昨日はたっぷり眠った感じで4時頃に目が覚めた。
二度寝すると寝過ぎることになるからスマホで遊ぶことにする。
朝の家事をしながら米のとぎ汁で大根を下茹でして、洗濯を終えた洗濯機を今日は洗濯することにした。
年内は洗濯槽の掃除はこれで終わりにするつもりだ、そう言いながら頻繫には掃除しないが。
咳き込みもだいぶ治まって来て今週はランチ会があるから、この分なら風邪も治りきっている。
風邪が治ったと同時にインフルエンザワクチンの予約をしたいと思い、いつもワクチン接種している病院に電話したところ来週30日から摂取を開始なのだそう。
30日は既に予約がいっぱいで翌31日で予約を入れて、もうそんな時期なったかと冬に構える気持ちになる。
予防接種をしても罹る時には罹るけれど、出来るだけ軽く済みたいと思う。
昨日アメーバブログをチェックしていたら思いがけない情報に驚いた。
もんたよしのりさんが死去したという・・・。
大動脈瘤解離
もんたよしのりさんが大動脈解離で亡くなられたとうニュース、自分の青春時代に「ダンシングオールナイト」が流行して今でも曲が頭をよぎる。
もの凄いハスキーボイスで、自分はどちらかというと透き通るような声が好きだけど「ダンシングオールナイト」は好きな曲だった。
ハスキーボイスといえば中村あゆみとかボヘミアンを歌った葛城ユキだとかは、どちらかというと苦手で聞いているこちらが苦しくなりそうに思ったものだ。
もんたよしのりさんが亡くなった死因が『大動脈瘤解離』だという。
実母は心不全の症状で入退院を繰り返していたが、晩年は『大動脈瘤』が大きくなっていていつ破裂するか分からないと言われていたものだ。
『大動脈瘤解離』と『大動脈瘤』はどう違うのだろうか?
大動脈というのが動脈の中で最大の動脈ということはわかる。
心臓から体に酸素と栄養を含んだ血液を運んでいる重大な臓器であり、この大動脈に起こる『大動脈瘤解離』と『大動脈瘤』という似ているが別々の病気がある。
『大動脈瘤』
心不全の症状で入退院を繰り返していた実母だが『大動脈瘤』もあり、実母の場合は”腹部大動脈瘤”で検査するごとに大きくなっていた。
大動脈というのが人の体には4ヶ所にあるそうで、①胸部上行②弓部③胸部下行④腹部の中で実母は④の腹部だった。
実母の状態は『大動脈瘤』の手術が必要とされる5㎝に近かったらしいが、高齢なのと心臓の働きがかなり弱くなっていたので積極的治療はしないことに決まった。
病院の医師からはいつ何が起こってもおかしくないという覚悟を促されていたのだと思う。
心臓が止まるのが先か『大動脈瘤』が破裂するのかといった見立てだったと。
ただそれから実母は1年以上持ちこたえ、『腹部大動脈瘤』が破裂することもなかった。
『大動脈解離』
もんたよしのりさんの死因である『大動脈解離』はと言うと、血管の一番内側にある内膜に亀裂が入りそこから一気に血液が流れ込み次の中膜が裂けて剝離を起こしてしまう病気だとある。
大動脈は外膜・内膜・中膜の3構造になっているそうだ。
『大動脈瘤』は大動脈が拡張してしまう病気、『大動脈解離』は大動脈が解離してしまう病気ということ・・・と調べながら分かったような分からないようなだ。
『大動脈解離』も『大動脈瘤』も予防にはコレステロール管理が大切で、何故なら高血圧が原因だから。
実母はもともと高血圧でおそらくは50代になる前から血圧の薬を服用していたし、食べるものも昔の人らしく塩辛いものが多かった。
毎年今くらいの時期になると夫婦2人暮らしなのに漬物を漬けなきゃと、管内の農家まで大量の野菜を買いに行くのに自分は付き合ったものだった。
昔の人は(すでに自分もその域なのだが)保存食として漬物は欠かさないようだったが、今はあまり大根を干している家の風景なども見ない。
何が原因で死に至るかは分からないが、いずれその時が来るのだから食べたいものを無理に我慢することはないと思うが、思い出しても実母の漬物は自分には塩辛いものだった。
「シン・老人力」
これは精神科医の和田秀樹さんの著書「シン・老人力」の内容を紹介した記事だ。
和田秀樹さんの本は数冊読んだのでこの「シン・老人力」は買うつもりはないがおそらく前に読んだ「60歳からはやりたい放題」や「80歳の壁」に近いことが書いてあると思う。
どちらの本も前向きになれる内容だったので、気に入った部分だけ抜き出してノートに書きとって時々見たりしている。
【精神科医・和田秀樹の「口グセ」にしたい言葉】「いいことがあるぞ」
どうなるかわからない結果についても、悪い想像ではなく、いい想像をする。そうすることで行動は積極的になり、考え方は楽天的になります。
これは脳にも心にもとてもいいことです。
サライ.jp
何でも楽観的に考える方ではないがそれでも小さな幸せはちょくちょく見つけるというか感じることがある。
屋根のある温かい場所で布団にくるまって寝られること自体、今の日本で暮らせて幸せに違いない。
些細な不満も口にするが結局のところは人間は満足することを知らないから、ついつい不満を思いつくだけだ。
満たされていることを忘れて不満を口にするがよくよく考えたら、幸せはそこそこある。
自分は若い時よりも年を重ねた今の方が気持ちも安定して、老化はそれほど悪くないと思っている。
でも逆に老化を喜ぶように言うのは負け惜しみとも捉えられそうで、微かな不満を言う事もあるが内心は「悪くない」と思うのだ。
幸せは口にすると自慢になる気がするし、それは嫌だから自分だけが思うにとどめている。
大きな幸せよりも小さな幸せを感じることの方が自分には合っている。
大金を手に出来なくても食べて行けるくらいのお金が生涯あればいい。
和田秀樹さんの本の題名「シン・老人力」の『シン』はやっぱり「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」とかから来ているのだろうか。
『シン』の意味は確か”新・真・神・進”など様々な意味があるらしいが、どれに当たるのだろうか?
自分としては”進”がいい、死ぬまで前向きに進むといった感じだろうか。
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