面白かった村山由佳さんの本「二人キリ」

雑記ブログ

朝から石川県で大きな地震があったようだ。

また恐怖が再現して北陸地方の方達は恐ろしい思いがしただろう。

津波被害の心配はないのがせめて救いだが、アナウンサーの方が軽く息を吸ってゆっくり吐いてと促している。

そう言えば深呼吸も大事だななんて思って、自分も軽くじゃなく深く息を吸って吐き出してみた。

地震の被害が極力ありませんようにと願うばかり。

「二人キリ」

村山由佳さんの本「二人キリ」は買って良かった、読んでみて良かったと思った。

林真理子さんがYouTube「マリコ書房」で紹介していなければ本屋さんで見てもきっと素通りしていた。

大切な本を見逃すところだったと思うと、林真理子さんに感謝だ。

本屋さんで1冊だけ置いてあった本を入手出来たタイミングは嬉しかった。

そしてこんな大作を書いた村山由佳さんを今更知ってみて他の本も読んでみたいと思った。

「二人キリ」は読んでいると本の世界に引き込まれて現実との堺が危うくなり、普通に過ごしていても早く本の世界に浸りたいと思っていた。

そして残りのページが少なくなると進むべきか・・・進むしかないのだけど何とも複雑な気持ちになった。

「二人キリ」は阿部定事件を扱った本だが自分が事件を知ったのは大島渚監督が作った「愛のコリーダ」だった。

当時の自分は高校生だったと思うがロードショーという映画雑誌を買っていた。

ロードショーは主に洋画情報を扱っていて邦画も少しは載っていたと思うが、当時は自分にとって映画と言えば圧倒的に洋画だった。

「愛のコリーダ」はあまりにもセンセーショナルだったし、事件の内容を知って驚いたというかその頃はまだ今ほど残酷な話に慣れていなかった。

おぞましいという印象で記憶しているしかない程度だったと思う。

もう少し時が経って20代の頃だろうか、「愛のコリーダ」の歌が流行した。

はて?誰が歌っていたっけ?としばらく思案してクインシー・ジョーンズだったと思い出した。

脳梗塞を発症した後、思い出すことに少し執着していて数日間かかって思い出した。

けれどこの「二人キリ」を読んでいると自分の思い込みというか、人は自身が思ったように見るものだなと思い知る。

自身が思いたいように作り変えるというか、思いや考えは1人1人が違っていて当たり前だからいいのだけれど。

けれどその思い込みが公の場で一人歩きしていくと怖いことになるとも思った。

「二人キリ」を読み終えて思ったのは”出会ってしまった二人”ということ、運命の出会いとはどうしようもないというか…。

抗ってみてもなるようにしかならないというか…。

阿部定という人の見方は人それぞれでいいのだけれど、世間ではあまりにも洗脳されるような情報が溢れてしまいとんでもない悪女と化していたようで真実は闇の中に隠れてしまう。

「二人キリ」は小説でフィクションではない。

でもこれがノンフィクションであっても書き手による思いというのは映し出される。

阿部定という女性の一代記を読み終えてみて、こういう女性もいるのだなと思った。

決して上から目線で言うのでない。

「二人キリ」は阿部定が手にかけた石田吉蔵の息子が、関わりのあった人たちから数年間にかけて彼女について聞いて回った証言が随所に出てくる。

石田吉蔵は正妻との間に息子と娘がいたが、長年にわたり阿部定との関係者を探しあてて聞き出していたのは石田吉蔵と妾さんの間に生まれた息子である。

子供の頃にたまに来る父親である吉蔵は優しく頼りがいのある人物で彼は吉蔵を慕っていた。

だがそんな父親が突然事件の被害者としてこの世を去ったばかりが世間を騒がすニュースになったのだ。

父親の亡くなった事件の真相と共に阿部定の心の底が知りたい積年の思いで、執拗に関係者を訪ねて歩く息子だった。

証言者ごとに言い分は違うがその証言が証言者の発言そのままを書いてあるのが、臨場感溢れていて真実に迫っていくインパクトがあった。

子供の頃の幼なじみから始まって事件に至るまでに関係した人物や、事件のあった場所の女中さんまで色んな人が語る阿部定が出て来る。

この「二人キリ」では彼が主人公になるのだろうが阿部定も主人公と言えるだろう。

読んでいると決して稀代の悪女ではなく真面目さと義理固さも持ち得ていた。

それでいて欲深だったり人を虜にする不思議な魅力を放ってもいた。

子供のような部分を持ったまま大人の妖艶さが更に上書きされたような、というかうまく表せないが。

色んな人から聞いて回った息子は数十年後に阿部定に会いに行き、徐々にその心の深層に近づくことになる。

阿部定に会いに行く頃の彼は脚本家をしており、将来を嘱望されつつある友人の映画監督と映画作りに組んでいる。

最初は彼を突き放していた阿部定も彼の中に石田吉蔵を見たからだけじゃなく、心を解き放つ人を見つけたかのようで次第に当時を語り出す。

男女の濃密な関係よりも阿部定という女性が辿った人たちとの関わりを自分も俯瞰したような気持ちだ。

読み終えて本を閉じたら、長い旅をひと息に駆け抜けたような感じがした。

最近の自分にしては先が読みたくて時間を見つけては読みふけり、いつもよりは早く読み終わった気がする。

こういう本を読むと四六時中本の世界にいる感じがしながら、普段の生活も勿論している訳でどこかに心を置いてきている気がする。

心此処にあらずとはこんなことを言うのだろうか。

阿部定と呼び捨てにしていたが失礼な気がして来て、阿部定さんの人生を垣間見させてもらったのだと思う。

こんな恋愛感情もあるのかなとは思うが、自分にとっては別世界できっと理解はしていない。

阿部定さんの真実がどこにあるのかなんて結局見た人聞いた人の分あるように思えるから、やっぱり思いたいように人は思うのだ。

けれど嫌悪するでも憧れるでもなくこれだけ何かに焦がれる人たちもいることに感情が揺さぶられた。

こんな本を書ける村山由佳さんという方の偉大さ。

本を書くことは資料になる沢山の書物を読み漁ることでもあり、巻末には参考資料が羅列されている。

阿部定さんを知るために関係者に何年も聞いて回った主人公の石田吉蔵の息子と村山由佳さんが重なる。

それとこの石田吉蔵の息子にも何かしら村山由佳さんは仄めかしていた気がする。

相棒の監督である年下の友人に対して彼は友人以上の気持ちを持っていたようなのだ。

今よりもかなり昔、時代は昭和40年代になるのか。

そんな昔には今みたいな性的マイノリティは公じゃなかったはずだから、彼の思いは成就したかわからない。

けれど父親を死に追いやった阿部定さんについてあれだけ丹念に執念に思えるほど、知りたい気持ちを持ち続けたのだ。

彼自身が思う人への愛情を持て余し父親たちの事件と自身に繋がる何かを模索していたのかもしれない。

小説であってフィクションでありながら実際にあった事件でもあるわけで、そう思いながらもどこまでが事実なのかそれがどうでもいいくらい引き込まれた。

次元の違うところにいる自分がどれだけ「二人キリ」を読み取れたか分からないが、その前に読んだ「黄色い家」を思い出すのに時間がかかる。

面白かったと言いながら「二人キリ」も忘れてしまうのだろうか・・。

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