ランチ会に行って来る

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最近の週刊文春は恐らく松本人志さんの記事が主なのだろうから、この話題にあまり興味はないから買う気になれない。

でも林真理子さんのエッセイは気になるから、悪いけど立ち読みでもしようかなと思う。

あまりにも松本人志さんの記事が次々と出て来るから、週刊文春を買わずともネットニュースで何となく内容は分かる。

それでも別の世界の話であってたくさんの人の意見を見てもそうなんだ程度で、呆れたり怒ったり落胆したりでもない。

でも誰もが叩けば埃が出ると思うのだが、どこまで追求の手は伸びるのだろう。

芸能の世界ではいろいろと常識外れなことは昔からあった気がするし、それが今は許されないことに変わりつつあるということだと思う。

変化して行く時代について行くしかないのだろうし、そんな世界から一歩も二歩も引いた自分の生活だと理解が追いつかないでいる。

とにかく世の中は色んな人がいて成り立っているようだ。

それよりも今日は「坂上どうぶつ王国」を見たいから夜8時には布団に入らずに起きているつもりだ。

いやいや普通の人なら夜8時はまだ寝るには早すぎる時間なのだから「起きている」と宣言することもないのだが。

とにかく今日一番の楽しみは「坂上どうぶつ王国」のリアルタイム視聴だ。

ウォーキングと「ともぐい」

昨日の強風は治まったようだが、気温が昨日に比べてかなり低い。

ただ今日はランチ会があるからその前に歩いて月初めの用事を足してしまおう。

はたしてノルマの5000歩を超えられるかは分からない。

ただ晴天とはいえ、気温が低くてあまり雪は溶けていないから運転と同じく慎重に歩く。

今日のように用事を足しながら歩く時には考えないが、歩く目的だけの時にはここ数日「ともぐい」が頭の中を占領する。

「ともぐい」

どうも自分は「ともぐい」の熊爪の行き方とか生活が羨ましいようだ。

人間とは最低限の関係しか持たず極力交流を避けて、変化を好まない暮しぶりを良しとする熊爪が羨ましい。

獣と共存する熊爪の環境は喜怒哀楽を必要としないから、熊爪は人が笑う姿に違和感を持ったり不気味に思う。

でも余計な感情がない熊爪の生活は最低限の暮らしぶりでもそれはそれで成り立っていたのだ。

これだけ余分なものがない生活ぶりは見事で無駄がない。

人間界に感情というものがなかったら起こらない問題も多々あったように思う。

人間が集まって暮らしていれば我慢して協調しなきゃならなくて、嫌だなと思うことも押し隠すしかない。

それは大人として仕方ないと分かってはいるが、それでもそんな生活が実は嫌いな自分だから熊爪がどこか羨ましいのだ。

山の奥深くでの暮らしは不自由極まりないが心が自由でいることは大事だし、熊爪には飛び抜けた狩猟の力があったからこそ成り立った生活だ。

そんな生活が当たり前だったはずなのに、発生した人間界との関わりから熊爪の日常に変化が生じる。

人間との関わりが熊爪の日常を壊す事になる。

怪我を負い怪我から1人を不安に思う心の変化が熊爪を人間寄りにさせるが結局人間に慣れないまま、でもそれが熊爪であり山で生きるという事なのだと思う。

昨日読んだ続きから読み始めてもまた夢中になる「ともぐい」にはそれだけの魅力がある。

熊爪の心の内が自然の中で語られているのが、自然と語り合い共鳴しているかのように思う。

実際に語り合わずとも主のような存在の鳥とうまく関係を築いていたりして、人間と言えども鳥と共生している。

本当に自然の描写が素晴らしいと言う直木賞選考委員の方々の評に激しく同意する。

今はこんなに夢中になっている「ともぐい」だけどこの本もいずれはブックオフに売ってしまう。

読んだ本は在庫しないから自分の頭はきっとまた忘れてしまうのだろう。

そう言えば昔読んだ「嫌われ松子の一生」も松子の最期が羨ましく感じたものだ。

松子の人生が自身の思いに忠実であることを貫き通した最期だったからだと思う。

考えてみると「ともぐい」も「嫌われ松子の一生」も自分にするとハッピーエンドだと感じる。

ランチ会

2時間半のランチ会は長かった…11時半から14時までの間話が途切れることはなかった。

けれど今日の息子の仕事終わりは14時半だったので迎えに行くことも出来てラッキーだった。

ランチ会で自分が選んだメニューは天ぷら定食で、かなりボリュームがあったから今夜は夕食は要らないかもしれない。

話題は盛り沢山で普段の鬱憤をこの時間で発散するかのように話は尽きない。

でもこういったお付き合いは自分にとって人ではなく時間が長いときつく感じてしまう。

嫌いな人とはもうお付き合いはないから、このランチ会では誰かが嫌な訳ではない。

そもそも人がどうとかじゃなく自分自身が人との対話に限度があるのだと思う。

人との会話を楽しむとしてせいぜい1時間程度が自分の許容範囲時間だろうか。

よく老後は閉じこもらずに人との交流を推奨されるが、自分は苦手なまま老いていく気がするしそれでいいと思う。

人と関わらなければ認知症になる確率が上がるのだとしても、1人静かにネットや読書や映画鑑賞で過ごしたいと思う。

元気であればこれも1人限定でのウォーキングを楽しみたいという程度だ。

別にどこに行きたいでもない、ほんのささやかな趣味の世界で過ごすのがいい。

熊爪の言葉を借りれば「毎日、なんも変わらなければ、それでいい」のであって的を得た言葉だと思う。

でも当たり前だが毎日少しずつ何もかもが変わっていくのが現実だという事も分かっている。

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