読書で過ごす日曜日

雑記ブログ

夜半からの雨が朝もまだ降り続いている。

暑苦しかったのが噓のようで湿気はあるけれど我慢出来ないでもない。

喉元過ぎれば熱さを忘れると言うように、今は本州の暑さに「大変だなぁ」と思うだけだ。

冬の心配をするのはまだ早いけれど、何でも大変だったと思っても過ぎてしまえば大変さも忘れてしまう。

自然の脅威に怯えてばかりでは人は生きていけないだろうけれど、年々暑さとか寒さとか異常気象が続くのかも・・・去年のとんでもない降雪量とか。

でも今週は驚くほど気温が高くはならないようだからホッとしている。

もしかすると8月は安心して過ごせる気温になってくれるのか。

午前中は町内会の役員会があり、今年は班長なので出席してくる。

役員会の場所であるコミセンはいつもなら歩いていける距離にあるが、雨が降り続くから車で出かけてくる。

近所の方々といっても殆ど知らない人ばかりでそれは向こうからしてもそうなのだろうが、多分会議が終わってすぐに別な場所で会ったとしても自分は記憶していないだろう。

何故か人の顔がなかなか覚えられないのだが、自分自身も覚えて欲しくはないこともあって人の顔って記憶できないのかもしれない。

それでいて人相を信じているというか勝手に見た人を判断するところもある。

人相というのか表情にその人の持つ性格は表れるし、恐らく自分自身も表情に出ているはずだ。

特に「目は口程に物を言う」というし目付きに表れる。

何となく人相だけは人って分かるもののような気がする。

別の言い方だと「この人は苦手」「気が合いそう」と思えるかどうかで、誰でもそういった直感みたいなものはあると思う。

「朱夏」

宮尾登美子さんの本「朱夏」を読み終えた。

満州に渡った主人公が引き揚げるまでの1年半の話だったが、自分の思っていた引き揚げの様子と微妙に違った部分もあった。

まずはこの主人公が宮尾登美子さんだったとして、これまで読んだ満州の話の中では比較的平和に過ごせたようだ。

裕福に育ったまだ20歳そこそこの娘さんが結婚して乳飲み子もいる身で満州に渡り、数か月で終戦を知り避難生活を余儀なくされる。

けれどそんな避難生活はソ連国境付近から悲惨極まりない避難で命をとりとめて来た開拓団の人たちとは違っていた。

当然略奪などもあったようだが、主人公や周りの人たちの被害は物資に及んだ事が多いようだった。

避難場所は比較的早く平穏が訪れて、物がないなりに落ち着いた生活?を送れていた。

日常生活が凄く細かく書いてあり、満州での避難生活の様子はとても興味深いものだった。

同じように避難生活を送る人達の中には要領が良い人はいるもので、そういった人たちは良い思いをするものだ。

同じ立場であっても信用できるものではなかったようで、そんなところはシベリア抑留者と似ていて苦しんだ日本人の間でも要領の良い人は命が長らえた。

真正直な人は裏で手を回すなんてことも出来ず餓えて故国の地を踏むことなく息絶えたもので、自分だったらどうだったろうなどと考える。

いずれにしても引き揚げまでの生活で、餓えの日常の大変さは今に暮らす自分など比べものにならないくらい大変だったと思う。

宮尾登美子さんの性格からくる表現だからなのか、どんな悲惨さも品よくと言ったらいいのか何となく落ち着いて読むことが出来た気がする。

綾子の知人が薬も何もない状態で獣医師に堕胎をしてもらうシーンがあるけれど、痛々しい場面なのに割と冷静に読めたのもそのせいだ。

それと意外に思ったのは誰もが日本に引き揚げたい一心だった訳じゃないということだ。

開拓団に入った人というのは日本を後にして一旗上げるつもりであり、帰っても住む土地も何もない人たちがいたり後は病人だと長旅の困難さを抱えていた。

確かにどのくらいかかって辿り着けるか分からないくらいの長旅である。

引き揚げ以前にもそうやって避難が無理で落伍した人たちや自決した人たちがいたわけで、この先元気でなければ日本には帰りたくても帰れないのだ。

主人公の綾子が満州に移住したのは昭和20年だから戦争末期だったということだ。

敗戦間近だったのに言論統制されていたから分からないまま満州くんだりまでやってきて、すぐに避難生活が訪れて苦労する羽目になった。

でも避難生活の中にもごく僅かな幸せを感じることが出来るのが人間なのかと思った。

生きていれば嫌なことの方が多いけれど、だからこそほんの小さなことを喜び感激する。

わがままを自負することなくそれまで生きてきた綾子は、この辛苦の中でも立派に成長を遂げていたし決して暗く感じない話だった。

引き揚げ船に乗る日を待つ間に、綾子がビオフェルミンを人から預かったお金で買ったものの青かびがついて使い物にならないシーンがあった。

腸チフスの患者が引き揚げを待つ人の間から出て、感染を恐れて必死の思いで買った薬だったというのに。

ビオフェルミンと言えば今もある薬だから随分と歴史のある薬なのだと思った。

「家族が1人も欠けずに日本に帰る家は珍しい」と言われた満州からの引き揚げを家族で成し遂げた綾子一家。

そして下船する際に女性だけ検査場に集められて、強姦の有無を聞かれた綾子は否定することが出来た幸運な人だった。

ただ預かったお金を使い込んでしまったことが、のちに問題を巻き起こすのかと読み取れるような部分があり、この後どうなったんだろうか。

悲惨な体験談のはずなのに淡々と進み、淡々と終わった気がする。

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