昨日は電気毛布の温度を少しだけ上げて眠った。
今日も晴れてはいるが最高気温は2度くらいまでしか上がらないらしい。
それもそうだ、もう来週は12月になるんだから冬本番が今年は遅いくらいだった。
部屋の中にいても手足の先が冷たく、この時期になるとお風呂と布団の中の電気毛布でやっと温まる。
今日も本屋さんへ
休みの息子と今日も懲りずに隣町の本屋さんに来ている。
外に出てみると晴天だがそれこそ身を切るような風の冷たさと車が揺れる位の風の強さに怖気づく。
もう完全に真冬の防寒対策で出歩くのが良さそうだ。
欲しかっ黒柳徹子さんの本「続 窓ぎわのトットちゃん」を購入する。
隣町に出来た無印良品にも行きたいが今日は日曜日だ。
恐らくまだ混雑しているだろうし、人混みは息子も自分も苦手だからまだしばらくは行けない。
そうこうしているうちに年を越しそうだが、まぁ特に今すぐに欲しいものがあるでもない。
それよりも無印良品も出来たこの隣町、自分の住む地域よりも活気があって本屋さんも建物は古いが本は充実している。
本屋さん以外にも色んなお店があるし、隣町の方が最近は盛況な感じがして息子が行きたがるのも分かる。
衰退する地域が多い中でこの町はどこか違うのは、トップにたつお役所が知恵を絞っているのか。
管内を牽引しているのはこの町なのかもしれないし、自分の住む地域は大型店が軒並みなくなってしまう来年はますます隣町に向かいそうだ。
鍋奉行
TikTok(ティックトック))を見ていたら上沼恵美子さんが関西でやっている番組なのか、高田純次さんと仕切っている話の中で鍋奉行の話になった。
鍋奉行は有難迷惑そうだし、いちいち食事にうるさい人は大嫌いだ。
自分のやり方を人に押し付けるのは自分に間違いがないという思い込みから来ているのだと思う。
夫も間違いなく鍋奉行の仕切りやでその昔、馴染みのお店のメンバーでの鍋の会食時に、横に座った女性から「(夫の)奥さん大変だね」と嫌味を言われたと憤慨して帰宅したことがあった。
まさにその通りで自分は少しずつだが自分を守るために一緒の食事はしないようになり、今じゃ個食でせいせいしている。
元々鍋料理というものに自分は楽しみを見いだせないから、コロナが大流行した時にもストレスを感じることがなかった。
今は1人用の鍋のタレも売っているし、小さい銀鍋の中に鍋の具材が一通り入ってレンチンするだけのがあったりする。
そんな1人用の鍋は自分にとって好都合で、世の中は1人用に買える商品が豊富に出回っている。
将来は家族の形や住まいがもっと変化していくのかもしれない。
家族という形だって随分変わって家族皆で1台のテレビを見ていたなんて大昔の話で、今じゃ見たいものは1人で見るのが当たり前だ。
家族が個人化しているのだから、集団や組織が無くなってきてもおかしくはない。
町内会
町内会が管理していた街灯も直に市が管理することになるそうだ。
実際に町内会が解散した地区もあるらしいし、町内会に加入する人の方が最近は少ないから街灯にしてもゴミ置き場の管理にしても市に委託するようになると思う。
町内会に払う会費の代わりに全戸から会費でも税金でも徴収すればいい、その方が平等で不満が出たとしても断固として反対する者は少ないだろう。
来年か再来年には町内会の班長の役が我が家に回ってくるが、その頃まで町内会は存続しているだろうか。
坂上どうぶつ王国
定期的に配信されるYouTubeで今週の「坂上どうぶつ王国」の舞台が北海道であることや内容についても、分かっていた。
牧場での多頭飼育崩壊の模様らしいからあまり気乗りはしないが、でも見てみることにした。
北海道の2つの町で多頭飼育崩壊の現場を扱ったものだが、牛舎が犬舎になっていてボランティアさんがお世話をしているが劣悪な現場だ。
ボランティアさんが活動する前の映像では、多くのワンちゃんが暗闇に目だけ光らせて群れている状態は異様な雰囲気だった。
多頭飼育崩壊を招いた牧場主に向かって訴える坂上忍さんの言葉には、怒りがこもっていて当然と思った。
安易な気持ちで動物に接した結果が、あれよあれよという間に多頭飼育崩壊を招いた牧場の現場。
今では行政が介入し、ボランティアさんたちの手を借りて何とか生きるワンちゃんたちの姿に、坂上忍さんも困り?呆れ果てていたようだ。
坂上忍さんは有名人だからこういった全国各地の問題を発信してくれるが、いくら保護活動をしているからといって坂上忍さんに責任や押し付けられる問題じゃない。
各地の行政が関わる問題だがそれにしても、最初に動物に餌だけ与えればいいと接した人間の意識の低さによる原因が大きいのだと痛感する。
坂上忍さんが言っていた「知らなかった」じゃなく「知ろうとしない罪がある」というのはとても重い言葉だと思うし、多頭飼育崩壊に限らずあてはまることが多いと思う。
多分坂上忍さんご自身が人生でいろいろと失敗したり知って学んだ経緯が、今の言葉になっているから重みがあるのだろう。
『気づき』という言葉があるが『気づかずに生きる』のと、ある時期からでも『気づいて生きる』のとでは生き方が大きく変わって来ると思う。
自分にも当てはめて戒めてなるべくならたくさんのことに気づいていきたいものだ。
余程の覚悟がないと動物という命あるものに安易に携わるものではない。
最初から責任がとれないなら手を出さず、自分のような者は遠くから眺めるのが一番なんだと思う。
北海道の多頭飼育崩壊現場から、坂上忍さんはまた2頭のワンちゃんを引き取って保護ハウスさかがみ家で育てている。
何だか北海道の人間として申し訳なく有り難い気持ちがあるのと同時に、ますます2匹のワンちゃんを含めてさかがみ家のワンちゃんたちから目が離せない。
毎日アメーバブログをチェックするのが日課の1つだ。
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