「ともぐい」を読む

雑記ブログ

昨日からレギュラーサイズのホッカイロをお腹に貼っている。

今まで貼っていたミニのホッカイロに比べて遥かに温かい。

ミニのホッカイロを買うつもりが間違って買ってしまったレギュラーサイズのホッカイロだがこれでもいいかなと思う。

お腹に貼った部分がいつも黒っぽくなるから低温やけどしているのだろうけれど、それでも誰に見せるものでもないから気にならない。

レギュラーサイズのホッカイロにしたら腹黒くなる場所が少し大きくなるだけだ。

今日も息子の付き合いで、ふまっくおふから始まって色々と用事を足しながら午前中は過ごす。

ものを思い出すのに凄く時間がかかる。

ブックオフに行った際に「怒りのガンマン」というタイトルが目に留まり、更にその並びに「ローハイド」というタイトルがあった。

「ローハイド」は確か駆け出しのクリントイーストウッドの出演作品。

その後クリント・イーストウッドも「荒野の用心棒」という映画に出て自分も西部劇に夢中になったものだった。

そして西部劇から一転して刑事シリーズで更にヒットしたあの作品は何だったろうと考える。

クリント・イーストウッドの刑事物で誰もが知っているそのシリーズが思い出せすジリジリする。

かなり時間が経ってスーパーで買い物をしていて「ダーティハリー」だったと思い出し、ハリー・キャラハンという刑事の名前も出て来てホッとする。

本当に思い出したくても思い出せない時もあるのがもどかしいが、思い出せなくなったのは今に始まった事でもない。

何を思い出そうとしていたのかが思い出せない時もある。

午前中は息子の付き合いをしながら買い物もして、思い出したいことを思い出すことも出来てホッとする。

「ともぐい」

河崎秋子さんの「ともぐい」を読み終えた。

久しぶりにしっかり想像が出来て、想像が出来過ぎて怖いくらいの話だったが面白かった。

こんなリアルな感覚は真保裕一さんの「ホワイトアウト」や佐々木譲さんの題名は忘れたが北海道が舞台の作品以来だ。

時代は日露戦争前と思われるが、時代設定など考える余裕もないくらいどの時代だとしても夢中になるような話だった。

多分言葉が少ない主人公でありながら呟く言葉は方言に近いのだろうけれど、割と身近な言葉であることも味方をしたと思う。

人里離れた山小屋で犬と暮らす熊爪という姓なのか名前なのか分からない男の物語。

仕留めた鹿の内蔵を生で食べるシーンから始まりそこでちょっと鳥肌が立ち、もっと驚いたのは熊を仕留め損ねた猟師の男の手当てのシーンだった。

目で見ていないのに想像するだけで目をつむりたくなる部分で実際に読み飛ばしかけたくらいだ。

ゾッとしながらもその適切な処置が猟師の命を救うことになるのだが、なにせ野生の生き方をしていて言葉少なでいる熊爪なので感謝されるでもない。

熊爪は山菜や仕留めた獣の贓物や毛皮などを売って、銃の弾丸や食料を買い出しするために時折白糠の町に出る。

獣臭をまき散らしただならぬ気配を漂わす熊爪は、町の人間たちにとって異質の存在だ。

「アルプスの少女ハイジ」のアルムおんじも山から下りた時には村の人たちとの仲が疎遠だったことを思い出す。

けれど狩りをして暮らす熊爪の日々を読んでいると心の内がとても単純明快で、どこか町の人間の方が汚れ切っているように感じる。

自然の中で自然と共に生きて来た孤独というよりは、孤高の人物が熊爪だと思う。

獲物を仕留めるのも食べるためであり、それは乱獲ではなく他の動物と同じで生きるための最低限の狩猟なのだろう。

けれどそこに”穴持たず”という冬眠をしない熊を阿寒から追って来た猟師が怪我を負った上に”穴持たず”を仕留め損ねたせいで、町で熊爪を贔屓にしてくれた人物の依頼で討伐を引き受ける羽目になった。

手負いの熊を追う道すがら熊爪は大怪我を負い、新たに現れた赤毛の熊が”穴持たず”と闘い生き残る。

この赤毛の熊を狩ることに執念を燃やした熊爪は死闘の末に倒し終え、のちに人生観に変化が生じる。

熊との遭遇とか熊との戦いが目の前で修羅場が展開されているかのようなリアルさで、河崎秋子さんが現場で見ているのかと思わさりそのシーンは圧巻だ。

熊爪の人生は町や人との関わりがなければきっと純粋で、煩わしさから逃れて生きられただろう。

獲物を仕留めるという難しい狩りの世界で自然を味方に生きて来た熊爪は、余分なものがはぎとられたこれが本来の人間でいいんじゃないのかと思った。

今で言うところのミニマリストのように思う。

獲物を売りに山を下りた際に熊爪に宿泊と料理で迎える店主や使える奉公人たちの、無駄な話や無駄に笑うといった表情に憮然とした面持ちでいる様は同調する気分だ。

熊爪の気持ちが分かる気がするし、人間の煩わしさに辟易して山に居座る気持ちに頷く。

厳しい自然の中の暮らしは町の雑多な暮らしぶりよりも正直で、何より熊爪は人の目から一瞬で全てを読み取るのだと思う。

狩猟で仕留めた鹿や熊を見てその目を熊爪が表現するシーンがあったが、他にも自然の中で言葉ではなく目で心の内を読み取ったりする。

きっと言葉は嘘もありえるが目は噓がないということなのだろう。

「ともぐい」という熊の生態も知らなかったが本能とはそういうものなのか。

獣は自らを殺めないことはある意味で熊爪も獣に近くそれでいて赤毛の熊との対決で死を受け入れたのに生かされた。

熊爪は獣でもなくだからといって人間とも共存出来ず、その最期は望むべくしたものだったと思う。

もの凄い臨場感のある小説だと思うけれど、これは目で見るよりも小説ならではだと思う。

実際、熊との対決は難しくて映画には成り得ないと思うがCGなら出来るのか。

それにしても河崎秋子さんという方は迫力満載の凄い作家さんなのだと感心する。

林真理子さんのおっしゃった”圧倒的な文章力”を自分も少しは感じられたと思う。

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