ここしばらくはお天気が悪そうなのでウォーキングは諦める日が多くなりそうだ。
台風14号も動きが心配。
どうか大きな被害がありませんように。
ハナちゃん
昨日は驚く程の食欲で最後の力を振り絞っていたのかな、動画でハナちゃんが食べている姿を見ることが出来た。
今朝は松居直美さんのブログはもうupされているがハナちゃんは昨夜から状態が急変とあるから、覚悟しなきゃならないかもしれない・・・。
もう長くはないと言われていたその命がここまで生きていることに「奇跡」と誰もが驚き称賛するであろうハナちゃん。
松居直美さんの献身的でたっぷりの愛情がこんな奇跡を生んでいる。
私ごときが覚悟しなきゃなどと言える立場じゃないけれど、こんな大変な時でもブログでファンに向けて発信してくれる松居直美さんに感謝と尊敬の念を持つ。
コメント欄のひとつひとつがもう素晴らしく感動で自然と目が潤んで、この事態を見守らずにはいられない。
毎日松居直美さんとハナちゃんのドキュメンタリーを配信してもらっているようだ。
坂上家のチャンネル
そしてもうお一方、昨夜は坂上忍さんの「坂上家のチャンネル」でYouTubeの生配信があった。
睡魔で夜10時まで起きている自信がなかったので、今朝見たら色んな情報満載だった。
期間限定の「さかがみ家」カフェが今日オープンすることの他に、ホームページやオンラインショップなどちょっと整理しないと混乱するくらいの情報量。
現地に行ってみたい気持ちもあるけれどまずはオンラインショップで販売しているものをチェックしてみたい。
こういったもので利益を追及して行くのなら何か協力できるかもしれない。
石井光太さんの本
新聞に石井光太さんの本が紹介されていた。題名は「ルポ誰が国語力を殺すのか」。
石井光太さんの本は何冊か読んでいるがとても分かりやすい上に、衝撃的な話題作や問題作が多い。
東南アジアの紀行ものから始まり、戦争浮浪児の存在した記録や川崎中一少年殺害事件などを仔細にレポートしてくれたものなど、私よりずっと若い人なのに教えられることが多い。
今回の「ルポ誰が国語力を殺すのか」はまだ読んでないが、題名に惹かれる。
ゲーム脳という言葉が前から言われているが、スマホを1人1人が持つ時代になって便利になったものだ。
反面ゲームに向き合う時間が増えてゲームの世界に翻弄されることになったりで、言葉の持つ意味を測りかねる子供たちが増えていることが問題なのだという。
言葉はコミュニケーションをつかさどると言うのに・・・この本は言葉の理解不足に危機感を持った石井光太さんの指南書かもしれない。
是非読みたいと思ってアマゾンで忘れないうちに注文した。
忘れられないおくりもの
少し前に書いたが息子の小学生時代の教科書に載っていたスーザン・バーレイの絵本「忘れられないおくりもの」。
息子の勉強の手伝いになればと思って読んでいた時、この「忘れられないおくりもの」の話にとても感動したのとは別にこの表現は息子に理解出来るかなと思ったことがあった。
それはこの本が「否定文の否定」があちこちに散りばめられていることだった。
アナグマさんは「知らないことはない」とか、アナグマさんが亡くなって「哀しまない者はいなかった」とか。
「知らないことはない」だと、『良く知っている』だし、「哀しまない者はいなかった」は『皆が悲しんでいる』となる。
息子は発達障害があったし、かなり落ち着きがなかった小学校時代・・・多分素敵なお話だけども理解は出来なかっただろう。
槇原敬之さんの「もう恋なんてしない」の歌詞『もう恋なんてしないなんて言わないよ』というしつこい否定を思い出す。 題名と裏腹にまた恋をするということだろう。
普通学級に在籍すること
理解出来ないことが問題というよりも、理解出来る時期ではなかったと思うと、無理に普通学級じゃなくても良かったと思うのだ。
人によって理解する早さは違うのにその場でわからないまま過ごすことが本人にとって良い場所ではない。
今はどうか知らないけれど、当時子供をたとえ障がいがあっても普通学級へ通わせたいという親御さんの集まりがあって度々新聞にその活動の様子が載っていたりした。
色んな考えがあってそれはそれでいいと思うけれど、私自身は何が何でも普通学級で過ごすことが本人にとっていいのかな?と疑問に思い出していた。
学年が上がるにつれて、学習や他のことにもついていけない息子が、授業中1人の世界で過ごすことが増えたからだ。
週に何度か校内で通級のマンツーマン指導をしていただいてたが、殆どの時間は普通学級の授業で楽しくはなかっただろう。
息子は中学校から特別支援学級に行って楽しんで学んでくれたと思う。
子供の発達に合った学びを提供してくれる特別支援学級で、人数も少なめなので急がないで学ぶことで少しずつだけどレベルアップして行った。
人生は学校に行く時期以上に成人してからが長いし、生きていればいつの頃からか理解出来ることもある。
小学校時代に「忘れられないおくりもの」の話に感動出来なかったとしても、その先では自分で感動するお話や音楽を見つけて心を豊かにすることも出来る。
そんな風に長い目で見られるようになったのは、息子が学生時代を終えてからなんだけど、それまでは自分自身にもどこか余裕がなかったんだと思う。
我が子の成長を待つ余裕があればきっと小学校も普通学級には入れなかったかもしれない。
でも過ぎてしまったことだから、それもいい教訓と思うしかないけれど。
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