思い立って映画「ロストケア」を観ることにした。
なのでウォーキングは近場を歩き早めに切り上げる。
歩数は5769歩、距離は3.8㎞。
「ロストケア」は今日は2回上映されて自分は9時20分のモーニング料金だから息子の迎えまでに余裕で終わる。
これが明日になると1回の上映で13時45分になり以降はモーニングはなくなり1日1回の上映になる。
思い立ったが吉日と言うが多分今日がそうだった。
コロナが始まってからずっと映画館にはご無沙汰で、本当に久々にやって来た。
「ロストケア」
とても見応えがあって時間があっという間に過ぎた「ロストケア」だった。
認知症がリアルに迫って来て、本で読むのとは違ったむごさとでも言うのかな、身につまされて見ていて辛くもなった。
原作とは人物設定とか違う所もあるが、松山ケンイチさん演じる主人公はピッタリハマっていると思う。
介護地獄に陥り限界点に達した家庭内で、介護していた人が亡くなることはある意味救いになっていたと確かに思う。
亡くなった原因が殺人と後で知らされた身内の一部の人は、「助けられた」と証言する。
介護がそれくらい切羽詰まった心情に追い込んでいたという事だ。
何が正しいのかを問うよりも考えさせる映画だと思うから、殺人事件ではありながら犯人は犯罪者と一括りには出来ないと思う自分がいる。
沢山の不幸な境遇にいる人たちを救った一面があって、救われたと思っている被害者もいるのだから。
殺人を楽しむ猟奇的殺人などと違った。
とは言え法治国家で殺人は許されないのも分かる。
けれど悲惨な介護の現場はいつ終わりが来るのか先も見えない毎日が続く。
介護者と介護を受ける者が神経をすり減らして限界までに行ってしまう凄まじさを映画は見せつける。
犯人と対峙する(長澤まさみの演じる)検事の母親は立派な老人ホームで暮らし、施設を訪ねて2人はラウンジでお茶をする。
そんな検事とは対照的に認知症で暴れたり、徘徊する父親を探し回ってへとへとで生活に疲れ切った犯人の過去が映し出される。
誰が言ったか忘れたけれど気になったセリフがあった。
「見る見ないじゃなくて、見たいもの、見たくないもの」として介護の現場というか実情から目をそらしていると言った風なセリフ。
それとこれは松山ケンイチ扮する犯人が言う。
「家族という絆は呪縛でもある」というセリフ。
家族だから逃れられないという暗黙の縛りがある。
犯人の父親役に柄本明さんが扮している。
犯人の父親は脳梗塞の後遺症で体が不自由なところに来て、認知症が始まった設定で物凄くリアルな演技に圧倒された。
認知症で混乱していても一時的に正常になった時に不自由で聞き取りずらいながらも「殺してくれ」と必死に訴える。
自分が壊れていくのが怖いと言葉を発するのがやっとな中、本音なんだろうと胸打たれる。
もうこれは涙なしには見られない。
死ぬ権利みたいな、尊厳を守って死なせてやらなくてはという思いに駈られる。
「殺人狂時代」の映画で言っていた1人殺すと殺人者で大勢殺せば英雄というセリフも思い出す。
意味もなく大勢の人が殺される戦争と救いの意味での殺人。
殺人はダメなものとわかっていてもロストケアと称して殺人を重ねた犯人に、正論だけでは割りきれないものを感じる。
映画館は春休み中で他の映画のお客の方が多かったと思う。
「ロストケア」は本来見た方がいい映画だと思うが、逆に介護の現実や高齢化社会問題を考えてしまって見たくないと目を背ける人が多いかもしれない。
今、お母さんの認知症で大変な友人に「ロストケア」を勧めることは出来ない気がする。
とにかくこの本を読んだ時の衝撃は忘れない。
ミスター残念
久しぶりに戸次重幸さんの記事を見て嬉しくなった。
チームナックスのイケメン担当の通りカッコよく写真も出ている。
戸次重幸 イケメンなのに「ミスター残念」な理由 妻・市川由衣からは「あんたと一緒だからしょうがない」
スポニチアネックス
カッコイイのだけど残念なことが多くて大泉洋さんや他のメンバーにいじられることが多くてでも憎めないのが戸次重幸さんだ。
昔は佐藤重幸という名前で活躍していたがお母さんの方の旧姓にいつからか改名している。
名前を変えると何か変化するものなのかな?
「おにぎりあたためますか」の番組では何でも夢中になって少年のように見えるときもありながら変に博識?で面白い人。
チームナックスのもう1人のイケメン担当の安田顕さんも素敵だし、テレビCMなんかも見るから売れているのだなと思うと嬉しい。
確か安田顕さんなんかは昔は着ぐるみにも入っていたし、アルバイトしないと「食っていけない」と言っていた姿が蘇って懐かしい。
お2人の普段を知っているつもりだが、役者さんになると変わるから凄いなと思う。
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