ストーブに灯油を入れたいが寒さで外に出たくないのでもう少し気温が上がるのを待っている。
息子2人の部屋のストーブはいわゆる石油ファンヒーターというものでコンセントに差込んで使う灯油ストーブ、あと茶の間のストーブの一つは反射式ストーブで災害時に電気なしで使えるストーブ。
茶の間では寒い朝には2台のストーブで暖を取ることにしている。
石油ファンヒーターも反射式ストーブも物置に置いている灯油のポリタンクから給油しなきゃならない。
雪が降りそうな時には事前に物置で給油を済ませておくし、雪が降らなくてもストーブを使えば灯油は減るから定期的に給油しなきゃならない。
今日はまず出掛ける前に給油を済ませてしまう予定だ。
「はやく起きた朝は・・・」
午後に今朝放送の「はやく起きた朝は・・・」を見た。
森尾由美さんのお話は娘さんがアメリカの学校で寮生活を始めた時のエピソードだった。
寮に送り届けた娘さんが泣き出してお母さんの森尾由美さんもホロッとしたけれど、一度別れてから忘れ物があって娘さんに届けに行くとケロッとしていて拍子抜けしたというもの。
上の息子の場合は住まいの引っ越しに携わったが大学生になる時だったこともあって、少しの心配だけだった。
下の息子は中学を卒業して地方の特別支援学校の寮での生活で色々と準備するものが沢山あった。
沢山の荷物を抱えて慌ただしく入寮したので、泣いて別れるような感傷はなかった。
でも毎週日曜日の夜に寮に連れて行き別れた後、自分のベッドに戻ってひとしきり泣いていることは寮の先生から聞いていた。
親に泣き顔は見せなかったけれど3年間の我慢で家ではきっと出来なかったと思うような成長をさせてもらった。
今、一緒に暮らしている下の息子は寮生活から逆行してしまっている部分はあるだろう。
親の出来ることがいかに少ないかだ、どちらの息子も社会が育ててくれている。
松本人志さん
毎日のように松本人志さんのことがニュースになっている。
8年前の出来事が性加害だとかで松本人志さんは活動休止が発表された。
テレビ番組で楽しませてもらっているだけで、松本人志さんの個人的なことなど興味もないけれど有名人になると大変だなぁと単純に思う。
ファンだけじゃなく周りにいる沢山の同僚・後輩がいて、今の吉本の社長もダウンタウンのマネージャーだった方だという。
松本人志さんの存在が大きくなり過ぎて取り入ろうとする人たちもいたのだろうか。
何にせよ本当のことは当人同士じゃないと分からないこと。
ただ有名人・著名人になってしまうと自身を見失うくらい大きな波がやってきてしまうのかなと思う。
松本人志はこのままテレビから消える覚悟か…抗議・反撃が弱い理由もそこにある(元木昌彦)
日刊ゲンダイDIGITAL
自分は小心者なので流れが変わることにビビッてしまうから、なるべく大きな変化が起こらないといいと思っている。
友人や夫もだけど毎回宝くじを買うがそんなもので大金が万が一当たってしまったら、取り返しのつかない事になると危惧する。
大金が手に入れば今の当たり前がなくなってしまうのが怖い。
大金が幸せを呼ぶとは思えないのだ。
今が最高に幸せとは思わないが人は不満があるのが当たり前だから、どんなにいい状況になったとしても何らかの不満が見えてくるものだと思うのだ。
不満があるから人は向上していくのかもしれないから、自分は向上心がないとも言える。
天才と言われる松本人志さん、沢山の楽しい番組を作ってくれたけれど活動休止してしまうとあまり見られなくなる。
そうは言ってもティックトックではダウンタウンを検索したら沢山見ることが出来るからそう困るでもない。
宮迫博之さんのように松本人志さんも今後はYouTubeでの活躍を期待する人がいれば、島田紳助さんのように引退して悠々自適で暮らすように言う人もいる。
松本人志さんの性加害問題には殆ど興味がないけれど、時代の変化を見るようでどんな流れになっていくのかは注目したいと思う。
多分色んな世界がある中で松本人志さんの住む世界とはこういうものなんだろうと想像するまでだ。
松本人志さんに関しては不思議と何も思わないのだが、小沢一敬さんという方は何故か人相が好きになれないと思っていた。
これは全く自分の思い込みだが顔つきとか表情が気に入らないと思う人はママ友でもいたりして、そんな感情と同じで小沢一敬さんという方にどうも苦手意識がある。
顔のことなどは絶対に人には言えないことだが、敢えて自分の顔は棚に置いた上での話。
「愉楽にて」
今、読んでいる林真理子さんの本「愉楽にて」も自分とは遠い世界の話でありそこがまた面白い。
日本でもトップに君臨するような企業の家系の人たちがどんなリッチな生活をして知的好奇心を満足させているか。
もう話の内容がすべてリッチで自分からすると別の国の人たちのようであり、でも何人かの日本人の話でお金のある人たちの優雅な当たり前が新鮮に思う。
お金があれば知識や教養といったものが子供の頃から養えるし、そんな教養にあった交友関係や恋愛関係を持つことも出来るのだ。
人は生まれた場所によって育ち方が違うと思うけれど、それでもどんな人も満足だけでは済まないし不満はどこにでもあるものだ。
生きている間は不満を解消するために何かしらするのが人間なのかもしれない。
幼なじみの友人のそのまた友人の話だが「幸せ過ぎて怖い」と話していたその人はやがてうつ病を発症してしまったと言う。
かなり昔の話だからもううつ病を克服したかもしれないし今がどうなのか知らない。
けれどあまりに幸せでも不安になるのかなぁとその時は不思議に思ったものだ。
人間は幸せを享受しすぎても良くないという事なのか・・・。
カーストではないにしても「愉楽にて」に出てくる人たちは自分には比べ物にならないくらい、知性と教養とお金を十分に満たしている人たちだ。
そんな人たちにも悩みや思い通りにいかないことがあり、鬱屈した思いがある。
幸せを感じるのはほんのいっときや一瞬でもいいのだと思う。
そして当たり前の日常を送る自分は今晩の夕食用にコロッケの下準備をしている。
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