今朝は寒く感じてためらわずにストーブを点けた。
風邪はたいしたことはないが悪化させたくないから温かくして過ごすのがいい。
昨日は「さかがみ家」YouTube生配信の前に少しだけでもと思い草取りをしていたら、勢いよく雨が降り出した。
取った草を片付けて家に入ったが、結構な雨で濡れてしまい急いで着替えた。
雨が降ったりやんだりの天気だが台風でもっともっと大変な地域がある。
台風2号
昨日も記事にあった車が水に浸かった写真、どれだけ恐ろしかっただろう。
広範囲が冠水「放置車が山ほど」 大雨から一夜明け、愛知で被害
毎日新聞
濁流に流され男女2人不明、家屋倒壊で住人と連絡取れず…大雨で1人死亡5人不明
読売新聞
自分も一度だけ、物凄い暴風雨の中で運転してヒヤッとしたことを思い出す。
ちょっとした坂道を自分の車が登った時に、前を走る車が坂を降り切って浸水して止まったのだ。
このまま坂を降りたら危ないと思って別の道に迂回出来て、何とか浸水は免れたことがあった。
家に帰る途中でそれ程の距離じゃなかったのにあっという間に水かさは増して、水が引くまでスーパーの駐車場で待ったのは気持ちを落ち着ける意味もあった。
かなり昔の記憶なのに今でもあの恐怖は忘れらないから、台風のニュースがあると胸がざわつく。
毎年かなりの数の台風がやって来るから戦々恐々になるし、自然の恐ろしさを目の当たりにする。
「ぼっち」
若いと周りが気になって、1人でいることをどう見られるか?どう思われるか?を考え過ぎるのだと思う。
4人殺害の引き金になった「ぼっち」 「ソロ活」肯定の一方、若い世代に広がる孤立への恐れ
東京新聞
よく1人で外食が出来ないと言う人がいるが、自分の周りで言うと1人で行けないと言う人は割と末っ子の人に多い気がする。
誰かと一緒じゃないと行けないのもそれはそれで誰かに頼りがちなところは、可愛さなんだと思う。(自分にはないものだが)
外食以外に映画でも美術館でもコンサートでも自分なら1人で行っても満足できるし、なんなら1人の方が満喫出来るというものもある。
自由と孤独はセットとはよく言うが自由が欲しかったら孤独も当然ついてくる。
1人を充実させれば孤独感は少ないと思う。
1人で過ごす時間は誰にとっても必要だが、なかなか作れない時期もあり子育ての時代はまさに1人の時間は作りたくても難しかった。
以前は下の息子が就学前から通っていた療育関係のママ友たちの付き合いがあって、週に1度コミセンを借りて集まっていた。
子供が小さい頃はそのママ友たちとの交流が励みになったりもした。
けれど子供が大きくなるにつれて育ち方や方向性もそれぞれ違って来る。
そうすると子供抜きで付き合う程親しくしたいのかと思うと、自然にもう付き合いはなくてもいいかなという人も出て来る。
無理しての付き合いは気持ちに負担がかかる。
自分がこれからも会いたい、話したいという人だけしか連絡って取らないようになるものだ。
本当に自分に無理なく続けて行ける付き合いだけにするのがいい。
人付き合いはそこそこあるのもいいし、それでも最低限でいいと思う。
自分に向き合って問いかけた時、その人との付き合いがしたいかしたくないか結論は出る。
「ぼっち」と言われることを恐れるというのはやっぱり若いから。
若さゆえの自意識過剰な部分があり過ぎるんじゃないだろうか。
人の目を気にし過ぎると言うのかな。
人の目が気になって内に籠ることが結果的に引きこもりを生み出す場合もあったり。
友人はいない息子
下の息子は発達障害があるし友人は1人もいない。
発達障害があっても友達がいる子はいるし、寄宿舎生活をしていた時も友達と楽しく過ごしている子たちもいるにはいた。
でも息子のように1人でいる子もいてそれぞれなんだと思っていた。
子どもの頃はクラスメートが家に来たこともあったが、上の息子のゲームソフトを盗まれたりしたこともあってそういった子は出入り禁止にした。
下の息子自身が人との付き合い方も分からなくて、言いなりになっていたりで友達関係は築けなかった。
友人はいないよりはいた方がいいが、親しい関係を築けないまま大人になるのも仕方ないと思う。
1人でいることを引け目に思うことはないし、むしろ1人で動けることは強いと思って欲しい。
それよりも悪意を持ちながら隠して近寄って来るような人から身を守る術を身につけて欲しいものだ。
4人を殺害して立てこもりまでした容疑者は充分な生活レベルにあったけれど満たされないものがあったのか・・・。
満足していたら事件など起こさなかったはずだが、生活に困ってはいなかったけれど心は鬱憤だらけだったようだ。
その不満を他者に向けたこと、幼児性というか大人になり切れていないことを感じる事件だ。
引きこもりを続けている人たちには他者に分からない苦悩もあると思うが、大抵の人は他者に不満を向けないと思う。
1人が「ぼっち」と呼ばれその言葉にそれ程傷つくものなのか自分としては計り知れないが、あまりに周りに振り回され過ぎか、それか思い込みが激しすぎるかだ。
もっと自分を大事に自分の考えや思いを一番に考えれば周りがどう思おうと関係ない気がするのだが、年を経ないとそう思うのは難しいかもしれない。
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