夢に出て来た安田顕さん

雑記ブログ

起きる直前まで夢を見ていた。

沢山の夢を人は見るらしいけれどそのほとんどを忘れてしまうらしい。

でも起きかけの夢は割としっかり覚えているものだ。

以前フォローしていたブロガーさんは見た夢を記録してブログに載せていたが最近は見ないから、アメーバブログを退会したのかもしれない。

安田顕さんの夢

チームナックスというよりも俳優さんと今はいうべきなのか、安田顕さんと友人みたいに話し込んでいる夢だった。

自分より年下の安田顕さんだけど夢の中では、同年代らしく砕けて話していた。

なぜ安田顕さんなのか特にファンというでもなく理由は分からなくて、別に大泉洋さんや戸次重幸さんでも楽しかっただろうなと思う。

音尾琢真さんでもいいしリーダーでも勿論いい。

若い時の安田顕さんは着ぐるみに入っていたり、牛乳の早飲みで無理をして吐き出す姿が印象的だった。

当時は「テレビの仕事だけじゃ食えない」とバイトをしていたようだ。

でも色んな無茶をしていたことが全て実になり、今じゃ素敵に年を重ねた感じで夢の中でも魅力的だった。

今がカッコイイということは、生きている間に起きたことは全て無駄じゃないということなのかと思う。

安田顕さんは歌手のaikoさんと対談した時に、aikoさんの歌に涙したと話していた記憶がある。

その歌は友人の子供が誕生した時を歌ったもので、安田顕さんはご自身の娘さんとオーバラップしたようだった。

安田顕さんのプライベートはいい親子関係、家族関係なんだろうと思う。

朝から安田顕さんと語り合った?余韻が残り夢の続きのまま起きて、早朝から仕事の息子に合わせて家事を進めた。

今朝は雨が降っているから息子を送ったあとは、読書をしながら雨が止むのを待つ。

雨はなかなか止まないから、今日は歩くのは諦めることになるかもしれない。

それでも例年の7月よりも割と歩けた方なので、傘をさしてまで歩く気はない。

公園内に車を止めてしばらく読書に時間を費やしていた。

時折見渡すと、パークゴルフ場ではこの程度の雨だと利用者が結構やってきて、あの暑さに比べたら少々の雨の方が活動しやすいだろう。

気づいたら雨は止んだようで時間を見たら息子の迎えまで1時間あった。

これはやはり歩かなきゃと思い直して、45分くらいは歩いただろうか…軽くノルマは超えた。

暑くも寒くもなく湿度は高いだろうけれど、40度近い暑さを体験してみたら30度ないここ数日は夢のように思う。

代車のドライブレコーダー

昨日車検で借りた代車を運転していた時には気付かなかったが、今朝になって気づいたドライブレコーダーの存在。

ドライブレコーダーらしきものは、車のフロントガラスのルームミラーの横に付いていて、前方を映していた。

本当に昨日は全く気付かなくて、それだけ運転することに気を取られていていっぱいいっぱいだったのか。

一番悔やまれるのは昨日は1人で代車に乗っている時に、いつもの癖で歌を歌ってしまったことだ。

音声まで録音されるとしたら自分の大人げない歌が入ってしまっているのだ。

これは自動的に消えるものなのか分からないが、勝手に色々触る勇気もなく今朝から別の緊張がある。

変なことを喋らないようにとか、特に口ずさんでしまわないようにと思うと独り言を小さく呟く程度だ。

もともと息子を乗せていて会話が弾む程のことはないから、要は自分が独り言とか歌を口ずさまない事だ。

車検に出している自分の車の方が代車より古いけれど、それでもやっぱり乗り慣れた自分の車が良くて今後も新車を買うことはないだろう。

車は自分同様に外見が目立たず世にたくさんある車であり、要は目的地まで安全に運んでくれれば充分でそれ以上を求めてはいない。

ただ古い車だし走行距離130000kmを超えているから、いつまで乗れるのかとも思う。

自分の年齢と車の寿命との競い合いになりそうだ。

自動運転バスの試行運転は中断していて、なかなか難しいのだと思うから実現にはまだ時間がかかりそうだ。

運転が出来なくなったら、コープがやっている宅配サービスのトドックなどを利用することになるのだろう。

39.9度

今日一番気温が高い(今のところ)場所で39.9だそう。

ほぼ40度だと思うけれど本州のあちこちで39度台を記録しているとテレビのニュースでは報じている。

高い気温が続いたといっても北海道の今の気温は涼しい。

扇風機は一番弱くつけているが、あの息苦しいくらいの暑さが今はない。

一番暑い時に、幼なじみの友人は「学校のプールやヤングセンターが懐かしい」と言っていたものだ。

ヤングセンターというのは当時あった市民プールみたいなものだ。

確かにヤングセンターに行った記憶があるが、当時はバスで行ったのか歩いて行ったのか。

友人なら自分よりもしっかり記憶していると思うが、どうやって行ったのかあまり覚えていない。

ただ学校のプールには、入れる時には行っていたと思う。

今と違って各学校に屋外プールがありごみが浮いていたりもしたが、それよりもプールに入る前の消毒液みたいなものに浸かるのが嫌だった。

プールの授業では双子の妹さんも自分も泳げないクラスにいて、プールのシーズンが終わるまでバタ足で数メートル進めた程度だったと思う。

プールから上がると唇は紫色になりブルブル震え、暑いといっても恐らく今の暑さ程じゃなかったと思う。

大人になってからは市民プールにすら行かないが、時代も場所も変わりプールだって清潔になったと思う。

自分が泳げなかったから息子たちはプール教室に行ってもらい、ある程度までは泳げるようになったが活かすことは出来ていない。

せっかく泳げても下の息子の肥満対策にはなることはなく、足の爪の治療もあるしプールに入る事は無理だ。

自分にしてもいくら暑いからといって、冷え性になってからのプールは思いも及ばない。

子どもの時代の水泳教室通いは風邪をひかないための体力づくりだったと思うとその効果はあったはずだ。

今日の暑さはさほどじゃないが、最高に暑い時はとにかく食べて寝ることだと思って主食に力を入れていたから間食が減った。

今もその影響で間食するにもお菓子がなくそれでも平気でいる。

このまま間食の習慣が無くなればいいがそうは行かないだろう。

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