ウォーキングと読み終えた「看守の流儀」

ウォーキング

昨夜から今朝にかけて熟睡だったようでアラームに起こしてもらった。

脳トレアプリもスマホも見る余裕はなくていつもの布団の中でする体操だけをして起きた。

昨夜は除雪作業がされていてきっと今日は道が昨日よりはマシになっていると思いたい。

昨日は眠る前に恒例のYouTube「坂上家のチャンネル」を視聴し、ふと見ると「新タニムラ洋画劇場」がupされていることに気づいた。

今回の映画のタイトルは「ソドムの市」。

ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の映画でその昔ロードショーという映画雑誌を買っていた頃に載っていたからどんな映画かは少し知っていた。

その頃はまだ中学生くらいだった自分には理解しがたいと思っていたが、最近の自分はこの映画くらいおぞましい系も見られる気がしている。

タニムラさんの解説や考察はそれはとてもとても深い、深すぎてよくここまで読み取れると思う。

自分が単に映画を見るのと違っていて、遥かに映画から吸収してご自身のものにする力量が半端ない。

自分だとどうしても薄っぺらい読み方、感じ取り方しか出来ないのだが、それも自分だから仕方ない。

別な見方をすれば忘れやすい分、心に深く刻まれないから思い悩むことも少ない。

多分実際に「ソドムの市」を見るより「新タニムラ洋画劇場」を見る方がはるかに映画を見た気になるだろう。

YouTubeとはいえ今回の「ソドムの市」は1時間41分もあるようだ。

昨夜は障りだけ見てスマホを閉じてしまったが数日間かけてしっかり「新タニムラ洋画劇場」を堪能するつもりだ。

映画も本も純愛ものやお涙頂戴のものはどうも好きじゃなくて、人間の裏表の裏側の方に遥かに魅力を感じる。

自分自身の裏の顔が反映されているのかもしれない。

読書と筋トレ好きなブロガーさんが最近読んだという赤松利市さんの「純子」という本も気になっている。

「純子」という作品もグロい作品だったと感想を述べた上に更に「女童」(めのわらわ)という赤松利市さんの本に進んだらしい。

自分は未読だがブロガーさんは再読というから、赤松利市さんという作家さんは何かしらの魅力で引き付けるようだ。

何というか安寧な場所に居ながら、周りにはないような環境の世界を覗き込むような感覚とでもいうか。

本とか映画は自分が体験したいとは思わないが、疑似体験に近いものを見ること感じることが刺激になったり学ぶことになったりする。

「看守の流儀」は読み終えてなるほど謎解きでもないが、そうだったのかと思わさった。

ジェンダーという言葉は最近になって浸透して来たが、「看守の流儀」にもそのジェンダー問題があったんだというか伏線のように織り込まれていた。

続いて読む天童荒太さんの本「ジェンダー・クライム」もジェンダーという言葉がつくくらいだからそのつもりで読む。

ウォーキング

今日は除雪も進み道路状況が良くなったから、息子を送った後に河川敷に向かう歩道を歩く。

少し先を保育所の子供たちがそり滑りに向かうようだ。

河川敷は除雪されていないだろうから歩道だけを歩いて戻って来た。

晴れてはいるけれど気温は低いのかまつ毛はくっつくし、帽子周りも濡れそぼった。

道内は荒れ模様らしいがここはまだ風もないし穏やかな天気だ。

本当ならもっと歩いても良かったが本を読む時間が欲しくてノルマを達成して切り上げた。

天気予報では強風となっていたがこの時は風もなかったが、午後から結構な風が吹き始めたから午前中に歩けて良かった。

スピッツ推し

本と言えばまた週刊新潮を立ち読みしたのだが読んだのは坂上忍さんのエッセイ「スジ論」。

坂上忍さんの推しはスピッツの草野マサムネさんと知り、自分もスピッツは大好きなので1人盛り上がる。

取り上げられている歌詞が「ズルしても真面目に生きていける気がしたよ」。

「チェリー」の中の歌詞だけど”真面目”というワードについて書いている坂上忍さん。

この草野マサムネさんの独特な詞が坂上忍さんもお好きらしい。

坂上忍さんのブログのサブタイトルが”綺麗好きで何が悪い!”だが、自分は一見真面目に見られがちなので”真面目で何が悪い!”とでも言おうか。

人からどう思われても気にしないくらいにはなったけれど、つい最近も幼なじみの友人とマクドナルドでお茶をした時に「○○は(自分のこと)真面目だから」と言われた。

幼なじみの友人もかなり真面目だと思うが、別に自分が真面目と言われることに腹立たしさはない。

ただ真面目と一言で表現されてもそうじゃない一面があることは自分が一番よく知っている。

芸能人じゃないからイメージは大切じゃないし、どう思われても自分の核となるものは自分が分かっていればいい。

昔から自分を知っている友人が真面目というのだからそういう一面があるのだと思うが、「真面目」という言葉はどこかしら相手を揶揄する一面もある。

人は過去の自身について、やんちゃな一面・とがっていた一面がある方が箔が着くと思っていたりする。

でも坂上忍さんを見習って”真面目で何が悪い!”と開き直れる自分でいたい。

あの坂上忍さんが「スピッツ推し」と書いてることにとても強い味方を得た気がして、背中を推してくれた気になる。

自分の周りではスピッツやaikoはスルーされる存在で、それはそれでいいんだけど。

ファン同士で語りたいという気持ちがある自分ではない。

週刊新潮のエッセイでゴールデンレトリバーのコウタ君の話が読みたかったのに…残念なことに恐らく見逃したのだろう。

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