やっぱり昨日のコロナ感染者数は多くて592名と前々日の32名から大幅に増えていた。
日によってバラツキはあるものの感染者数は減っていなくて増えているのだろう。
透析をしている友人が「年末年始は(コロナに)かかりたくない」と言っていたがその通りだ。
コロナに感染してワクチン接種もしていると「ハイブリット免疫」が出来ると言うがそのハイブリット免疫の効果がいつまであるのかと思いネットをあちこちさまよってみたけれど分からない。
コロナに一度だけじゃなく2度感染した人だっていると思うけれど、ワクチン接種はしていたのだろうか?
ワクチン接種が済んでいたなら「ハイブリット免疫」の効果がなかったと言えるし・・・。
考えても仕方ないし、いつも通り手洗い・うがい・消毒をしてコロナに感染しないことを祈る。
発達障害
年々発達障害を持つ児童・生徒が増えていると言うが、昔よりは発達障害が認識された分カウント数が増えているということなのかもしれない。
「発達障害」クラスに3人の“衝撃”…「もしかしたら」と感じたら早めに受診を 早期の“療育”が効果的
公立小中学校の通常学級に、発達障害のある児童生徒が8.8%在籍していると推定されることが12月13日、文部科学省の調査で分かった。
35人学級なら3人ほどが該当する。
2012年の前回調査から2.3ポイント増えた。
FNNプライムオンライン
息子も幼児健診で発達支援機関に一度相談するようにアドバイスをもらい、2歳半位から支援センターに通い療育を受けた。
小さい時は多動でほんの少しでも目を離せば行方がわからなくなっていて、道路にも平気で飛び出すので危険な思いもしたし迷惑もかけたと思う。
上の息子は幼稚園に通ったけれど、下の息子はそんな危ない子どもだったからやんわり拒絶されて幼稚園には入園出来なかった。
保育所への入所も1人補助の先生がクラスに付いて何かと息子もお世話になった。
小学校入学に当たって学校への理解を求めるために、精神科の児童外来を受診して「ADHD」の診断をもらった。
2人目の子育てなのに自分自身に余裕がなくて、診断を聞き先生の前では普通に振る舞えたのに、帰りの車の中では自然に涙がこぼれたのを覚えている。
元気で身体的な病気はなくてそれだけでも感謝するべきなのに、やっぱり「ADHD]という診断を受け入れるのに少し時間が必要だったみたいだ。
小学校では通級指導教室通い
小学校入学後は学校内にある通級指導教室で週に2回程度の指導を受けて、クラスから離れて楽しく過ごしていられた。
でも中学年に上がるにつれてどうしたって勉強にはついて行けなくなり、殆どの時間を座っている辛さに?息子自身が考えだしたのが紙工作だった。
紙工作といえば精巧なものを作るかと言えば、全く違って紙にグルグルとテープを貼り付けて得体の知れないものを作っていた。
手の中にすっぽりと収まるそれは人の形に見えるものや、拳銃やナイフに見えなくもないような、とにかく手に握りやすいものとしか言えない物体だった。
今にして思えば本人にとって殆どの時間は分からない、つまらない時間だった訳でそんな中で自分を守ってくれるお守りだったかもしれない。
ある時授業参観に行くと国語の授業で1人ずつ順番に音読をするものだったが、息子の番が来た時にすんなり次の子が音読するのを見て何とも言えない気持ちになったことを思い出した。
多分息子の番でも読めないのだから「これでいいんだ」という思いと「ここに息子の居場所はないんだ」という確信が生まれた気がする。
それでも小学校は何とか卒業させなくてはという思いでなるべく別の環境に行く機会を増やそうと、高学年になって別の学校の情緒学級へ通級出来るように変更した。
こちらは週に2回の通級で1回の通級が2時間と長めなので、少しでも親学級からの解放を図ったつもり。
中学校は特別支援学級
結局高学年からの情緒学級が楽しかったので、中学校からは情緒学級に隣接する中学校の特別支援学級(固定学級)に入学することになった。
やっと息子が笑って通えるようになった学校だった。
勉強面では息子が出来る範囲から更に上に向かうような、それでいて無理にランクアップはしないような指導だったと思う。
それよりも窯業や調理実習のように楽しむ授業が多くて、落着きがもともとなかった息子が自然と馴染んで行った。
高校は寄宿舎生活の高等養護学校
中学校が特別支援学級だったので殆どの生徒が管内にあった高等養護学校を受験することを目標に先生方が指導されていて息子も当然受験した。(一応受験というが余程大勢が受験しない限り落ちない)
自宅から車で40分程かかる高等養護学校での寄宿舎生活がスタートした。
親と離れての寄宿舎生活でかなり生活が規則的になったのと、息子が週末ごとに帰り変わったと思ったのは「ありがとう」という言葉を頻繫に言うようになったことだった。
これは驚きで親しい友人にも話した位。
何かするごとに「ありがとう」という言葉が息子の口から自然に出て来て、何だか気恥ずかしいようなそれでいて嬉しかったことを覚えている。
私ならとてもじゃないが寄宿舎生活なんて出来ないが、息子は寄宿舎に送り届けたあとベッドで1人泣いていたらしいのに結局は3年間を過ごして無事に卒業した。
泣いて我慢していた寄宿舎生活なのに、息子は卒業する前日に寄宿舎であったお別れの会を今でも懐かしんでいる。
厳しい中にも生活の一通りを親に代わり教えてくれた学校に感謝している。
色んな考えがあり、普通学級にこだわる人もいるけれど、私は子どもが過ごしやすい場所を提供するのが一番だと思うからその子に合った学校に生かせるべきだと思う。
小学校の選択を誤ったと思っているから早期療育が功を奏したとも言えないが、どこでも学ぶことはあり療育が全てでもなくて周りに頼り過ぎたりせず、特別な配慮を期待しないことも学んだ気がする。
要は親が全て受け止めるしかないと思う。
頼りになる先生がいたとしてもいつかは転勤などで去って行くし、そもそも頼りない先生に当たることだってある。
数年のお付き合いの学校や先生にいい刺激はもらえても、最後は親が面倒を見る。
仕事についても親がしゃしゃり出るつもりはないが、何か面倒をかけた場合はその都度お礼のものを負担にならない程度で息子を通してお渡しするようにしている。
障害者雇用をしてもらっているということは、親も何らかの手助けをして息子を支える必要がある。
仕事と障害者年金で得たお金で生涯困らない生活を出来るように、そして人に騙されないようにとこれから教えていかなければいけないことはたくさんある。
それには私自身が健康で長生きをして、なるべく支える側にいることだ。
FNS歌謡祭
今夜のFNS歌謡祭を予約録画した。
今夜の放送が第2夜らしく先週は見ていないが、今週は少し注目している韓国のストレイキッズが出演するので録画してその部分だけ見ようかと思う。
あまりにも長時間過ぎてリアルタイムでみるのは無理だから。
それに最近の曲も何も知らないことが多すぎて、紅白歌合戦も録画して見ようと思っている。
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