昨日は年賀状の印刷前の準備に手間取って結局終わらせることが出来なかった。
たかが年賀状作りなのだろうけどその前のインクカートリッジ交換で失敗してるのが悲しい。
インクカートリッジを交換した後にパソコンとの接続を切ってしまったようでまたその接続を回復させるのに時間がかかった。
昨日の自分に残された時間はあと1時間程度となってもう印刷は諦めれば良かったのに、せっかく接続出来たからあと少し印刷をと欲張った。
その結果何と10枚程が逆さま印刷をしてしまった。
もう自分の失敗に呆れるしかない・・・だが誰に怒られるでもないと思うとそんな基礎的な失敗にも動じないというか失敗にすら鈍感になっているのかもしれない。
まぁ、宛名印刷でも多分失敗をしそうだから失敗した分がまとまったら、郵便局に書損として手数料を払って新しい年賀状に買い替えようと気持ちを新たにする。
自分のことだから失敗も棚に上げることが出来るがこんな社員が会社にいたら使い物にならない。
朝の道路
息子にいつもごみ捨てを頼むのだが、ごみ捨てから戻った息子が「滑る」と言う。
そう聞いた途端降った雨が凍ってるという恐ろしい想像がよぎる。
これはいつもより早く出発して歩くような速さでの運転を覚悟した。
なのでいつもより15分程早く家を出て車を走らせる。
路面が濡れているが見た目は何ともない。
念の為ゆっくり加減で走らせて車間距離を取り早めにブレーキをかけて無事に息子を送り終えた。
ただ送り終えてからコーヒーを買いにコンビニに車をつけて、降りて歩くと確かにまだ溶け切っていないのかツルツルと滑った。
運転中の心配は稀有に終わってホッとしたがこんな時期に雨が降ったら、朝は路面が凍りついてしまうから怖い。
怯えながら運転したことが功を奏したのかもしれない。
雪も嫌だけど頼むから滑らない路面であって欲しい。
今朝の道路事情はどうだったのか…夕方の新聞が来たら確認してみよう。
ウォーキングは休み
健康のためのウォーキング。「速く歩く」ことによって、病気リスクが軽減される可能性も!
できれば時速4.8km以上で歩いたほうがいい
ライフハッカー・ジャパン
ウォーキングが趣味なのでウォーキング関連の記事があると必ず読む。
今回は歩く速さについての記事で同じような記事は他にも見たことがある。
自分は特に速く歩く方ではないし、背も低いから歩幅も小さいと思う。
雪道に人がつけた足跡があったりすると、とうてい同じ歩幅には歩けないから足が短いからと分かる。
急いで歩くこともあまりないし、自分の世界に入って気持ち良く歩いている時はのんびり歩いているんだろうと思う。
昨日のように用事が出来て内心舌打ちしたけれど、用事が出来た時ぐらいしか速足にはならないだろうからこんな時もあって返って良かったようだ。
今日は朝からの雨で歩けないから昨日歩けて良かったし。
それにしてもこの時期に雨とは何だか天気に異変が生じていて怖い。
それだけ気温が高いということ。
寒くなっておろしたダウンコートも今日は濡らしたくないから、濡れてもいいジャケットを羽織って行った。
息子にも軽くてあったかいダウンは着ないでパーカーで出かけるようにした。
殆ど車での移動なので傘は車内にあるがさすことはなく、これから先はスコップをトランクに入れておくようになる。
「続 窓ぎわのトットちゃん」
「窓ぎわのトットちゃん」の続編だが黒柳徹子さんの記憶力というのは自分からしたら考えられない。
東京から疎開先に逃れようとする旅で出会った人や出来事をここまで細かに描写する才能。
記憶しようと思って覚えていられるものではなく、しっかりと当時の印象がしまい込んであるようだ。
戦争が始まるまではお嬢様育ち。
小学校では特異過ぎて大変なところをトモエ学園という素晴らしい学校との出逢いが救いとなった。
自分の息子もトモエ学園のような学校があれば入れたかったと心から思ったものだった。
けれど今回の続編は「窓ぎわのトットちゃん」の時とはまた違った戦争当時の悲しい体験。
段々戦争体験を語れる人はいなくなる、記録だけでしか知ることが出来なくなる。
いわさきちひろさんの挿し絵が素敵で何だか心がチクチクする。
昔の記憶をたどるには黒柳徹子さんの記憶が鮮明なだけに辛い作業だったと思う。
やなせたかしさんの「ぼくは戦争は大きらい」も黒柳徹子さんの「続 窓ぎわのトットちゃん」も共通しているのは読んでいて分かりやすいこと。
子どもでも大人でも誰が読んでも分かりやすいことが1番大事なんじゃないかと思う。
「続 窓ぎわのトットちゃん」で一番心に残ったのは”無責任だったことがトットが背負わなくてはならない「戦争責任」なのだと知った”という言葉だ。
戦地に赴く兵隊さんを周りの人たちに混ざって「バンザーイ」と見送ったことを指すのだが、あまりにもむごい反省だと思うと心に突き刺さる。
トットちゃんが無責任なら日本国中がそうだし、今なお戦争を止められない自分も世界も無責任なのだろう。
知らなかったことを知るのが成長するということだ。
それとお兄ちゃんと慕う渥美清さんとの親交が始まるきっかけも出ていてとても興味深かった。
何かで読んだエピソードはこのブログにも書いたかもしれない。
こういったことは頭から離れずに記憶している。
親しくなった渥美清さんも含めて数人で食事をした時のことだ。
黒柳徹子さんが出て来た料理の数を確認して「1人〇個、それ以上食べたら絶対ダメだから」と素早く計算する姿を不憫に思った渥美清さんが「いつか数えなくてもいいように好きなだけ食べさせてやるから」と言ってくれたとか…。
戦争当時を過ごした年代の方々がどれだけの苦労を強いられたのかと思うとどんな思いも書きようがない。
目をそむけてはいけないと思いながら、普段は目の前の事にしか目が行かないでいることを反省する。
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