読み終わった本と年賀状じまい

雑記ブログ

朝から小雪が降る今日は週の初めの月曜日、正月休みが終わり普通に戻るところが多いはず。

だが曇り空でパッとしない天気の終日になりそうだ。

昨日は録画した「はやく起きた朝は…」の新春スペシャルを見ようと思い見出したらどうも新春スペシャルらしくない。

いつものセットでの放送で始まり、何処から新春スペシャルが始まるのだろうと思って見ていた。

気づくのが遅かったが自分が見ていたのは昨日当日の録画分で、そこでその日が日曜日だったと気づいた。

未だに曜日の感覚が狂っている自分だ。

録画したばかりの「はやく起きた朝は…」を見たあとに、1月2日に放送されたいつもより長い新春スペシャルを見た。

会場に観客を入れた番組は新鮮で3人がステージから降りて、客席を回ると歓声が上がり見ていても楽しそうな雰囲気が伝わって来た。

こういう公開録画の観客になってみたいが、競争率が高そうだ。

テレビで見る3人はステージ上でも好印象は変わらず、温かい人柄が垣間見えた。

「隠された遺体 日航123便墜落事件」

元客室乗務員だった青山透子さんの著書「隠された遺体 日航123便墜落事件」は、活字が大きくて読みやすい筈だが自分の頭がついていけずなかなか前に進まなかった。

まず感想は昔も今も闇に葬られる事件の多さを思い知ったのと、権力が法までも支配するのだという現実だ。

日々時間は過ぎていく訳で政治家や大企業にとって知られてはまずい真実は、新たな事件やスキャンダラスな事件の陰に隠れてしまう。

敢えて隠れ蓑を作って、追及されないように隠されてしまう事件も多いかもしれない。

日航123便の墜落事故は1985年の事故でおよそ40年前になるのに、世の中の隠蔽体質は変わっていないことがわかった。

実際の裁判に関わる書類だとか普段目にすることがない書類が巻末に載っていて、目新しかったがそれにしても難しい言葉とか定型?の文書には読む気が失せてしまった。

それでも日航123便墜落事故についての疑惑を感じずにはいられなかった。

現場での看護婦さんの証言に機長の遺体確認が事故当日深夜にされたにも関わらず、メディアではかなり遅く機長が発見されたことになっていたという不可思議な報道がされた。

しかも早くに機長の遺体は発見され自衛隊機で搬送された模様だが他の副操縦士などとは違って、全裸にされていたと言う。

制服を剝ぎ取るという行為は、そこに何かしらの秘密事項や証拠のものを隠す必要があったのかと疑わざるを得ない。

しかも損傷はあったものの遺体は体もあったというのに、報道では歯形で確認するほど体が飛散していたかのようでこれは一体どういう意味なのか。

機長は自衛隊出身のパイロットであり、自衛隊のミサイル訓練には自衛隊出身のパイロットは少なからず訓練の標的となる事を内諾していたりするとか・・・。

その訓練の際のミサイルの誤発射で垂直尾翼が破壊されたか(記録には異常外力着力とある)、そして機長もその訓練ミスを悟っていてやり取りのボイスレコーダーなどが公開されずにいるということなのか・・・。

青山透子さんは文章を読んでいても、理路整然としていて真実を追求する手を止めない姿勢が凄い。

古巣であるJALの123便墜落事故だけじゃなくその後の度重なる事故や不祥事に対して、常に隠蔽体質であることに警鐘を鳴らしている。

自分は飛行機に今後乗ることはないと思うが、これだけの不審な体質を持った大企業であるJALが尚更怖くなる。

123便に関する裁判は去年の最高裁で上告棄却という判決が下った。

最高裁も政府の味方でしかないのだとしたら、本当に亡くなった方も遺族も泣き寝入りだ。

弁護人の1人の方の話がとても分かりやすかった。

森友事件を引用していて、森友問題で文章の改竄に関与させられ悩んだ挙句自殺された方の遺族が事実を知りたいという裁判と同様だという隠蔽体質。

でもこの森友問題にしても遺族の「知りたい」を妨げる情報開示せず上告棄却するのも、123便墜落事故とそっくりである。

123便墜落事故の遺族の訴えも事実を知りたいという一存であるのに、JALを守る形になった最高裁だった。

森友問題の遺族の方も最高裁に上告したとあるが判決は出たのだろうか・・・。

最高裁というのは審議はせずに判決を下すだけのようなところだとは、この本で知った。

交通事故よりも飛行機事故の確率は低い訳で安全な乗り物だと言える。

車の運転をしていて事故を起こしたくないのと同様に、大勢の乗客を乗せて飛ぶ飛行機も事故があってはならない。

でも大元のJALという企業の体質を垣間見た時に不信感を拭えないまま、身を任せることが出来るだろうかと不安になる。

こんな大きな事故でさえ、隠さなければならないことは隠し通して関係者がいなくなるまで深く静かに時間が過ぎるのを待っている。

「全力で取り組む」などど政治家の方たちは簡単に口にするけれど、拉致問題とかも一向に進む気配はなく時間ばかりが経って行く。

自分も思うことはあっても何かするでもない。

もし自分が123便墜落の遺族だったとしても最高裁まで戦う吉備素子さんのような強い意志はなく、それこそ泣き寝入りとか諦めの気持ちだと思う。

年賀状じまい

我が家に来た年賀状のうち年賀状じまいを知らせるものは、元日に来た5枚に加えて4日に来た分のうち3枚があったから合計で8枚になった。

年賀状じまい加速 前年比34%減

日本郵便は、元日に配達した年賀状がおよそ4億9000万通で、前の年に比べて34%減ったと発表しました。

テレ朝news

数少ない年賀状のうち8枚が年賀状じまいで、来年はまた少なめに年賀状を買えばいいことになる。

これはとても気楽で、逆に年賀状作りが楽しくなるかもしれない。

かなりひねくれた考えだと自分でも思うが、それが自分だから仕方ない。

メールやラインで新年の挨拶もいいのだが、日付が変わると同時にラインし合うのが何だか自分にとっては負担増になった気がした。

眠る時に限らず自分のスマホはマナーモードにしている時が多くて、しかも深夜は完全に眠っているから気づくはずもない。

来たラインにはなるべく早く返信するようにはしている。

でも深夜帯のラインに関しては自分は起床した時に返信すればいいと思うし、これが自分だと思ってやっていくつもりだ。

「はやく起きた朝は・・・」の新春スペシャルでTHE ALFEEの坂崎幸之助さんのコメントが紹介された。

「便利が不便を生んだ」と言うようなコメントが頭をよぎった。

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