スマホのゲームと忘れられない本

雑記ブログ

スマホのゲームアプリは暇つぶしに最適、私は数独が好きだ。得意ではないと思うがやり出すと飽きずに続けられる。

スマホだけじゃなく大きな文字(老眼用)のパズル本「ナンプレ」も1冊は持っている。

夢中になるとテレビ番組なんかよりも楽しくて静かにパズルの世界に没頭する。

すると時間があっという間に過ぎるから、パソコンと同じで時間を忘れて慌てることになる。

スマホのアプリばかりやっていると、本のパズルが解きづらくなるから、これはスマホアプリと本の解き方に違いがあるのかもしれない、脳の働きが変わるのかな?

あとはGREEの釣りゲームと「クリノッペ」という毎日育てるというか食事などのお世話するもの・・・これもゲームと言うのだろうか?それと「箱庭」を作るゲームの3つを気がついたらもう10年以上正確に言うと14年位日課で続けている。ガラケーからスマホに機種変更してもGREEは長い付き合いだ。課金はしない。

辞める時期を逃しているみたいな惰性でやっている状態が正しいかも。

人と話すよりスマホのアプリで楽しんでいる。でもそれじゃダメなんだろうな。

協調性

元々協調性がない。だから集団生活が苦手だったけれど仕方なく当時は学校には行くものだったから行くしかなかった。

就職後も仲良く出来る人も少しばかりはいたけれど、その場限りで浅い付き合いだけで心を打ち明けることはなかった気がする。何せ仕事が終わったら早く逃げ出したかったから、観楓会や忘年会・新年会は殊の外嫌だった。今の時代なら仕事以外の行事は嫌いで当たり前だと思うし、男の人にお酌なんてしなくていいのはいい時代だ。

結婚して次男に発達障害を指摘されて、療育に通ううちに同じような子を持つ親の知り合いが増えて行った。すると親の集まりが増えて子供のために参加せざるを得なくなって色んな行事に参加するようになった。

勿論、長男の時も親との付き合い、いわゆるママ友という関係も出来ていってお茶会等でお互いの家を行き来したりもした。あらゆる母親が通る道なのだと思うが、どうにもお付き合いは気が張るというか楽しいというより無理に合わせていたと思う。

ママ友が起こした事件などが報道されることがあると、きっとやむにやまれぬ事情があったのだろうと事件が理解できるような気がしていた。人間関係が世の中を支配していると思うからもし私が独り身だったとしたら必要以上のお付き合いはしなかったろう。「たられば」を言っても意味はないのはわかっている。過去には戻れないし、今も過去になるから明日を考えて行かなきゃいけない。

逆に考えると人付き合いが嫌いな自分に、息子たちが人と交わるきっかけをくれたということなのかもしれない。

わすれられないおくりもの

スーザン・バーレイさん作の「わすれられないおくりもの」を私は忘れられない。

森の動物たちに愛されていたアナグマは年老いてひっそりと亡くなってしまい、それを知って初めはアナグマが亡くなった悲しみに襲われる動物たち。

でもやがてアナグマが動物たちそれぞれが困らないように色んな知恵を授けて亡くなったことを受け入れて「ありがとう、アナグマさん」という感謝の気持ちに昇華されていくというような話。

まるで人の死と同じで、それが子供の小学校の教科書に載っていて読んだ時に涙が出そうになった。

お話も絵もスーザン・バーレイさんの作で絵もほのぼのとしていてあったかい。アナグマは動物それぞれにアナグマがいなくなっても困らないように自分の持っている術を与えて逝った。

アナグマの亡くなる描写も素敵で、確か・・・もう早く走ることが出来なくなったアナグマだったが”夢の中で早く走っていた”とあってその翌朝亡くなって発見されたと思う。

この本なら手元にあってもいいかも知れない、それくらい心があったかくなる話だ。

私はアナグマさんのように多くの人に慕われることはないが、せめて息子たちに私がいなくなっても困らない術を伝えられたいいと思う。そうは言っても私の方が長く生きるかもしれないけれど。

結論は私にとっては人よりやっぱり本がいい。

読まれたいと思っている本

以前は図書館でよく本を物色しては面白いと思ったものは買って、家でじっくり読んだりしていた。

その中でもショッキングで驚いた作品がヤン・ソギルさんの「闇の子供たち」だ。元々ヤン・ソギルさんは何冊か読んでいて好きな作家だった。「闇の子供たち」は内容が貧困層の子供たちとその子供たちを餌食にする大人の醜さが露骨でこんな世界があるのかと気持ちが揺らいだ。

ざっくり言うと子供の人身売買、幼児売買春、臓器売買といったあらゆる違法が世間一般に知られることなく横行しているタイでの話だ。最初にスラムのゴミ山に捨てられた子供が発見され、その子供は幼児売買春の犠牲で性病になり使い捨てのようにゴミとして捨てられた。

そんな人間以下の扱いばかりがこの話にはこれでもかと言うように出てきて、初めてそんな世界があるのを知ってまさに驚愕だった。全てが本当かわからないがでも全くのでたらめではないと思う。

衝撃を受けたけれど読んで知ることが出来たし、時々本を探していて「読んで!」と誘っているような気を引く本がある。「闇の子供たち」もそんな気を引く本だった。

ヤン・ソギルさんは人間の持っている裏側の部分を抉り出す表現が上手い作家さんだと思っている。誰にでもある表の顔と裏の顔がきれいごとじゃなく描かれているからいつもヤン・ソギルさんの本があると立ち止まってしまう。

そして読んだことがあるのを忘れて同じ本を買ってしまうのがヤン・ソギルさんの本だったりする。

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