「老害の人」を読み終える

雑記ブログ

今朝も寒くてまずはホッカイロを貼ってスタートの朝だ。

晴れて太陽光が道路の雪を溶かしてくれるからまだいい。

それでも今日通った道はかなり悪路で、細い道はやっぱり除雪が行き届かないことを実感する。

しばらくこのまま晴れて雪が減って行って欲しいものだ。

迷惑動画

何故ここまで迷惑動画が氾濫いているのだろう、誰もが便乗して色んなお店に迷惑をかける行為が後を絶たない。

スシロー、まねきねこは謝罪拒否、吉野家も法的措置…加速する迷惑動画への“厳罰対応”

女性自身

特にカラオケ店での火炎放射の動画は一つ間違えば火災で大騒動になってもおかしくない動画で、娯楽施設で悲劇を招くところだった。

そんなことを平気でやっていて、その後動画の当事者たちは店に謝罪に訪れたとあるが「謝って済む」ことではない。

どうしてそんなことが普通に出来るのかが分からない。

「人間は考える葦である」という言葉があるが、自分自身もそう思っていたが違うのだろうか。

いつの間にか人は考える力や言葉を理解する力が衰えているみたいだ。

前に読んだ石井光太さんの本を思い出し、「国語力」が絶対的に落ちているのではないかなんて思う。

あまりに早いネット世界で溢れる情報、それは善悪が混ざっていて自分で考えて理解する力がないと流されてしまう。

そんな世界に慣れきって思考力や想像力が不完全なまま年齢を重ねた人たちが、家庭を作り子供を育てる。

当たり前のことが置き去りにされていってるとしたら、これからも迷惑と思わない人たちによって迷惑動画が繰り返される。

私も息子も回転寿司に行く機会は滅多にないが、回転寿司の騒動の時にはお店も大変だろうなという印象だった。

でも回転寿司から始まりカラオケ店、更には牛丼店などに迷惑動画は波及している。

チェーン店は全国にあるものだから同じことを模倣する人たちがあちこちに出て来る。

外食産業はこのダメージに厳正な態度を取って当然だし、厳しくしないとますます図に乗る行為が増えてしまう。

お店にしたら迷惑行為の客とのいたちごっこかもしれなくても、こうなったら厳罰化もしなくてはならないと思う。

チェーン店だけじゃなく今度は若い男性が線路に向かって長い棒を投げ込む動画も投稿されたという。

世の中はいい話よりもこういった迷惑行為が騒がれて「我も」「我も」といった気持ちで動く人がいるようだ。

「やめなさい」と言われて余計にやりたくなる子供を見ているみたいだ。

「老害の人」

内館牧子さんの「老害の人」を読み終えた。

軽いタッチで読めて読後感もいい。

ただ老いて行くのではなく老いてからこそ生きがいを求めて、自分たちの手で「世の老人のためのサロン」を作り上げる姿は爽快だった。

現実には難しいが理想的だなと思った。

公的機関が近隣のコミセンなどで定期的に開催するサロンなんかが、コロナ以前はあちこちに出来ていたからそんな感じに似ている。

役所の福祉課みたいなところが携わることで運営を手引きして上手く廻していたと思う。

家に閉じこもりがちの高齢者があつまるサロンはコロナを経て今もあちこちでやっているのだろうか。

自分は行きたいと思わないが、1日中誰とも話さず過ごすより人との交流が推奨されるからいずれ行くような事があるのかもしれない。

自分としては浅い関わりが理想で間違っても運営に携わったりといった面倒なお役をしたくないから、出来ればサロンなんかもごめんだが・・・そうは言ってももっと年齢が行くと先の事は分からないからなぁ。

本の中に「私はじきいなくなる」「早く死にたい」「こんなに食べられない」と言いながら常に完食する女性が出て来てありがちだなと思った。

同じ話の繰り返しが多くなるのは常だし、耳も遠くなるから声も大きくなる。

何度も聞き返すのも悪いと思うのか聞こえた振りをしてみたりする。

孫自慢が多くなって友人関係が一時的に悪化するが、自分にも孫が出来て孫を自慢する気持ちが分かって和解するなど、どれも「あるある」の老害だ。

自分に孫はいないが、入院中の友人には孫が確か片手以上はいたと思うがあまり自慢する人ではない。

まぁ、もし自慢されたらあまり話は聞きたくはないかな。

老害は静かに身に迫って来そうだし、既に自分に来ているのに気づいていないのかもだ。

自分自身が気付くことで人に害を及ぼさないでいられると自分は思っているが、それもこの先どうだか分からない。

言えるのは老害を及ぼさないためにも出来るだけ人と距離をとって、自立した暮らしを続けて行けたらいいと思う。

内館牧子さんと林真理子さん

「老害の人」を書いた内館牧子さんは林真理子さんと仲がいいはずだ。

少し前に読んだ林真理子さんの「成熟スイッチ」で感じたことをこの本からも感じた。

ある程度の年齢に達すると嫌いな人がいなくなると言うのかな、来るもの拒まずになるという。

林真理子さんは本の中で瀬戸内寂聴さんや渡辺淳一さんをそんな風に言っていた。

どんな人をも受け入れる度量の広さが生まれるらしい。

「老害の人」ではクレーマーで本当に嫌なことをずけずけ言う人も出て来る。

そんな人とも心を割ってというか、その人の優れた部分を引き出して仲間に招き入れサロンのスタッフとして力を発揮させるのがサロンを思いついた85才の男性。

サロンを始めると宣言した85才の人物は元経営者というリーダーシップの資質があったから、老害を逆手に取ってクレーマー女性の持つ知識をサロンで発揮する方向に導いたのだと思う。

実際に上にたつ人次第で集団が良くも悪くもなると思う。

今の自分じゃ到底出来ないような関係がもっと年齢が行くと築けるようになるのだろうか?

自分はきっとそんなに心が広くなるとは思えない。

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