今日は15日だからウォーキングがてら歩いて神社に行こうかと思っていた…。
でも一歩外に出てみてちょっと無理かなと思った。
昨日あまりにも溶けた雪が夜に気温が下がったことでガチガチに凍ってしまっていた。
息子がゴミ投げに行って来ただけで足元がおぼつかないほどだ。
これはあまりいい歩道は期待出来ないかもしれない。
昨日も用事を足すことで何とか歩数は確保出来たが、今日のところは無理したら転倒する危険がある。
歩いて神社まで行けるかどうか悩みながら道路状況を見て判断しようと思う。
息子を送った後、車の中で読書をしていたら隣に止まった車から出てきた男性が威勢よく痰を吐き散らす音がした。
“痰を吐き出す”行為って誰しもが嫌がるものだと思うが、自分も例外なく不快に思う最大級のものだ。
思わず本からその人物に目が行ってしまう。
車に何が付いていたのかティッシュで拭いていたけれど、そのティッシュは外に投げないようで少しホッとした。
まだ若い男性で奥さんまたは彼女さん?と思われる人と仲良くお店に向かって歩いて行った。
世の中に嫌な行為は他にもあるけれど、あれほどの勢いでぶちまけなきゃならないものかと思う。
ウォーキング
歩きだして見たら歩道は雪のないところが多くて、凍っていても気温が上がるから溶け出してまったく危険はない。
そんな訳でテクテク神社まで歩いて行き、お参りをしてついでにおみくじも引いてみた。
息子と来た時の自分は敢えておみくじをひかないようにしている。
息子より自分の方が良ければ息子の性格上落ち込むに決まってる。
なるべく1人の時で気が向いた時だけおみくじを引くようにしているし、占いと同じで信用するとかしないというものではない。
でも中吉や小吉の方が良いと言う人はいるし、人はいい方に解釈すればいいのだと思う。
来た時とはまた別な道をテクテク歩き、だんだん暑くなって来る。
それもそのはずで曇り空だからいつもの冬装備の出で立ちだが、気温はおそらくプラスだ。
車に戻るなり、リュックからタオル地の小さなハンカチを取り出して汗をかいたと思われる場所を乾布摩擦する。
汗をかいてその汗が引いて来てるようでダウンを脱いだら寒くなるし、こうなると下手をすると風邪ひくかもしれない上に冷えも怖い。
帰宅してから着替えてはみたが、はてさて体調管理は無事に出来たのかどうか…。
冬のウォーキングでは久々の10000歩を超えてトータルで13431歩、8.9kmになった。
今日はちょっと歩き過ぎたからこれからはもう少し考えて歩こうと思う。
西村賢太さんの「疒(やまいだれ)の歌」
この本も面白かった、「苦役列車」といい主人公の北町貫多はどうしようもないところがあるけれどそれも魅力的だった。
西村賢太さんご自身を投影しているとすれば、これが西村賢太さん自身なのだろう。
「苦役列車」からすると日払いの仕事から心機一転で新しい仕事である造園業の仕事に就き、過酷ながらも仕事に精を出す貫多。
その励みになったのが造園事務所に入って来た事務員の女性の存在で、彼女に恋心が芽生えてそれからの貫多の自意識のボルテージは最高潮となる。
読んでいるこちらが心配になるほど恋に恋してる描写がリアルで、まるで思春期とか中学生かと思うくらいなのだがとても分かる気もするのだ。
おそらく自分にもそういった気質があるのだろう。
誰も見ていないのに見られているとか見られているかもしれないと想定して、自分を良く見せようとする貫多。
事務所の女性しか目に入らないから、同僚や他の従業員などがどう思おうが眼中にない。
普段はいい所を見せていると(貫多だけが)思い込んでいるのだが、ひとたびお酒が入ると生来の貫多が出てきてしまい酒に飲まれる貫多は周りと騒動になる。
貫多はギャンブルこそしないが、お酒で身を持ち崩すタイプ。
せっかく今までになく長く続いた仕事も飲み会の都度に、周りから呆れられ終いにはクビを言い渡される。
それは当然の結果だし中卒だとか性犯罪者の息子だとかは関係ないことなんだけれど、貫多はお酒の都度に普段隠していた素が出てしまうのだ。
けれど貫多の読書熱にはとても自分など及ばないものがあり、この本で知った”田中英光”という小説家に傾倒し古書店などでその書物を買い集める熱心さには感心する。
その勢いというか本を読む様子が寝食を忘れるほどで、ここまで田中英光という作家に一心不乱になる様子は貫多の一途さの表れだと思う。
貫多と西村賢太さんが同じ人だとしたらその熱中具合というか真剣さが、数多くの西村賢太さんの小説を生んだのだと思う。
「疒(やまいだれ)の歌」の中で田中英光の本を読み貫多は思いを述べている。
自身の悲惨を、何か他人事みたいな涼しい顔で語りつつ、それでいて作者はその悲惨を極めて客観的に直視しているのだ。
自身の恥を、まるで他人事みたくして叙したその作を読み進めるうち、貫多の胸中の暗雲はゆっくりと途切れてゆく思い。
(疒(やまいだれ)の歌より)
これってそのまま貫多を描く西村賢太さんそのものだ。
貫多が田中英光の作品を読んで興奮冷めやらぬ状態になった時、恐らく西村賢太さんご自身もそうだったのだろう。
本と一体になれるなんて自分には想像も出来ないけれど、西村賢太さんはこのあと別な方にも傾倒したようだが。
西村賢太さんの本には田中英光さんから受けた刺激が脈々と流れているのだと思う。
人生での失敗が良くも悪くも正直にこんなに客観的に言い表せていることに共感する。
貫多のような面倒な人はいるだろうしこの本で理解出来たとしても、面倒な人として煙たがられるかもしれない。
貫多がクビになる前のやらかし具合はどう考えても、集団での仕事ではじかれるのは当然なのだ。
でも貫多の生きづらさを感じずにはいられない同じく集団が苦手な自分もいる。
唯一自分の顔が歪んだのは、借りているアパートの共同便所が不気味という理由で貫多が部屋の流し台に小便を放出することだった。
こんな行為は他にもする人はいるのだろうか、いるかもしれないというのが自分の結論だ。
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