今日は息子が休みなので送迎はなしだが、待ちに待ったお給料日でもあるのできっと出かけることになりそうだ。
せっかくのお天気ではあるが今日は歩けそうにないかもしれない。
昨日、農業を営む友人が人参を届けてくれて、しばらく立ち話をした。
留守中に野菜を玄関先に置いて行ってくれることもあるが、昨日は息子が仕事から早く上がったので会うことが出来た。
友人の近況などを聞いていると、この世代どこも同じようにご両親の介護で忙しい。
子どもが巣立って子育てがひと段落すると次は親の介護が待っている。
ただ友人が気になることを言っていた。
年に一度の人間ドックで引っ掛かりその場所がすい臓なのだと言う。
再検査はこれからで検査結果が分かるのはそれから2~3週間もかかるという。
友人は「会っておきたい人に会っておこうと思っている」と言う。
何でもすい臓の再検査で命が無事な人を知らないと友人は言いそんな理由で「会っておきたい人に会う」というのだが、果たしてそうなのか・・・。
確かすい臓は”物言わぬ臓器”とか”沈黙の臓器”と言われるが自分には良く分からないことで判断のしようがない。
とにかく友人とは年に数回会えればいい方だけど、検査結果が何でもないといいと思うだけだ。
人の死は誰にでも訪れるけれど彼女はまだ50代だと思うから、死を考えるには早い。
高齢化が進む今の時代で、100歳まで生きる人もいるというのに。
息子の付き合いと買い物
今日は晴れてはいるが風は冷たいし寒く感じる。
多分今までが暖か過ぎたのだろう。
最近まで10度以上の最高気温の日が続いたけれど明日は気温が一気に下がり最高気温もマイナスにまでなるらしい。
身体がついていけるか心配だ。
この時期にして手足が冷たくないのがいつもと違うことだった。
息子の付き合いで色々出歩くついでに自分も数冊の本を購入。
やっぱり本を読む時間が1日のうち僅かでも欲しい。
たとえ記憶に残らなくても活字を追っていたいと思う。
老眼になって以前と比べると一気に読むなんてことは出来なくなったけれど、何とか文字が読めている。
読むスピードなんかよりも読んではすぐに忘れるというか記憶に残らないことが多いのが気になる。
読書好きの人って読んだ本をどの位記憶にとどめているんだろう。
一冊の本を丁寧に読んでいないから記憶に残らないのか、自分の読書は字面を追っているだけなのかもしれない。
けれど本が読めなくなったとしたら人生の半分を捨てたような気持ちになるんじゃないかと思う。
そう考えると本が自分の友達或いはパートナーなのかもしれない。
これからはもう少し友達或いはパートナーを大事にしなきゃと思って読書にいそしみたい。
それにしても部屋の中にいても今日は寒い感じだ。
勿論、ストーブも点けている。
社会保険料
最近になって社会保険の加入基準が変わった。
なので息子も扶養範囲内での勤務を維持するために勤務時間を減らしてもらったばかりだ。
息子の場合は親の扶養でしかも自宅住まいで、働く時間が減ってむしろ喜んでいるふしもあるくらいだ。
でも条件が変わって扶養から外れて社会保険に加入するパート・アルバイトの方もいると思う。
<日本年金機構より引用>
社会保険に加入するメリットやデメリットも説明されているようでメリットとして挙げられるのが将来貰える年金が増えるというものだ。
そしてデメリットはやはり社会保険料分が引かれるので手取りが減ることだ。
扶養から外れて手取りを増やすとなると、今までの勤務時間よりも多く働く必要がある。
けれど社会保険に加入すれば将来貰える年金が増えるとは言え、日々の生活のために働いているわけで手取りが減るとすぐに生活に響いてくるはずだ。
働く時間を増やして収入を得て体調を崩しては元も子もないし。
将来の年金が増える試算もあくまで試算であって、年金から引かれる税金だってその頃には高くなっているかもしれない。
これだけいろいろと変わるということは、これからの年金制度もどうなるか分からない。
「貧しい若者」から「豊かな高齢者」へおカネを仕送り…日本を滅ぼす「社会保険料」のヤバすぎる負担
『貧しい若者から豊かな高齢者へ仕送りする』
現代ビジネス
今までの年金・医療制度が現在の人口形態にそぐわなくなっているのは確かだ。
記事によると今の年金制度が作られた当初は、少ない高齢者を高度成長期にあった若者が支える仕組みが始まりだった。
そして令和の今は高度成長期に豊かだった若者世代が高齢者となり、逆に若者は貧しくなり数も減っている状態だ。
時代が変わってしまったから制度がついていけずにやたらと改正して、社会保険料を何とか確保しなければならないのも仕方ない。
貧しい者が高齢者相手をターゲットにした犯罪が増える構図もあるし、実際に持っている高齢者は持っていると思う。
だから詐欺まがいの事件は絶えないし、詐欺じゃなくても高齢者が多いから健康食品業界は繫盛している。
高齢化社会になって長生きが自慢の国になって果たして、長生きは有り難いものなのか。
誰もが”ピンピンコロリ”を保証されるならそれがいいが、医療が高度化したことで死にたくても死ねない時代でもある。
出来るだけ元気で人に頼らずにこの世を去ることが出来たらいいのだけれど、そんな保証はどこにもない。
息子には親の扶養にいながら働けている今は永遠ではないにしても、自分が生きている間に暮らしが成り立つようにしたいと思っている、
学校を卒業と同時にグループホームというのは考えて来なかったし、今更自分も息子もそういった場所でお世話になるような伝手もない。
グループホームや障害者施設なども人の手に委ねるわけで、その場所が平和であるかどうか心もとないと考えるのが本音でもある。
自分が生きている間に家とお金と健康など生きる術に関して会得させることが大切だと思う。
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