支えて来たというか、ちょっとした瞬間・時間を今は幸せと思える自分にしてくれたんだとも思えるようになって来た。
それに暴力を振るわれる方は経験したが、暴力を振るう方にも何らかの理由がある訳でその暴力で姉の気分は晴れたのかとふと思ったりする。
一体どういう心境になるものか、暴力でスッキリするものなのかそんな心理状態を考えたりするが当人に聞く訳にも行かない。
自分自身も相手にどんな不快感を与えていたのか分からないが、きっと可愛げのない子どもだったんだろうと想像する。
それでも自分が一番大事に思えることは何というか生きる上で励みになっている。
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