廃墟の魅力

雑記ブログ

9月になって、息子が「今年もあと3ヶ月」というので「4ヶ月だよ」と訂正する。

分かっていそうでここら辺りは難しい・・・時間にしても「何時間後」などがちょっと理解できないでいる。

数字に弱いから買い物する時は電卓で大体の金額を把握して精算するようにしている。セルフレジに関してはあまり戸惑うことがなくホッとしているが、出来ないことはフォローしてそのうち覚えてくれたらいいな。気長におもっているがどうなるか。

九龍城塞・九龍城砦

今はその跡形もなく、写真集などでしか見ることが出来ない九龍城塞を写真集で見るのが好きだ。写真集は当然だけど値段が高い、とても買って手元に置けるものではない、なるべくものを増やさないつもりでいるし。

だけど東洋の魔窟、東洋のカスバと言われたスラム街の九龍城塞の写真は見るものを圧倒する。

魅せられた人はたくさんいると思うし私もその1人。

九龍城塞・九龍城砦のどちらの漢字を用いてもあまり変わりはないらしい。

城砦が集団を守る基地を意味するのに加えて、城塞はより鉄壁の要塞としての機能がある場合を指すようだ。

一度入ってしまったら出られない程、迷路のように入り組んでいたらしいから、犯罪者にとってはいい隠れ蓑だったようで犯罪の温床地帯だったと言われている。実際に警察の取り締まり外の場所だった。

映画「望郷」もアルジェのカスバが舞台で映画も良かったがペペルモコの隠れ家が異世界で不思議なとことに迷い込んだようでワクワクしたものだ。

でも写真集で見た九龍城塞は普通に生活する人々の様子が見られて、ごみごみはしているけれど、学校や歯医者さん、中には工場があったり、理美容室もあった。そういった一面もあったんだなと屋上で遊ぶ子供の姿にホッとしたりもした。豚の屠畜?というのかな、そんな作業者も中にはいて色んな業者がいたようだ。

面白いと思ったのは、郵便屋さんがその迷路のような九龍城塞内を配達に入って行きちゃんと配達がされていること。中で暮らしている人は迷路のようでも暮らしているからには間違わずに過ごしているだろうけど、郵便屋さんも大したものだと思った。

九龍城塞は1994年に撤去されて見ることは出来ないが、そこで暮らしたことがある日本人の方の体験をネットで見たことがあった。その方の話では汚さは勿論だがとにかく悪臭が半端なかったそうだ。

写真で見るだけの私は廃墟に憧れを持ったりしているが実際に目にしたら、まず見る前に臭いに具合が悪くなりそうだ。やっぱり写真集で見るのが実害がなくていい。

九龍城塞の歴史

1950年~1990年代、香港に流入した移民が形成したスラム街。

香港は長くイギリスの植民地だったが、領有権は中国にあった。

飛び地という言葉があるが、国の中に別の国があるという感じだろうか。

イギリスも中国も手が及ばない治外法権の場所が九龍城塞だった。

建物・人口密度

九龍城塞では、高いビルが無秩序に林立して、その光景があまりに印象的で絶景にも思えてしまう。

建物も違法建築で継ぎ足してどんどん積み重なったため、隣のバルコニーとは高さも違ってそれぞれがどうやって建てられたのか不思議な魅力があって、海や川をを眺めている時のようにいつまでも見飽きない光景だ。

近くに空港があったためその飛行に影響しない高さにすることぐらいは取り決められていたようだ。

あとは継ぎ足し継ぎ足しで巨大な建物群になった。日中でも日が当たらず狭くて薄暗い通路の頭上には何連もぶら下がるホースから漏れて滴り落ちる水が地面を濡らしている。

狭い土地に大勢の人が暮らし、電気も水道も通っていない地域だったがどこからか電気を引っ張って来て違法に電気を使っていたり、水道も井戸を掘り水を使用していた。

その狭さは0.03㌔平方メートルの区画に3万3000人が暮らす。想像がつきづらいが、畳1枚に3人が相当する狭さ。

軍艦島もかなりの人口密度を誇っていたようだし、今は廃墟とはいえ、存在感は似ている気がして気持ちがそそられる。軍艦島はある時には世界一の人口密度を記録していたという。周囲1.2キロの島に5000人もの人がいた。石炭採掘の最盛期のことだろう。

こちらは比較するには悪い気もするが人口密度で言えばポーランドのワルシャワゲットーにはかなりのユダヤ人の人々が収容されていたようだ。

ゲットーはユダヤ人隔離地域でその地域の広さはわからないが、約50万人の人々が隔離されたと言われている。平均して一部屋に9.2人が暮らす密集具合。かって5人家族が生活していた空間に700人が暮らすゲットーもあったという。

とにかく狭いということはプライバシーなんて微塵もなく罪もない人々がただ押し込められていた。ゲットーでは沢山の人が餓死したという記録が残っているから比べるものではないのだけれど。

少なくとも九龍城塞は連行されて仕方なく収容されたとは訳が違う。

軍艦島はというと、日本人はともかく、外国人の例えば中国人、韓国人の強制連行があったようだ。

今は存在しないもの

九龍城砦や軍艦島といった廃墟に魅力を感じる人は多いし、私も写真集があるとすぐに手にとってみたくなる。

満州に関してもかっての栄華を感じさせる建物を見たりすると、当時に思いを馳せる。

満州に開拓団として駆り出された人たちの筆舌に尽くし難い苦難を思いながらも、かたや満鉄という巨大な会社が当時近代化された列車を運行していたり、映画産業なんかも盛んだったりと戦時中の日本とかけ離れた贅沢も出来た人たちがいたというのが不思議というのかな。そんな中には法に裁かれることなく戦争中に貯めた資産で戦後を上手く世の中を渡り切った人たちがいたのだろう。

今はもうこの目で見ることが出来ないもの、存在しないものに凄く惹かれる自分がいる。

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