冷え込んだ朝だけれど快晴で気持ちがいい。
今日は息子が休みなので送迎はなく、ゆっくり家のことをやっている。
昨日友人からサツマイモとジャガイモと人参を貰ったので、ストーブの上で小さめのサツマイモ数本を焼いている。
子供が小さい時はスイートポテトもどきとか必死に作ったものだ。
でももう食べる人もいないし人にあげても喜んでもらえるとも思えない、買ったものの方がおいしいし。
多分、焼き芋も全て自分の胃に収まるかもしれない。
色々と雑用を済ませて焼き芋出来たかなぁと思って、アルミホイルの中のキッチンペーパーを開いてみたらいい具合に出来ていた。
朝ごはんもしっかり食べたのに美味しく頂いてしまった。
お昼は軽くしなくちゃ。
「妻の介護に疲れた」
また悲しい事件があった。
神奈川県で79才の妻を海に突き落として殺害したとして81才の夫が逮捕された。
夫の供述は「妻の介護に疲れた」。
これだけ知っただけでも何ともやり切れない気がするし、とても他人事ではないと思う。
自分もこれからどうなるかわからない老後、もう高齢期に進んでいると思うとこの事件を単なる殺人と片付けられない思いだ。
海に突き落とす時に、奥さんは意識があったのだろうか?
もしかしたら我が身がどうなるか覚悟していたとか、夫の介護疲れと同時に妻も生きる意味を失っていたりしなかったかとか考えてしまう。
特に最近妻の足の具合の悪化で別の施設への入居を話し合っていたというから、勝手な想像だけれど住み慣れた家から出ることも不安だったとか・・・。
「殺して欲しい」と懇願されて殺人に至る事件もあったりする昨今。
先の見えないいつ終わるともしれない介護。
このご夫婦は40年もそんな生活をされてきたというと、人生の半分は介護の日々だったということ。
介護する側は疲れ、苛立ち、ストレスも多いし、介護される方も「してもらう」という気が引ける・思うようにならないストレスがあると思う。
介護にまつわる殺人の事件があるたびにいたたまれない気持ちになる。
自分もこの先どうなるかは分からない。
理想と現実は違うから、いくら歩いていても歩けなくなる日は来る。
ただ考えても先のことは分からないから、悲観するだけ無駄と思って、今出来る事をするしかないんだと思う。
サツマイモを食べたせいか少し胃もたれを感じる。
「満州アヘンスクワッド」
9巻まで読んだが、どうも登場人物が次々に出てきて覚えられないくらいになって来た。
そして10巻は未読なんだけれど、期待していた溥儀の妻の「婉容」はおそらく10巻でも登場しないかもしれない。
1巻の最初のページで登場した「婉容」はインパクトがあった。
でもこれはうーんと先の話のさわりであって婉容は10巻以降、今連載されている話に出てくるのだと思う。
そうなると先の長い話で私はついていけるだろうか・・・。
まぁ、「ガラスの仮面」みたいに長くはないと思うけれどあまり長引くと待っていられるかなぁ。
話自体は面白いし、満洲の建築物を見て遥か昔に思いを馳せるのは楽しい。
結構残酷な場面があったりするのも少し慣れて来た。
でも戦争当時、これくらいというかこれ以上の蛮行をしていたとも思う。
日本が侵略して作った満洲国にしろ、731部隊が中国の人たちをマルタと称して行った人体実験にしろ決められたらやるしかないのが戦争。
日本だけじゃなく戦争となるとそういった行為が当たり前になるのが怖い。
今だってそういう事が行われているということは、皆恐らく想像がついている。
ただ考えないようにしているだけだと思う。
そうやって目をそらさないと自分の意識を守れないから。
「満州アヘンスクワッド」は取り敢えず10巻まで読んだら売らずに次の号の発売を待ってみよう。
自分の記憶力は本当に信用できないから、読み終えたからと言って売ってしまったらきっとすっかり忘れてしまうだろう。
今も少し登場人物を再確認しないと訳分からなくなっているから読み直した方がいい。
松居直美さんのブログ
ついさっき松居直美さんのブログが更新されていた。
とても心が温かくなる内容でリブログしたいと思うけれどなぜかリブログ欄が使えないように設定されている。
ブログの内容は金木犀の木の下に既に眠っている先代犬の豆ちゃんのところに、愛猫ハナちゃんを一緒にしたこと。
木の根元にすみれの種をまいたこと。
息子の直樹さんがハナちゃんがずっと近くにいると言ってくれたこと。
大好きだったベランダで直樹さんとハナちゃんのいる写真、ベッドで直美さんと寛ぐハナちゃんの写真などがアップされている。
どこか童話を読んでいるような文章で「わすれられないおくりもの」を彷彿させる。
直美さんは失ったものの大きさ以上の大きな愛を感じているようだ。
時に寂しかったり悲しかったりしても、やがて沢山の思い出が心を満たしてくれるのだろう。
直美さんとハナちゃんの関係を見ていると年数じゃなくて、どれだけ相手と深く関われたかということが大事だと気づかされる。
またここでも「100才まで生きる」と豪語していた松居一代さんを思い出す。
決して自分は松居一代さんのアンチではないと言いながらも、首を傾げたくなるブログ内容を垣間見ると「長生きすりゃいいってもんじゃない」と思わさるのだ。
やっぱりアンチなのかな?
コメント