昨日はとても疲れて早々に布団に入った。
気持ちが疲れると身体がより疲れを感じる・・・そんな日だった。
今日は朝早くから仕事の息子を送って、その後は少し自分の時間を持ちたいと思っている。
ひとりの時間
雨が降るから歩くことが出来ない今日は、マックカフェで1時間ばかり過ごした。
とても贅沢な時間で1人になれる環境が有り難い。
コロナ禍が関係しているかしていないかはわからないけれど、最近は特に人と会って話をするよりも静かに自分と向き合う時間が安心する。
買い物にしろお茶をするにしろ、誰かと一緒だと長く持たなくなってきている自分を感じる。
気遣いするほど気が利く性格じゃないが、誰かと一緒にいることに疲れてしまうようだ。
聞き上手でもないし、話し上手でもない。
とにかく自分1人が一番落ち着く。
多分、結婚していなかったり、子どもがいなかったりしたら人間関係は今以上に狭かっただろうしそれで満足していたと思う。
ある意味引きこもり体質だと思う。
そんな自分だからこそ、子どもを通じて人と繋がる時を運命が用意したのかもしれない。
けれど年を経てだいぶ自分から断ち切っていっている。
どこか我慢しながらの付き合いが負担になっていって誘われても数回断っているうちに相手も察知して遠のいていってくれた。
たかが数時間のお喋りを負担に思う自分がおかしいのかもしれないけれど、せいぜい持って1時間それが2時間3時間となると終わる時間を待ってしまうのだ。
子どもも大きくなるともう無理に我慢することはない、自然な自分になろうと思うようになった。
そうすると気持ちが軽くなって、ストレスが減ったと思う。
今は月に一度あるかないかのランチ会だけに及ばずながら参加させてもらっているだけだ。
それも話を聞いている程度で、自分には特に話題がないなぁとつくづく思う。
私の年代だと親の介護問題、お孫さんの話題、自身の健康問題がメインでテレビ番組・政治・スポーツ関連が少しといったところだろうか。
私自身もそのはずだけど女性は話題に事欠かなくて次から次へと話は盛り沢山で尽きることはない。
そんな話題も同じ時期に経験しないと同調できない気がする。
過去の経験って過ぎ去ると「喉元過ぎれば熱さを忘れる」でそうだったかなぁというおぼろげなものになってしまうのだ。
だから同じ熱気で語れない、聞けないのが今の自分なんだと思う。
そして誰かと繋がっていたいという気持ちは年々薄くなり、ひとり時間が益々好きになる。
スクワッドの意味
気になっている漫画「満州アヘンスクワッド」について調べたりしているところだが、「スクワッド」という言葉が分からなかった。
スクワットは運動だし、きっと違う意味かなと調べてみた。
英語では「squad」。
元々は軍隊用語で「班」や「分隊」が語源で「部隊」を意味する。
最近は「仲の良い仲間」「一団」と訳されることが多い言葉で、近年ではゲーム用語としても用いられる。
「満州アヘンスクワッド」は関東軍の兵士がアヘンの売買に手を染める話だから、軍隊用語の方なんだろう。
電子書籍で読むことの方が早いようだけれどどうしようか・・・。
面白そうなことは間違いないが今、読んでいる本や、やらなきゃならない事を差し置いてのめり込んでもまずいし。
今はお預けだな。
そうは言っても検索したせいでガンガン「満州アヘンスクワッド」の広告?がスマホには出て来るからそそられる。
悲しいニュース
両手足に手錠を付けた遺体がなぜ玄関に…「3人家族」が抱えた17年の秘密 支援を拒否、孤立した果てに事件は起きた
ヤフーニュース
悲しいニュースだ、20歳頃から引きこもりになった息子が精神疾患の疑いからか基本的な生活が困難になった末に玄関で監禁されるようになり死亡に至ったこの事件。
17年という長い年月、福祉にも頼れなかったのは病院に連れて行こうとすると本人が暴れたから。
精神疾患があったようだが、家族だけで長く監禁するしかなかったのは「外に出すと他の人に迷惑をかけると思った」とある。
虐待で死に追いやったとはまた少し違って、暴れるのが怖くてやむにやまれぬ「監禁」だったかもしれない。
ある意味責任を家族だけで負っていた訳で、これは社会の歪みで出来た問題で他の家庭でも引きこもりで苦しんでいることはあると思う。
林真理子さんの8050問題を取り扱った小説を思い出すけれど、正面から家族と向き合うことが出来たこの小説のような希望がない場合も現実にはあると思う。
公的支援を受けるにしても積極的に動かなければ、行政の方が積極的になるはずはない。
家族が引き受けるには重すぎる状態の息子を最終的には「監禁」という形でしか扱えなかったのかもしれない。
それにしても玄関に監禁とは・・・玄関は外の人たちとの付き合いの窓口のはずがニュースによると家族である両親も妹も外で仕事をしていなかったのだそう。
社会との接点がなくて地域で孤立していたとある。
双方が苦しい日々だったと思うし、結果亡くなってしまったことで辛い現実から解放されたかもしれない(こんな言い方は失礼なのかもだけど、終わりが見えないのが一番辛い気がするから)。
精神疾患の疑いが分かった時点で病院での診察が出来ていたら違った結果になっていたかもしれないのに、それが出来なかったのが残念な結果を生んだと思う。
日々のニュースで忘れられてしまうかもしれないけれど、ひどく悲しいニュースだと思った。
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