映画鑑賞とさかがみ家のチャンネルYouTube鑑賞

雑記ブログ

朝食を終えて洗濯物も部屋の中に干して家事は半ばというところだ。

さかがみ家のチャンネルは水曜日と土曜日に更新されるのだが、昨夜は見るのを忘れた。

息子から「見て」と渡されたDVD「ファイナルオプション」という映画をみていたから。

息子は銃器やナイフに興味があり(実際には何も持ってはいないが)それとグリーンベレーとか特殊部隊には憧れるらしい。

だから今は来年公開するらしいキアヌ・リーヴスの「ジョン・ウィック」を楽しみにしている。

「ファイナルオプション」はSASというイギリス陸軍特殊部隊が活躍する話だった。

知っている俳優さんはリチャード・ウィドマークくらいだった古い映画で何故か息子はこういった古い映画を探してくる。

感想はというとはっきり言ってすぐに忘れてしまうような感じだ、何も残っていない。

一番良くないのはこの映画に出てくる俳優さん、どの人が主役なのか皆似たような感じで配役が分かりづらいまま進んだこと。

自分がボケたのかも・・・とちょっと心配になる。

よく本でも登場人物が多すぎて立ち位置が分からず、初めに載っている登場人物の紹介を見直しながら読むことがある。

映画はそんな訳にもいかず、巻き戻しする気にもならず、かなり進んでから分かって来たような映画だった。

イギリスと言えば007のジェームズボンドM1-6が有名だけど、SASという凄い部隊もあるんだよと言った見せる場面も多かった。

それと俳優さんの眉毛が気になった、皆の眉毛の山(眉山というのか)が普通じゃなかった。

眉毛の生え方が不自然な気がして、あれで自然な眉毛なら相当性格がキツイ?のかそんな勝手な思いで見ていた。

でも時々映画の世界に入るのもいいもので、今は「ラストエンペラー」でも見たいなと思っている。

昔とは違った見方が出来るかもしれないし、あの映画音楽は何度聞いても惹きつけられる。

ただアマゾンプレミアムでは見れないので借りるか中古で買うか、まだそこまで気持ちは動いていない。

息子は今の時期に見たいのは「ホームアローン」だそうだ、それはよく分かる。

さかがみ家のチャンネル

今朝になって見た「さかがみ家のチャンネル」。

保護ハウスのワンちゃんやネコちゃんの様子をスタッフさんがYouTube用に編集する。これも坂上忍さんがチェックされるようだ。

そして今回の動画では坂上忍さんも後半登場して「肉じゃが」をスタッフに作っていらっしゃった。

うちも昨夜は「肉じゃが」にしたので親近感が湧く。

坂上忍さんは厳しい物言いもありながら、スタッフさんにお食事を作るようなところがいい上司という感じ。

とは言いながらもきっと自分ならはっきり何でも指摘されたら、メンタルがついていかないだろうな。

だからこうして眺めているのがいい。

ワンちゃんネコちゃんたちを見ているだけで本当に癒される。

保育士が園児に虐待行為

静岡県の保育所で保育士の暴行が発覚して、新たに富山市の保育園でも20代の保育士の虐待行為が発覚した。

こうも次々と発覚というか、いろいろ以前からあったことが一気に噴出したのか。

今までにも保育所で暴行や虐待にすれすれの行為が横行していたのかと思うと、こんなに生きて来た自分にも世間知らずのことがまだまだあるんだなと思う。

学校とかだと昔は問題にならなかった先生の行為が今ではすぐに問題になるのと同時に、親の方もかなり前からモンスター化しているのは良く知られている。

親が大人しくしていた時代は今や過去のものになったし、親も先生も時代が変わると考え方もかわったんだと思う。

大人になったって職場でのいじめはあるのだからどこの世界にいても人間関係は一触即発。

それまで火種としてくすぶっていた保育士の虐待が告発という形で火を噴いたということだろうか。

保育士の虐待行為の原因の一つに人材不足が言われている。

人手がないので余裕がなくなりイライラをつい園児にぶつけてしまう。

虐待があってはいけないこととは言え、人手を増やすでもなく人手に回せばいい予算がどこかで止まっているとかはないのか。

上に立つ人が保育の専門家だったとしたら保育士の充実が一番大事なことだと理解しているはず。

保育士に限らず介護現場も人手は慢性に不足していると言う。よくマンパワーと言うがどこもかしこもマンパワー不足だとしたら大変なことだ。

問題は奥深いから簡単に解決するのは難しい。

何が正しいかは分かっていてもその通りに進まないのが育児だから、保育士さんの苦労もあるだろう。

人間のやることだから、仕方ないところもあるが暴行や虐待が日常化したりエスカレートしてしまったら怖い。

少子化で子どもが減る一方なのに国の未来の担い手を粗末な扱いで心や身体が傷ついたとしたら取り返しがつかない。

罪の意識

虐待や暴行が今に始まったことではないとしても、昔は触れられずにうやむやにされていた事が問題として取り上げられるようになったことはいいことだと思う。

誰も指摘しないままじゃ虐待している当人は「しつけ」と称して変わることなく虐待し続けてしまうだろうから。

虐待した当人は忘れても虐待された方が忘れないのは、学校でのいじめでも同じだ。

でも「いじめ」を意識しないまましていたとしたら自分の罪に気づかないまま一生を終える人もいるんだろう。

気づかないことはある意味幸せだと思うが、気づいた時自分で自分を許せるだろうか?

「戦争」にしても「いじめ」や「虐待」にしても人間はやめることは出来ない生き物のようだ。

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