昨日、宮嶋茂樹さんの本「ウクライナ戦記」を読み終えてしまった。
現場に赴いた人の話はリアルで作り物と違って、地味な活動と戦地での何事もスムーズに行かないもどかしさをしみじみ感じるものだった。
宮嶋さんはいつもこんな経験を世界各地で積んで来られたんだ。
本当に現場じゃないと分からないことが多いのだと思う。
カメラと文章の力
宮嶋茂樹さんはカメラマンだから写真は圧巻なのだが、それにも増して文章を書くところが魅力だ。
関西弁をそのまま文にしているからなのかとても軽妙なタッチ。それでいて戦地での何もかもが「ひたすら待つ」という時間との戦いで、滞りがちな日々が実態として想像出来る。
日本のように電車の時間がキッチリ遅れることなく成り立っているのとは雲泥の差だ。
そんな中でも、宮嶋茂樹さんが度々日本を憂う気持ちになることも同感する。
ウクライナの人々が大変な状況なのは事実だけど、食の自給率が100%だというウクライナ。
戦時中という混乱の中でも、食事は豊富に準備されていて、戦うための原動力になっている。
日本の食の自給率は40%に満たないことや、それにも増してウクライナの人々の自国を守るという信念の強さが日本人の場合はいざという時発揮されるのか?
実際にウクライナの人々に宮嶋さんは同行して、軍の小隊と寝食を共にして感心してたのは銃の扱いの丁寧さだった。
宮嶋茂樹さんの過去の経験から、彼らの銃の扱いや手入れの仕方を見るにつけ『とても良く訓練された隊』だと分かるらしい。
ドローンでの戦い
その昔、イラク戦争だか湾岸戦争がコンピューターゲームのようにテレビで映像が流れて戦争も変わったような事を言っていた。
近年の戦闘ではドローンが活躍するそうで「ドローン小隊」という精鋭の部隊がいると知った。
ドローンは敵のロシアも使っていて双方でニンテンドーDSみたいなものを操作しているのである。
ドローンにもいろいろあって、正確に敵の位置を把握する偵察型や、ミサイル搭載の攻撃型の他に自爆するためのドローンとかもあるそうだ。
それと驚いたのは戦場の最前線でもWi-Fiが使えるということ。ウクライナ全土で。凄い!
宮嶋茂樹さんの本の受け売りに過ぎないが、それでも実際の戦争は今も昔も変わらず何の罪もない人々が犠牲になっている。
帰って来ることのない主を待つウクライナの「忠犬ハチ公」の写真に胸が痛んだ。
宮嶋茂樹さんはペンと写真で現状を訴える。
ウクライナが侵略されてから2回も戦地に行っている。還暦過ぎて・・・と言いながら。
防弾チョッキがや他の装備が重くなるため、トイレに行く回数を減らしたいと思うと、食欲が自然となくなるそうだ。体重も自然と落ちていく。
装備の重みで5cmは背が縮む気がするそうで、そんな重力がかかる中で被写体を激写しているのかと思うと、私も宮嶋さんの撮った写真を(飛蚊症ではあるが)この目に焼き付けたいと思う次第だ。
そんな宮嶋茂樹さんはやっぱり尊敬する人だ。
日本の心配
そしてウクライナに居ながらも宮嶋さんは日本の現状を心配していた。
島国の日本、資源もなく食糧自給率も低いのに万が一ロシアや中国、北朝鮮なんかに攻め込まれたら「どないすんねん!」と。
「籠城」とか「餓死」「凍死」という単語が浮かぶが、果たして経験したことがない程の空腹にどれだけ耐えられるのか、私の皮下脂肪でどれだけ寒さに耐えられるのか? 冷え性だし・・・。
なるようにしかならないのは分かっているが、「愛だの平和だの話し合いだのきれいごとでは通用しない現場」を見るにつけ、読むにつけ自分を含めて日本は吞気過ぎる気がして来る。
まだ続いている悲劇を少しでも感じるためにも、また読み返してみるつもりでしばらくこの本は手元に置いておく。
墓じまい
昨日、友人がご主人の方のご両親が眠る墓の「墓じまい」をするのに、早朝から出掛けて行った。
ご主人の実家は遠く車で3時間はかかるので、これまでも行き来が大変そうだったから、来月には車で40分位の所の納骨堂に移るそうだ。
「墓じまい」別の言い方だと「閉眼供養」というそうだが、お墓やお位牌、お仏壇の移動や処分の際に必要な儀式とある。
こういうのが私は七面倒くさいと思うところ。多分、私の年齢くらいまではちゃんとそういう儀式にのっとった行為は大事と思うようだが私は内心嫌で仕方ない。
お経やその後の説教とかって聞いてためになるとか思わないし無駄に思う。その都度お金が必要なのも嫌だ。
葬儀はともかく、何回忌とかの法要、定期的なお参りなんていっそ廃止してもいいんじゃないかと思うくらいだ。こんな事は声に出して言えないし、考え方が罰当たりかもしれない。
友人にしてもきちんとこなしているのだから、それが普通なのだろう。
私自身は自分で供養する気持ちがあればそれでいいと思うんだけど、そうも行かないのが厄介なことだ。
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