朝、明るくなってからまずは外を見に行く。
車はすっかり雪に覆われていて取り敢えず雪かきの前に車の雪だけ除けるが昨日の雪かき以上の量にはなっている。
雪かきは1時間は軽くかかると予想しながら1度家に戻って準備。
除雪車の音も聞こえるが大きな通りがどれだけ除雪されているのか、出てみないと分からない。
雪かき
6時半過ぎから腰ベルトもつけて本格的に除雪を始める。
それほどの重さはなくてもかなり積もったから腰に負担がかからない程度の雪を運ぶ。
ウォーキング代わりに歩数を稼ぐつもりもある。
厄介なことに風が出てきて吹雪いて来たからなるべく風向き側に雪を捨てる。
お隣の方も雪かきを始めていた。
2~3年前に引っ越して来られたのだがこの男性が幾つなのか分からないが多分自分よりも年上かと思っている。
自分はこの方の顔つきを良く見るというか、老いてくると顔つきが似てくるように思うのだ。
少し前には似た顔つきの人にコンビニの入り口で挨拶をして相手の方も返してくれた。
けれど不審そうにも見えて「〇〇さんですよね?」とお隣の方の名前を言うと「違います」と言われた。
それからはどうも顔の判別に自信を失いつつある。
あの手の顔と言っても何を言ってるのやらだが、目が奥に引っ込み気味でおじいさん特有と言うのだろうか。
映画俳優さんだとロバート・デュバルっぽい風貌・・・。
同じような顔つきの人が多いというか、老いると一定数の方はああいう顔になるというか・・・勝手に自分が思っていることだ。
そのお隣さんが何やら話しかけて来るが、歯が少なくて何を言っているのか半分くらいは分からなくて適当に相槌を打つ。
最初の頃は挨拶をしても返して来ないからそういう人なんだと息子と話していた。
けれど最近はこなれたのか?あちらから話しかけて来る事すらある。
奥さんは殆ど見かけたことがないが、介護の仕事をしているそうで今日も朝早く出かけたそうだ。
途中で埋まらなかったか心配している様子。
すると斜向かいの方が車で出発するらしく車をバックして出て来た。
でもその方の車はすぐに埋まってしまい、お隣の方と一緒にタイヤ周りの除雪に向かう。
何度目かの挑戦で車は動くことが出来て無事に通りに出て行った。
恐らく自分も家の前を出るまでが埋まらないか心配。
気づけば息子の送迎の時間近くなっていた。
雪かきをしている間吹き付ける雪ををまともに顔に受けたから、化粧したはずの顔は熱を持って火照っている。
昔、子供とそり遊びをした時に顔にかかる雪を体験して以来だ。
顔の化粧を直す時間よりも汗をかいたから、全部着替える方が先決だ。
息子は先に車に乗り込み、自分は1度家に戻って乾布摩擦もどきで体をこすりながら着替える。
恐る恐る車を発進して大きな道路まで何とか止まることなく出て来て、あとは車の流れが少しずつなので走るに任せる。
最近は軽い雪かきばかりだったから、今日はさすがに後から筋肉痛が起こるかもしれない。
雪は一体何cmくらい降ったのだろう…。
「傲慢と善良」
辻村深月さんの「傲慢と善良」を読み終えた。
婚活アプリで知り合った婚約者の女性が突然姿を消してしまったことから居場所探しが始まる物語だ。
最終的にはハッピーエンドだが、結婚に至るまでの紆余曲折とした心模様を両方から丹念に書かれている小説だった。
昔のお見合いが今の時代は婚活アプリというスマホで手軽なものになったと一見は感じる。
けれど婚活自体は相当ハードルが高いというかゴールするのは難しいものらしい。
結婚相談所の女性が語る最近の結婚に対する傾向が印象に残る。
『皆さん、謙虚だし自己評価が低い一方で自己愛の方はとても強い。傷つきたくない、変わりたくない』
更にこの女性の口から現代の結婚がうまくいかないのは「傲慢さと善良さ」にあるとこの小説の根幹が定義される。
なるほど、小説の中で男性側もいろいろと訪ね歩くうちに自身の中の傲慢さを見るのと同時に失踪した女性も自身を顧みることになる。
とても細かい心の動きが表現されていて女性作家ならではという気がする。
それまで生きてきた自身の人生に疑問を持って失踪した女性が自我に目覚めていく様は婚約者と再会した際「たくましくなったね」と言われるが言葉通りなんだろう。
親に歯向かうことなく言いなりだったそれまでと違い、自身で決めて行動した震災ボランティアで得た経験が女性を大きくしたのだと思う。
それまでは婚活アプリでも滅多にない?好条件の男性と結婚にまで進展したことに嫌われたくないと弱気だった女性。
結婚式を挙げる頃には男性を凌ぐような内面の逞しさを身につけた感が出ていて、めでたしめでたしなのだろうと思った。
反面、女性は強い心を得たのだし結婚しないラストでもそれはそれでハッピーエンドと言える気もした。
「傲慢と善良」では都会的な男性(主人公)のイメージが自分の頭では追いつかないのと、遊び方も仕事もオシャレな男性というのがいまいち魅力的に感じないままだった。
それというのも最近は野性味溢れる「ともぐい」とか、赤松利市さんグロイ話や西村賢太さんのダメダメな人物等ばかり読んでいるせいもある。
自分が30代頃に読んでいたらもしかすると分かる気持ちにもなったかしれない。
けれど結婚に至ったとしてもそこがゴールじゃないのは当たり前で、婚活アプリでそれ相応に悩んだとしても結婚後はまた違った悩みも出て来る筈だ。
そんな悩みに至った時、恐らく自分自身が変わらない限り、変わろうとしない限り誰と結婚しようが大差ないと思える。
相手次第じゃなくて自分次第なんだと思っている。
見方を変えれば幸せだと思えるかは自分次第だということ。
けれどこれだけ生きて来てしまうともうこれからは男女の性差は更に感じなくなる。
恋愛の世界は遥か遠い・・・だから敢えて恋愛小説も読みたいと思わないし恋愛映画も見ない。
「傲慢と善良」はまたしてもすぐに忘れてしまうかもしれないが、結構な長編だった。
さて現実に戻って今は少しでも雪を片付けて道を良くすることにしようと思う。
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