インフルエンザの予防接種

雑記ブログ

天気は晴れるらしいが今のところ曇り空、朝は霧もあって小雨混じりだった。

ウォーキングは今日は少なめに住宅地を歩くがさほど寒さは感じない。

とは言ってもお腹にホッカイロを貼っている自分だ。

最近は朝は曇りでもお昼近くなって晴れてくる。

空気もカラッとしていて暖かい。

全国的に気温は高めのようでこのまま雪が少なくて暖冬になればいいなんて甘い考えを持つ。

インフルエンザの予防接種

すでにインフルエンザの流行で休校・学年閉鎖・学級閉鎖もあるというからいつもよりも早い兆しだ。

コロナも怖いけれどインフルエンザも高熱が出るし出来ればなりたくない。

今日は午後から息子とインフルエンザの予防接種を受けて来る。

息子を迎えに行って待つ間に自分の熱を測ってみる。

1度目の測定では35.4度、右で測ったので今度は左で測ると34.9度だった。

コロナワクチンの副反応やコロナに罹患した時以来の測定だが、何だかあまりにも低いので再度右で測定。

3度目の測定で35.8度を記録して、何とか自分なりに納得する。

出来れば36度台がいいけれど平熱を上げるにはどうすればいいのか。

歩いたりスクワットをしたり白湯を飲むという一般的な事はやっているつもりだが、加齢の方が先を行っている結果だとしたら残るは養命酒を飲む事かな。

午後、予定通りにインフルエンザワクチンを打ちに病院に行く。

接種時刻より20分位早く着いてまだ誰もいなかったが、問診票を記入していたら数人やって来た。

自分たちは64歳以下の用紙に記入していたが、後から来た人も当然のように隣の席で記入し出した。

オレンジのパーカーにジーンズで白髪の男性だったがすらっとしていたし64歳以下なんだろうと思った。

記入した用紙を受付のケースに置いて椅子に座って時間まで待つ間、オレンジのパーカーの男性が「一般(のワクチン)は高いんだなぁ」と言う。

その時にもしかしたらワクチンが安くなる年齢なのかなと思ったけれど自分が関知することでもないと聞き流していた。

ワクチンの接種時刻が近づき受付の人が対応し始めると、お隣の男性は名前を呼ばれて65歳以上の人が記入する用紙を示されて書き直していた。

人は見た目じゃわからない。

もうお1人の男性も65歳以上の用紙を渡されていたが、とても後期高齢者(80いくつと聞こえた)とは思えない若々しい感じだった。

外見はお二人とも若いのだが、記入する用紙の間違いや記入漏れを指摘されていた。

自分も気を付けているつもりでも間違ってしまうことがこれからは今以上に増えるんだろうと思う。

今だって抜けているところが多いのに・・・『ぬけ咲く』と何かのドラマで秋野太作演じる人物が呼ばれていたことを思い出す。

日大で臨時の理事会

昨日日大では臨時の理事会が開かれていたそうで、林真理子理事長が車に乗り込む際の写真が載っていた。

ちょうど「週刊文春」で林真理子さんのエッセイを読んだばかりで『眼瞼下垂』であることを知ったばかりだったから写真を見て納得した。

納得すると同時にとても心配になった。

外出するのだからお化粧もしてるのだろうが腫れた目元といい、顔つきもとても憔悴しているように見えて心配になった。

世間は嘲笑すればいいが、いくら責任のある立場とは言え問題を投げ出すことなく連日の会議や報告書等で休まれていないんじゃないかと思う。

日大が「臨時理事会」 林真理子理事長ら出席 アメフト部“薬物事件”めぐり第三者委員会が報告…再発防止策など発表へ

FNNプライムオンライン

日大の執行部が総辞職すればいいというコメントも見るが、新しく人事を担う人がいると簡単に考えているのだろうか。

まずこれだけの不祥事が続く大学の刷新を引き受けるような、我が身を粉にして働こうとする人がいるとは思えない。

要領の良い人程避けて通る地位だと思う。

健康が自慢の1つのはずの林真理子さん、一瞬の写真だけでの判断は誤りがあるかもしれないがどうか無事に乗り切って欲しいと祈るばかりだ。

林理事長の対応「著しく不適切」 日大第三者委指摘、処分にも言及

 一方で、「巨大な組織であることに鑑みれば、これは理事長個人の責任というよりは、理事長が正しく判断することができる組織的対応の問題」とも記した。

朝日新聞デジタル

嫌いな人

tik tokを見ていると嫌いな人に対する考え方みたいな指南があった。

おまじないのような言葉を唱えるといいらしく、「○○からの学びは終わりました。ありがとう。○○の幸せを心から祈ります」みたいな言葉を言うといいらしい。

SNS全てを信用するのはどうかと思うがこの考え方は一理ある気がする。

憎しみや恨みがあるのは相手に関心があるということで余計に引き寄せてしまうと言うのが、何となく腑に落ちる。

相手を恨む気持ちを強く持っているということは、常に相手を考えてしまうことに繋がる。

好きではない相手だが自分に関わらないのなら、幸せになって欲しいと思うことの方が相手を遠く感じることが出来る。

もう関わることがないのなら、それでいいのだ。

嫌いだからといってその人にこの世からいなくなって欲しいと思っている訳ではない。

どうしても狭い世界的で生きているから気持ちも小さくなりがちだけど、もう少し広い心で過ごしたいものだ。

嫌いな人の幸せを祈る気持ちを常に持つことが出来るか分からないが原理は分かる気がするからなるべく気持ちを変えて行きたい。

それが結果的にいい方向に向いたのなら、気持ちの持ちようが人生を変えることを実証してくれる。

それと言霊というのはきっと力があるんじゃないかと思っている。

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